第46話「流れる時間。ジークの覚悟」
翌朝。
セレナの作ってくれた美味しい朝食を食べたあと、夜の仕事に備えて二人はそれぞれ休むことにした。
テーブルの上には、まだ湯気の残るスープと、ふわっと香る焼きたてのパン。
海と夜の交わりの余韻が残る体は少し重いはずなのに、心だけは妙に軽くて――ジークは、何度もセレナの横顔を盗み見てしまう。
名残惜しい。
けれど、夜にまた会えるのだから、と自分に言い聞かせる。
「……じゃあ、俺は一旦戻るね」
「うん。夜、待ってる」
その短い言葉だけで胸がぎゅっとなる。
ジークは笑ってうなずき、セレナの家を出た。
家に戻り、ベッドに入って目を閉じる。
……のに、眠気がまるで降りてこない。
それもそのはずだ。
頭の中が、さっきまでの“二人きりの時間”でいっぱいだった。
(ダメだ……思い出すな……!)
そう思うほど、ふわりと蘇る。声。表情。温度。匂い。
胸が勝手に熱くなって、シーツの上で寝返りを打つたび、余計に落ち着かなくなる。
結局、悶々とした気持ちのまま、ジークは枕を抱えてうつぶせになる。
(切り替えないとな……)
今日は店がある。
仕事中に顔を赤くしてる場合じゃないし、プロとしての自分も保たなきゃいけない。
そう自分に言い聞かせるように、ジークは深呼吸をひとつ。
ようやく、ゆっくりと意識が沈んでいき――なんとか眠りにつくことができたのだった。
昼過ぎまでたっぷりと睡眠を取り、ジークは軽く身支度を整えると店に向かう。
冬の空気はきりっと冷たく、頬を刺す。
けれど、歩いているだけで心が少しずつ整っていく。
(よし。仕事は仕事……!)
BAR Luminousの扉を開けると、いつもの鈴が控えめに鳴った。
「お疲れさまです、セレナさん」
「お疲れさまです、ジークくん」
目が合って、二人とも一瞬だけ、ほんの少しだけ笑みが深くなる。
今朝まで甘い時間を過ごしていた二人だが、仕事場ではプロとしての関係を保つ。
それが二人の暗黙の了解だった。
「今日もよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
淡々とした言葉の裏側で、胸だけが小さくうるさい。
それでも二人はいつものように開店準備に取り掛かり、今日も仕事がスタートする。
氷を補充し、グラスを磨き、棚のボトルを整える。
作業の音が店内に響くたび、ジークの中の“余韻”が少しずつ薄れていく。
(これでいい。これが、俺たちのやり方だ)
そして深夜。
お店の営業を終えた二人は、いつも通り、1杯か2杯のカクテルを一緒に楽しむ。
閉店後の静けさ。
照明も少し落とされ、外の喧騒が嘘みたいに遠い。
その時だけは二人だけの時間。
ジークとセレナは恋人に戻る。
帰宅するまでの間、互いと過ごす時間を大切に、ゆっくり味わうのだった。
そんな日々を過ごしセレナとの絆を深めながら、ジークは世界政府の試験勉強、アルバイトに精を出していた。
季節は流れ、年末が近づいたクリスマスの日。
セレナとは変わらず順調な関係を続けており、すでに同棲が始まっていた。
二人の生活は自然に重なり、
朝は一緒に食卓を囲み、夜は同じ灯りの下でそれぞれの“やること”を進める。
そして疲れた時は、言葉より先に、そっと寄り添う。
けれど――それでも、変わってしまったことがある。
彼女の父であるリチャードは体調を崩しがちになってしまい、冬になる前に入院を余儀なくされた。
無論、すでにお店には立てていない。
病院の白い廊下、消毒液の匂い。
面会時間の短さ。
そして、弱っていく父の姿。
カウンターに立てば気丈に振舞うセレナだが、
ひとりになると、ふとした瞬間に表情が曇る。
言葉にせずとも、胸が痛むのが伝わってくる。
ジークは隣で彼女を支え続けた。
「ジーク、ありがとう……。ジークがいてくれなかったら私……」
「セレナ、無理をしなくていいんだ。これからも俺がそばにいるから」
ジークは優しく微笑むとセレナを抱き寄せる。
セレナは小さく息を吐いて、体の力を預ける。
そして二人は唇を重ねるのだった。
――短い口づけ。
だけど、それだけで「大丈夫」と言える気がした。
「ジークさん、ちょっといいかな……」
クリスマスの翌日。
セレナと共にリチャードのお見舞いに訪れたジーク。
売店にセレナが買い物に向かったのを見計らって、リチャードが彼に声を掛ける。
病室の窓から差し込む冬の光は淡く、
機械の音が一定のリズムで響いていた。
「はい、なんでしょう?」
「ジークさんにはセレナのことをこれからも頼みたいと思っていてね。あの子は一人で抱え込んでしまうところがあるから」
リチャードは真剣な眼差しでジークを見据える。
いつものマスターとしての穏やかな笑みは薄く、代わりに“父親の顔”がそこにあった。
「もちろん、そのつもりです」
ジークは力強く答えた。
一瞬も迷わない声だった。
「そうか……ありがとう」
安心したように、リチャードが息を吐く。
そして、少しだけ間を置いてから――言葉を続けた。
「……だけどね。今日はもっと踏み込んだことを聞きたいんだ。セレナのことを、ずっと守ってやってくれないだろうか? 1人の男としてだけでなく、人生の伴侶としてあの子を幸せにしてやってほしいんだ」
リチャードはジークに真剣な眼差しを向け、頭を下げた。
ベッドの上で、それは本来なら簡単にできる動作じゃない。
それでも――“頼む”という気持ちが勝っていた。
ジークは胸の奥が熱くなるのを感じながら、深くうなずいた。
「マスター……いや、リチャードさん。俺の方からも試験に合格したら、お願いするつもりでした。娘さんを……セレナさんを俺にください。必ず幸せにします」
力強いジークの言葉を聞いてリチャードは満足そうに微笑むと、再度頭を下げた。
「ありがとう……あの子をよろしく頼むよ……。私はもう……お店には立てない。もう、長くないんだ……。自分の体のことは自分がよくわかってる……」
リチャードは自嘲気味に笑った。
その笑みが、妙に痛い。
「マスター……そんな弱気な事を言わないでください」
ジークはリチャードの手を強く握る。
冷たさに驚く。
けれどその手は、確かにまだ温かかった。
そんな彼の優しさに触れ、リチャードは嬉しそうにうなずく。
「そうだね……。あぁ、そうだとも……。孫の顔は見れないまでも……せめて、セレナの花嫁姿は見なくちゃな!」
「はい! 絶対に素敵な結婚式にします。だからそれまで長生きしてください、マスター」
「ああ……男と男の約束だ」
リチャードはジークと小指を絡めると指切りをした。
子供みたいな仕草なのに、胸が締めつけられるほど重い。
ジークは絶対に今回の試験に合格し、セレナとの結婚式を挙げ、リチャードにも参列してもらうことを決意するのだった。
年が明け、みんながゆったりとした年始を過ごすなか、ジークは試験勉強とバイトの毎日を過ごしていた。
セレナと一緒に過ごす時間を大切にしながらも、世界政府職員採用試験の一次試験に向けた準備を怠らない。
机に積まれた問題集。
書き込まれたノート。
コーヒーの香り。
そして、時折キッチンから聞こえるセレナの生活音。
“守りたいもの”が増えた分だけ、ジークは強くなる。
「兄ちゃん、ずいぶんと追い込んでんなぁ……。これまでだって筆記は問題なかったんだろ? 年始くらいゆっくりしたらどう?」
アミの作ったお雑煮を啜りながら、バラエティ番組を見ていたケインがノートを広げているジークに声を掛ける。
「いや、"1点も落とさない気持ちでいけ"って言ったのは、ケインお前だろ~? 念には念をってヤツだよ」
ジークはペンを走らせる手を止めることなく答える。
「まあ……たしかにそうだけどさ。兄ちゃんは昔っから集中すると、止まんねぇよな」
「そうだぞー! ジーク君はこう見えて意外と頑固なのだ!」
キッチンで洗い物を終えたアミもリビングに戻って来ると、2人の会話に割って入ってきた。
「ジークさん、最近本当に頑張ってるんですね~♪ あ、ジークさんの分のお餅も用意しましたよ?」
「まじか!? ありがとなアミちゃん! ちょっと休憩~♪」
目の前に焼きたてのお餅が差し出され、さっきまでの集中が嘘のようにお餅に飛びつくジーク。
「止まった……。食欲旺盛なのも昔っからだな~」
アミからお餅を受け取り、美味しそうに頬張るジークを見てケインが苦笑した。
「いや~勉強って頭使うとさ……糖分が欲しくなるじゃん? それに煮詰まると気分転換も必要だろ?」
そう言いながらもしっかり2個目の餅に手を伸ばすジークであった。
……それでも、目だけはしっかりとノートを追っている。
それに気付くケインは、テレビの笑い声の向こうで小さく息を吐いた。
(いつにも増してやる気だな兄ちゃん……。頑張れよ……)
日中は家で勉強に励み、その日の夜は同棲中のセレナの家に帰るジーク。
「おかえり、ジーク。久しぶりに帰った実家はどうだった? ゆっくり休めた?」
セレナが笑顔で出迎えてくれる。
その声を聞くだけで、肩の力が抜ける。
ジークが帰る場所はもちろんここだ。
二人でセレナが作ったおせちを食べる。
「ん~! うんまいなぁっ! やっぱセレナの作る料理は最高だな」
「うふふ♪ お口に合って良かった♪」
ニコニコと嬉しそうに笑うセレナ。
その笑顔を見ながら、ジークは改めて決意を新たにする。
(絶対に合格してみせるからな)
そして翌日からまた試験勉強に勤しむのだった。
1月の中頃――。
いよいよ一次試験当日を迎えた。




