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第22章:月下の残影、勘違いという名のドタバタ

 セリアが俺の腕にぐっと体重を預け、「お腹空いたわ」と、とろけるような甘い声でねだる。


 エレナの目に映ったのは、闇に躍動する孤独な英雄の背中などではなく、ただの年相応な少年が、愛らしい恋人に翻弄されている……そんな『幸せな日常』の光景だった。


 ガッロ商会のお嬢様であるエレナは、まるで動きを止められた石像のようにその場で固まる。


 彼女の視線が、俺の腕に絡みつくセリアの白い指先へ、そして二人を包む甘ったるい空気へと釘付けになった。あの夜、窮地から命を救ってくれた英雄の凛々しい眼差し。それと、今目の前で少女のワガママに呆れ顔を晒している男の顔が、エレナの脳内で激しく衝突する。


「……なんで……そんな子と……」


 エレナの瞳に、激しい動揺と嫉妬の炎が渦巻く。彼女はガタガタと肩を震わせながら、俺を問い詰めようと一歩詰め寄り――あろうことか、自分のドレスの裾に足をもつれさせ、大きく前へよろめいた。


「わっ!?」


 ドン、と勢いよく俺の胸元に飛び込んでくる。


 俺は心底困惑し、セリアもまた、あまりの突発事態にポカンと口を開けて固まった。


「――っ、あなた、恋人がいたの!?」


 エレナは顔を瞬時に真っ赤にして俺から飛び退くと、涙目でハンカチを噛み締め、非難を込めて俺を激しく指差した。


「いや、だから何度も言ってるだろ、人違いだって! 俺はただのF級冒険者のサトオで――」


「嘘つきっ!」


 エレナの絶叫が夜の路地裏に木霊した。


「そんなにベタベタ仲良くしちゃって……! あの夜、私を助けてくれた時の貴方はもっと凛々しくて、誰にも媚びない気高き強さがあったわ! それなのに、こんなところで……こんな小娘に鼻の下を伸ばして……!」


「……小娘?」


 セリアの眉がピクリと跳ねた。彼女は底冷えするような不穏な笑みを浮かべると、わざとらしく俺の腕に頬をスリスリと寄せ、胸元にすがりつく。


「あら、お嬢さん。この人は『わたくしのもの』だから、お門違いな勘違いはやめてくれる? 貴方がどれだけ英雄だの何だのと騒いでも、この人は今、私のお腹を満たすので忙しいのよ」


「っ……! この、泥棒猫ーーっっ!!」


 エレナの怒りは頂点に達した。彼女は地団駄を踏みながら、完全にパニックになった頭で俺に向かって捲し立てる。


「わかったわよ! でも、私にはお見通しなんだから! 貴方はわざと『冴えない男』を演じて、この生意気な娘を甘やかしているんでしょ? そうやって庇護欲をそそる弱い女を囲って、裏で悦に浸っているのね!」


(……違う。全力で違う。俺はただオークを狩って泥まみれで帰ってきただけだ!)


「……ふふっ、サトオ。貴方、とんでもない言いがかりをつけられているわね?」


 セリアは俺の腕にさらに深く身を乗り出し、エレナをこれでもかと挑発するように歪な微笑みを向ける。


「勘違いだ! 本当にただの、わけあって一緒にいる同居人だってば!」


「どっ、同居だなんて、不潔よーーっっ!?」


 エレナは激しい目眩に襲われたようにフラつくが、なんとか堪えて「絶対に貴方の正体を暴いてやるんだから!」と叫んだ。


 真っ赤になった顔のまま待たせていた馬車へと逃げ込み、御者に「早く出して! もうあの男の顔なんて見ていられないわ!」と八つ当たり気味に怒鳴り散らすと、猛スピードで夜の街へと走り去っていった。


 騒がしい嵐が去り、路地裏には気まずいほどの静寂が戻る。


「……セリア。お前、完全に面白がってただろ」


「あら、何のことかしら? 私はただ、本当にお腹が空いただけよ」


 セリアは悪びれもせず、俺の脇腹をツンと突いた。


 遠ざかる馬車の車輪の音を聞きながら、俺は天を仰いで深いため息をついた。


 俺の望む平穏な隠遁生活というやつは、かくも脆く、そして呆れるほど騒がしいものらしい。


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