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第29章:仮面の終わり、隠遁の旅路

第29章:仮面の終わり、隠遁の旅路


 パーティ会場を脱出したその足で、俺は迷いなく安宿の自室へと向かった。しかし、部屋に一歩入った瞬間に理解した。――ここも、もう安住の地ではない。


 すでに宿の周囲には、王宮からの使者らしき不審な影や、噂を聞きつけた冒険者たちがうろつき始めている。俺が少しでも姿を見せれば、翌朝には「英雄の隠れ家」として包囲されてしまうのは火を見るより明らかだった。


「……セリア。悪いが、少し手伝ってくれ」


 俺は簡素なリュック一つに、愛用のハンマーと必要最低限の道具だけを詰め込む。


 後ろで見ていたセリアは、何も聞かずに俺の影の中へと溶け込んでいった。


『ふふ、やっとその気になったのね。あのお嬢さんを置いていくのは少々心苦しいでしょうけれど……このままじゃ貴方は一生、誰かの都合の良い『英雄』として消費されて終わるわよ』


「……ああ。そんなのは、もう御免だ」


 俺は窓から気配を殺して裏道へと飛び降り、月明かりに照らされた街並みを一度だけ見上げた。


 この地で築いてきた『ただのF級冒険者』としての平穏な生活は、完全に崩壊した。これ以上ここに残れば、王女の歪な執着や商会の過剰な期待、そしてギルドの管理という名の鎖に縛り付けられ、死ぬまで泥沼の表舞台で戦い続けることになる。


 ――そんな人生は、二度と願い下げだ。


 俺は厳重な表の正門を避け、外壁へと続く古い排水路へと足を向けた。ふと、腰のポーチを確認する。そこには、皮肉にも昼間に手渡されたばかりの、Bランクのギルド証が収まっていた。


「……とりあえず、これだけは持って行くか」


 これさえあれば、どこの辺境の街に行っても最低限の身分証明にはなる。またゼロから登録手続きをする手間が省けるし、何より、俺が「ただのしがない冒険者」として細々と依頼を受けながら生き延びるための、唯一の安全装置だ。


『あらあら、本当にいいのかしら? エレナお嬢さんは、貴方がいなくなったら血の涙を流して世界中を探し回るわよ?』


「探させておけばいい。俺はただ、どこか誰も知らない田舎へ行って、誰にも邪魔されずに米を育て、塩の加減を気にしながら静かに暮らしたいだけなんだ」


 そう呟きながら、俺は帝国の巨大な外壁を音もなく軽々とよじ登る。


 壁の頂上から振り返った帝国の街灯は、これまで暮らしてきたどの夜よりもずっと眩しく、そして酷く騒がしく見えた。


 俺は煌びやかな光に背を向け、広大な夜の闇へと一歩を踏み出した。


 目指すは、文明の喧騒から遠く離れた最果ての辺境。そこには、俺を「英雄」だの「怪物」だのと呼ばない、ただの男として扱ってくれる平穏な日常があるはずだ。


 俺の肩に小さな影を乗せたセリアが、闇の奥で愉快そうに鼻歌を歌い始める。


 腰に下げた銀のプレートを上からしっかりと手で押さえ、俺は帝国の『魔導列車』の貨物にこっそり忍び込んだ。


 隠遁者・サトオの、本当の意味での『再出発』が、今ここから始まった。



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