第32章:真実の秤(はかり)
森の空気が、一瞬にして凍りついた。
セリアは珍しく沈黙を守り、エレンは震える手で『法皇の瞳』を俺の前に差し出した。
かつて世界を欺き、先代勇者を「反逆者」の奈落へと突き落とした因果改竄の宝具。その冷たい輝きは、俺の持つ『万物鑑定』とは対極に位置する――世界の理を強引に捻じ曲げる、毒そのものだった。
「……いいのか。俺のような余所者に、これを見せても」
「構いません。……貴方様が、あの人と同じ『瞳』の持ち主であるならば」
エレンの悲痛な言葉に、俺は無言で頷いた。
ハンマーの柄から手を離し、ゆっくりと青白く光るペンダントを受け取る。触れた瞬間、脳内に焼きゴテを当てられたような激痛が走った。システムがけたたましく警告を発し、網膜の視界に真っ赤なエラーコードが奔流となって駆け巡る。
『警告:未知の干渉対象を検知。因果律との同期を試みますか?』
「……同期、か」
俺は迷わず、脳内で『承認』を選択した。
直後、世界がグニャリと歪む。森の風景が消失し、代わりに数十年前の過去に終わったはずの『魔王城の決戦』の光景が、走馬灯のように脳裏へと強制的に焼き付けられた。
血に塗れながらも、世界のために戦い抜いた勇者マサトの背中。
魔王の心臓を貫いた、勝利の剣先。
そして――安堵の広がるその背後から、味方であるはずの法皇が放った光の矢が、マサトの心臓を無残に射抜く光景。
「――っ……!」
意識が爆ぜるように弾け飛んだ。
現実の教会へと引き戻された俺の鼻からは、一筋の鮮血が静かに垂れていた。
セリアがそっとハンカチを差し出し、冷ややかな視線でペンダントを見つめている。
「見たのね。法皇国が世界から隠し続けてきた、最も醜悪で残酷な『真実』を」
俺は溢れた血を拭いながら、確信した。
これは教科書の中の物語なんかじゃない。俺が継承し、隠してきた過去の延長線上にある、絶対に許してはならない最悪の歴史改竄だ。
「……マサトの最期は、もっと誇り高く、祝福されるべきものだったはずだ」
俺の絞り出すような言葉を聞いた瞬間、エレンは堰を切ったようにその場に泣き崩れた。
ペンダントを握りしめた手に、地面へとしみ込んでゆく魔力の奔流を感じ取る。森の結界が限界を迎え、悲鳴を上げていた。法皇国の追手が、もうすぐそこまで迫っている。
隠遁? 平穏なスローライフ?
そんな生温かいものは、この『瞳』の真実を見た瞬間に、跡形もなく塵となって吹き飛んだ。
「セリア、行くぞ」
「あら、良いの? 念願の隠遁生活は?」
「……これを見た以上、このまま放置するなんて俺のプライドが許さない」
俺は黒鉄のハンマーを無造作に肩に担ぎ、教会の古びた扉を勢いよく蹴り開けた。
激しさを増す木々の囁きの奥から、数多のどす黒い殺気がこちらへ向けて殺到してくる。法皇国の精鋭聖騎士団、そして異形の魔導兵器の群れ。
「俺はただのしがない冒険者だが……自分の大切な顧客を傷つける奴には、容赦しない質でね」
俺は泣きじゃくるエレンの前に立ち、もはや殺意を隠そうともせずに森の深淵を睨みつけた。
第二幕の幕開けにしては、あまりにも派手すぎる反撃の合図だった。
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