第16章:黄金の光と、守るべき聖域
遺跡の最深部、魔力炉が放つ轟音が鼓膜を震わせる。
先ほど騎士像を粉砕したことで、この空間の重力制御は完全にイカれていた。床は波打ち、壁からは青白い雷光が奔流となって噴き出している。
その向こうに、異様な光景が広がっていた。
黒いローブを纏い、【常闇の揺り籠】と名乗る過激な教団の幹部たちが、広間の中央で一人の娘を囲んでいる。娘の足元には、おぞましい赤黒い光を放つ魔法陣が展開されていた。
(おいおい、嘘だろ……)
俺の直感が、警報を鳴らし続ける。
娘の体から溢れ出しているのは、かつて勇者が打ち倒した魔王軍の残滓……いや、それ以上に濃密で純粋な「魔王の魔力」だった。やつらは魔王が振るった大剣の破片を再構築した、邪悪な魔力炉を掲げ、その力を無防備な娘にぶつけ、命ごと吸い上げようとしている。
理由なんてどうでもいい。俺の身体は、思考よりも早く動いていた。
目の前で、幹部が禍々しい大剣を少女の細い首筋へと振り下ろそうとしたその瞬間、俺は『亜空間の指輪』に触れ、あの「本物の勇者の剣」を強引に引き抜いた。
――キィィィィィィィィンッ!!!!
空間を切り裂くような金属音が、魔力炉の轟音をかき消す。
振り下ろされた凶刃を、俺は黄金の剣を軽く横に振るだけで弾き飛ばした。幹部が驚愕に目を見開き、反射的に飛び退く。
【セリアの視点】
石棺の中で目覚めた時、私が感じたのは果てしない静寂と、冷たい湿り気だけだった。いつからそこにいたのか、何のために眠らされていたのかも分からない。ただ、父の温かい手と、燃えるような紅い瞳だけが、ぼんやりとした記憶の底に沈んでいた。
石棺の蓋が開けられた時、差し込んだ光が眩しかった。見知らぬ人たちが私を見下ろしている。その直後、私を連れ去った【常闇の揺り籠】の幹部たちが、冷酷な笑みを浮かべて現れた。
「ようやく目覚めたか、魔王の娘よ」
彼らは私を広間の中心へ引きずり出した。儀式のために打ち込まれた楔が、魔力の回路を強引にこじ開けていて、体は思うように動かない。彼らは私の足元に魔法陣を描いた。それは、私の内に眠る父――前魔王の魔力を、強引に引きずり出すための呪い。
「この力さえあれば、我らは新たな王を手に入れられる」
彼らの手には、おぞましい赤黒い瘴気を放つ大剣が握られていた。私の魔力がその剣に吸い上げられていく。激痛が全身を駆け巡り、意識が遠のく。
「さあ、死ね。その命と血肉を捧げ、剣の糧となれ!」
幹部が剣を振り上げた。死の気配がすぐ鼻先まで迫った、その瞬間――。
――キィィィィィィィィンッ!!!!
空気が裂けるような、澄んだ音が響いた。あれほど恐ろしかった凶刃が、まるで木の葉のように空中で弾き飛ばされている。
光の向こうに立っていたのは、一人の青年。その手には、黄金に輝く伝説の剣。
(勇者……?)
私の体は震えた。かつて一族を滅ぼした、あの忌まわしい勇者の輝き。しかし、その人は私を斬らなかった。背後に立つ私を、その広い背中で守り抜こうとしている。恐怖と、それ以上に圧倒的な安心感が私の心を支配した。
私は混乱しながらも、震える指を伸ばし、その人の外套の袖をぎゅっと掴んだ。
【サトオの視点】
俺の外套の袖を、細い指先がぎゅっと掴んできた。
(……くそっ、やっぱり拾っちまったか)
面倒だ、と心の中でボヤきつつ、俺は背後の娘を安心させるように、いつものトーンで呟いた。
「……大丈夫だ。もう、誰も傷つけさせない」
俺が勇者の剣を構えた瞬間、背後で様子を見ていたミアが、即座に叫んだ。
「……バルド、レイ! 事情はあとで聞く! 今はサトオの背中を守るぞ!」
ミアは叫ぶと同時に、杖の先に魔力を集中させる。遺跡の魔力炉の残滓を巻き込み、強烈な閃光と濃密な『暗黒の霧』を発生させる、高位の広域魔術だ。
ドォォォォン!!
霧が爆発的に広がり、広間を漆黒の煙が埋め尽くす。視界がゼロになったことで、幹部たちが「目が、目が!」「どこだ、娘を逃がすな!」と狼狽え、阿鼻叫喚の嵐となった。
俺は黄金の剣を一度鞘に戻すと、即座に腰の枝に持ち替えた。今ここで「勇者の剣」を使い続けるわけにはいかない。
「ミア、ナイスだ!」
「サトオ、説明は後回しだ! その娘を連れて、遺跡の出口まで一気に走るぞ! レイ、経路を確保しろ!」
「了解! 罠は全部俺が解除する、ついてこい!」
レイが先頭に立ち、バルドが俺と娘の側面を大剣で守る。俺は煙の中で彼女の小さな手をしっかりと握り直し、遺跡の瓦礫の中を駆け抜けた。
「おい、サトオ! さっきの剣、あれは一体……!」
「……説明は、外に出てからだ。今はとにかく、この娘を守り抜くことだけを考えてくれ!」
俺の言葉に、バルドが短く頷く。出口まで残り数十メートルの回廊。その時だった。
魔力炉を失った遺跡が悲鳴を上げ、頭上の天井が崩れ落ちてきた。
「危ないッ!」
巨大な岩塊が俺たちの直前で通路を塞ぐ。完全に分断された。俺とセリアは崩落の向こう側、魔力炉があった最深部の方へと押し戻されてしまった。
「サトオ!!」
「……バルド! 先に出ろ! 外へ逃げるんだ!」
「何を言ってる! 一緒に……!」
「いいから行け! 俺とこの娘は……魔法剣士の『神隠し』で裏道から出る! ここにいると全員生き埋めだ!」
俺は叫び、彼らの追及を強引に遮った。数秒の沈黙の後、「……分かった! 聖都の入り口で待ってるぞ、死ぬなよ!」とバルドの足音が遠ざかる。
ようやく、誰にも見られずに済む時間が手に入った。
「……さて」
俺は肩の力を抜き、肩に担いでいたハンマーを地面に突き立てた。先ほどまでの「魔法剣士ごっこ」は終わりだ。崩落の向こう側からは、幹部たちが瓦礫をどかしながら殺気立って迫ってきている。
「君、少し耳を塞いでろ」
俺はセリアの頭を軽く撫ぐと、周囲の魔力を一気に解放した。かつて世界を救った勇者の魔力が、遺跡中に満ち溢れる。もはや「ストーンバレット」なんて小細工は必要ない。俺が右足で床を軽く踏み抜くと、遺跡の構造そのものが俺の魔力に呼応して軋みを上げた。
「――全部、瓦礫に戻してやる」
幹部たちが姿を現した瞬間、俺はハンマーを一振りした。ただの一振り。だが、それは空間を歪めるほどの衝撃波を伴っていた。
ドォォォォォォォォォンッ!!!!
遺跡の壁が、天井が、床が、俺の意志に従って消し飛ぶ。幹部たちは悲鳴を上げる間もなく、瓦礫の渦の中に巻き込まれていった。魔法陣も、魔力炉の残骸も、彼らの野望も、俺の一撃でただの砂塵に変える。
俺は煙の中、彼女の手を引きながら、崩れゆく遺跡のど真ん中を歩いていく。足元に落ちていた大剣の破片を、無造作に踏み砕いた。
「……さて。外に出たら、どう言い訳するかだな」
彼女が俺の背中に顔を埋め、震えながらも俺の外套を離さない。俺は苦笑しつつ、崩落の先にある出口へ向けて、文字通り「道を切り開き」ながら歩き始めた。
聖都の外れ、遺跡の入り口では、バルドたちが血相を変えて待機していた。
「サトオ! 無事か!」
ミアが駆け寄ってくる。彼らの視線の先、砂塵にまみれた俺の隣には、フードを深く被ったセリアが立っていた。実際には、俺の背後には跡形もなく消滅した遺跡の残骸が広がっているが、俺はハンマーを肩に担ぎ、何事もなかったかのように軽く肩をすくめた。
「……ああ。ご覧の通りだ」
「中はどうなったんだ? 幹部たちは……あの剣は?」
「遺跡の魔力炉が暴走してな。耐えきれなくなった構造全体が自壊したんだ。幹部? ああ、瓦礫の下敷きになって、どこかへ消えたよ。運が悪けりゃ、今ごろは遺跡の土くれの一部だ」
「……あんた、本当にただの魔法剣士か?」
ミアがジロリと俺を睨みつける。その鋭い視線は、俺の服に付着した、あまりに高純度な魔力の煤を捉えていた。
「魔法剣士だよ。遺跡の崩れ方を魔力でコントロールして、脱出ルートを強制的に確保しただけだ。師匠の教えでな」
俺はそう言い捨てると、隣に立つセリアの背中を軽く押した。彼女はバルドたちの視線に怯え、俺の背中に隠れるように身を寄せている。
「それより、この娘のことだ。遺跡から拾った。事情は複雑だが……放っておくと教団がまた嗅ぎつけてくる。俺の責任で保護するが、文句はあるか?」
沈黙が流れる。バルドは俺とセリアを交互に見つめ、やがてふっと笑った。
「……文句? ああ、ないね。あんたがあれだけのことをやって、無事に生き残ったんだ。それに、あんたがその娘を守ったんだよな」
「まあな」
「なら、決まりだ。サトオ、あんたの『魔法剣士ごっこ』の正体なんてどうでもいい。だが、その娘を守る間くらいは、俺たちも背中を貸してやる」
ミアもレイも、呆れたような、しかしどこか温かい笑みを浮かべて頷いた。彼らは、俺が隠している「何か」に気づきながらも、仲間として受け入れてくれている。
「……面倒なことになった。だが、まあ、悪くないか」
俺は小さく息を吐き、聖都へ続く道を歩き出した。俺の手を握るセリアの指先に、少しずつ力がこもる。
聖都の門を潜る頃には、夜の闇が空を覆い始めていた。俺たちはギルドへの最低限の報告を済ませ、当面の寝床として路地裏の安い宿を確保する。仲間たちとは「明日の朝、ギルドで合流しよう」と告げ、それぞれの家路につかせた。
小さな部屋に帰り着くと、セリアはベッドの端に座り、じっと俺を見つめていた。俺はハンマーの手入れをしながら、心の中で溜息をつく。
明日はギルドだ。Fランクのサトオとして、目立たず、騒がれず、ただ細々と暮らす。それが俺の望みだったはずなのに、背後には魔王の娘がいて、隣には俺の正体を怪しむ仲間がいる。
「……いつまで黙っているつもり? 名も、正体も」
不意に投げかけられた言葉に、俺は手を止める。隠しても無駄だと悟り、俺は小さく肩をすくめた。
「俺はサトオ。しがない冒険者だ。ある事情でこうして放浪している」
嘘ではない。ただ、その事情に「かつての勇者の記憶」が含まれているだけだ。セリアは俺の言葉を吟味するようにじっと見つめた後、ふう、と小さく息を吐いた。
「……私はセリア。魔王の娘よ。ある『遺物』を探すためにこの国へ来たわ。追っ手から逃げる過程で、貴方に拾われた形ね。明日から、貴方の『冒険者ごっこ』に付き合うわ」
「嫌だと言ったら?」
「貴方がどれだけ隠しても、その内に秘めた『焼き尽くすような力』が、私には手に取るように分かるわ。貴方が本当に望んでいることが何なのか……私には隠せないわよ」
俺は返す言葉もなく、ただ苦笑するししかたなかった。この厄介な同居人は、俺の平穏を食い物にして楽しんでいるようだ。
俺の「魔法剣士」としての旅は、こうして、魔王の娘という最高に厄介な宝物を抱えて、新しいステージへと向かうことになった。
翌朝。
俺はセリアを連れ、再び喧騒の渦巻く聖都の冒険者ギルドへと足を踏み上げた。
扉を開けると、そこには相変わらずの怒号と、酒臭い空気が充満している。俺はセリアを背後に庇うようにして、慣れ親しんだ受付カウンターへと歩を進めた。
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