第31章:ささやきの森の修道女
「……あなたは、法皇国の追手ではないのですね?」
修道女――自らを「エレン」と名乗った彼女は、俺の差し出したギルド証と、周囲に漂う「刺々しい殺気」とは無縁の「ただの旅人としての落ち着き」を観察し、ようやく構えていた武器を下ろした。だが、その薄暗い瞳に宿る、絶望的なまでの警戒心までは消えていない。
「追手なら、もっと派手で大層な連中が押し寄せてくるはずだ。言っただろ、俺はただのしがない冒険者だよ。……で、その怯えようだ。あんた、レムリア法皇国から逃げてきたのか?」
彼女はビクリと細い肩を震わせ、固く唇を閉ざした。
ふと、教会の古びた床板の下から、かすかに不穏で濃密な魔力の残滓が漂い出てくるのを感じる。どうやら、この修道女は単なる「寂れた村の管理人」というわけではなさそうだ。
「法皇国では……私の存在そのものが『過ち』とされているの。ここに隠れていれば、いつか世界から忘れ去られると思っていたのに」
エレンは震える手で祭壇の奥へ手を伸ばし、冷たく静かに光る小さなペンダントを取り出した。
それを見た瞬間、俺の傍らにいたセリアが、いつもの小悪魔的な余裕を完全に消し去り、喉の奥で低く唸った。
「あらあら……。それ、ただの飾りじゃないわね。まさか『法皇の瞳』だなんて。エレン、貴女、とんでもないものを持ち出してきたものだわ」
「……セリア、知っているのか。それは何だ?」
「隠遁生活がまた一歩遠のくわよ、サトオ。それは、レムリア法皇国の権威と信仰を根底から揺るがすほどの『特級禁忌』よ」
その言葉を裏付けるように、教会の外では、森の『ささやき』が急激に激しさを増し始めていた。風が木々を揺らす音が、まるで武装した集団が包囲網を狭めてくる足音のように聞こえる。
……法帝国での英雄騒乱から全力で夜逃げしてきたと思ったら、今度は国境を越えて、別の国家規模の陰謀のど真ん中へダイレクトに飛び込んでしまったらしい。
「助けて……ください。この森を隠していた結界が、もう長く持たないの……!」
エレンの大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
最悪だ。とにかく面倒極まりない。ここで彼女を置いて、回れ右をして別の土地へ逃げるのが「ただの冒険者サトオ」の正解のはずだ。
――だが、俺は腰のハンマーの柄を、無意識のうちに痛いほど強く締め直していた。
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