第5話 午前2時に僕を殺しに来る男
「今夜だけは
絶対に眠らないで」
美月の手が震えていた。
十五年前の僕が
午前二時に迎えに来る。
そんな話を
信じられるはずがない。
けれど健太のスマホには
確かに着信履歴があった。
『十五年前の悠真』
「もう一度かけてみろよ」
僕が言うと
健太は画面を操作した。
通話ボタンを押す。
すると機械音声が流れた。
『おかけになった番号は
現在使われておりません』
「何なんだよ……」
健太がスマホを投げ出した。
美月は玄関を見つめていた。
「もう始まってる」
「何がですか?」
「向こうが
あなたを見つけたの」
向こう。
その言葉が引っかかった。
「十五年前の僕ですか?」
美月は頷いた。
「でもあれは
本当のあなたじゃない」
「じゃあ誰なんです?」
彼女は答えなかった。
健太が突然
僕の肩を掴んだ。
「悠真!」
「何だよ!」
「お前、今
誰と喋ってるんだ?」
僕は美月を指さした。
「ここにいるだろ!」
健太は首を振った。
「誰もいねえよ!」
その瞬間
美月が僕の腕に触れた。
健太の顔色が変わった。
「うわっ!」
「どうした?」
「お前の腕……」
僕は自分の腕を見た。
白い指の形に
皮膚がへこんでいた。
健太にも
その跡だけは見えるらしい。
「もう帰る!」
彼は玄関へ走った。
美月は止めなかった。
ただ小さく呟いた。
「今夜は
外に出ない方がいいのに」
僕はその言葉を
聞かなかったことにした。
健太が帰った後
部屋は異様に静かだった。
時計は午後七時十分。
午前二時まで
まだ七時間近くある。
「本当に僕は死ぬんですか?」
美月は首を横に振った。
「死なせない」
「質問の答えに
なってませんよ」
「分かってる」
彼女は俯いた。
「でも信じてほしい」
僕はソファに座った。
美月も隣に腰を下ろす。
「十五年前の写真に
僕が写っていた理由」
「……うん」
「美月さんが
僕を待っていた理由」
「うん」
「全部つながってるんですよね」
美月は小さく頷いた。
「だったら教えてください」
長い沈黙が流れた。
やがて彼女は口を開いた。
「十五年前」
僕は息を止めた。
「月あかりに
一人のお客さんが来たの」
「それが僕?」
「そう」
「でも僕は十三歳でした」
「分かってる」
美月は僕を見つめた。
「その人も
同じことを言ったから」
背筋が冷たくなった。
「どういう意味ですか?」
「自分はまだ
ここに来る年齢じゃないって」
彼女の声が震えた。
「その人はね
未来から来たって言ったの」
僕は笑いかけた。
冗談だと思いたかった。
でも美月は
まったく笑っていなかった。
「信じられませんよね」
「……正直に言えば」
「私も信じなかった」
美月は続けた。
「でもその人は
私しか知らないことを
たくさん知っていた」
「例えば?」
「子どもの頃のあだ名。
母の名前。
それから……」
彼女は言葉を止めた。
「私が死ぬ日」
時計の秒針が響いた。
「その人は
助けようとしたの?」
美月は頷いた。
「何度も」
「何度も?」
「でも最後は
私より先に死んだ」
僕は立ち上がった。
「待ってください」
頭が追いつかなかった。
「未来から来た僕が
十五年前に死んだ?」
「うん」
「じゃあ今の僕は?」
美月は悲しそうに笑った。
「だから怖いの」
彼女が立ち上がる。
「また同じことに
なってしまうから」
僕は何も言えなかった。
午後八時。
眠気を防ぐため
濃いコーヒーを淹れた。
美月は台所で
僕の様子を見ていた。
「砂糖入れすぎ」
「眠気覚ましです」
「甘くしたら
眠くならないの?」
「知りませんよ」
美月が笑った。
その笑顔を見て
僕も少しだけ笑えた。
「美月さん」
「なあに?」
「怖くないんですか?」
「何が?」
「僕がまた死ぬこと」
彼女はしばらく黙った。
それから
僕の胸に額を当てた。
「怖いよ」
小さな声だった。
「すごく怖い」
僕は彼女の肩に
そっと手を置いた。
「でも今回は
一人じゃないですから」
美月が顔を上げた。
「僕も考えます」
「悠真……」
「何が起きてるのか
分からないけど」
僕は彼女の手を握った。
「逃げるだけじゃ
解決しない気がする」
美月は泣きそうに笑った。
「やっぱり同じだね」
「誰と?」
「十五年前のあなた」
僕は複雑な気持ちになった。
自分と同じ顔の男。
美月が知っている僕。
その男と
彼女はどんな関係だったのか。
聞きたかった。
でも聞けなかった。
午後十時。
健太から連絡が来た。
『今どこにいる?』
『家だよ』
すぐに返信が来る。
『絶対に外へ出るな』
『分かってる』
その直後
新しいメッセージ。
『あと俺から電話が来ても
絶対に出るな』
僕は画面を見つめた。
『どういうこと?』
返信はなかった。
代わりに
着信音が鳴った。
健太からだった。
僕は美月を見た。
彼女は首を横に振る。
「出ないで」
電話は鳴り続けた。
十回。
二十回。
ようやく切れた。
すると
留守番電話の通知が届いた。
再生ボタンを押す。
『悠真』
健太の声だった。
『今すぐ逃げろ』
雑音が混じる。
『お前の部屋にいる女は』
そこで声が途切れた。
次に聞こえたのは
別の男の声だった。
『逃げるな』
僕はスマホを落とした。
その声は
僕自身の声だった。
『逃げたら
また彼女が死ぬ』
美月が僕の手を掴んだ。
「聞かないで!」
しかし音声は続いた。
『午前二時』
低い笑い声。
『今度は
どちらを選ぶ?』
録音が終わった。
僕は震える手で
スマホを拾った。
「どちらを選ぶって……」
美月は答えなかった。
ただ僕を抱きしめた。
「お願い」
彼女の声は震えていた。
「何も選ばなくていい」
午後十一時。
部屋の電気が
突然消えた。
停電ではなかった。
窓の外には
隣の建物の明かりが見える。
僕の部屋だけが
暗闇に包まれていた。
美月の姿が
ぼんやり光っていた。
「悠真」
「はい」
「私から離れないで」
僕は頷いた。
彼女の手を握る。
冷たいはずの指が
今夜は少し温かかった。
「不思議ですね」
「何が?」
「幽霊の手なのに
安心するんです」
美月は僕を見つめた。
「……嬉しい」
暗闇の中で
彼女が微笑んだ。
僕は思わず
その頬に触れた。
美月が目を閉じる。
「悠真」
「何ですか?」
「もし朝になっても
私がここにいたら」
彼女は少し迷った。
「また一緒に
朝ご飯を食べてくれる?」
僕は笑った。
「もちろん」
「私の分も?」
「トースト半分ですね」
美月が笑った。
そして
僕の胸に顔を埋めた。
僕は彼女を抱きしめた。
いつの間にか
幽霊を怖がる気持ちより
彼女を失いたくない気持ちが
大きくなっていた。
午前零時。
時計の針が重なる。
その瞬間
玄関から音がした。
コン。
コン。
コン。
誰かが扉を叩いている。
僕は息を止めた。
「誰ですか?」
返事はない。
再び三回。
コン。
コン。
コン。
美月が僕の腕を掴んだ。
「絶対に開けないで」
僕は頷いた。
すると扉の向こうから
男の声がした。
「悠真」
僕自身の声だった。
「そこにいるんだろ」
僕は動けなかった。
「美月を返せ」
美月の顔が青ざめた。
「聞いちゃ駄目」
男は笑った。
「お前は知らないだろ」
玄関のドアノブが
ゆっくり回る。
「そいつが
何人の悠真を殺したか」
僕は美月を見た。
彼女は首を振った。
「違う……」
男の声が続く。
「俺も最初は
そうやって信じてた」
扉の下から
黒い水が染み出してきた。
床を這うように
こちらへ近づいてくる。
美月が叫んだ。
「寝室へ!」
僕たちは走った。
寝室の扉を閉める。
鍵をかける。
黒い水は
廊下で止まった。
時計は午前一時五十分。
あと十分。
僕はベッドに座り
必死に目を開けていた。
美月が隣に座る。
「眠らないで」
「分かってます」
しかし
まぶたが異様に重かった。
コーヒーを飲んだのに
意識が遠のいていく。
「おかしい……」
美月が僕の頬を叩いた。
「悠真!」
「起きてます……」
「駄目!」
彼女は僕を抱きしめた。
「私を見て!」
僕は必死に
彼女の顔を見た。
美しい瞳。
震える唇。
頬を伝う涙。
「美月さん」
「なあに?」
「僕、まだ
死にたくないです」
彼女は泣きながら頷いた。
「うん」
「それに……」
僕は彼女の手を握った。
「あなたのこと
もっと知りたい」
美月の瞳が揺れた。
「悠真……」
「明日も会いたい」
彼女は僕の頬に触れた。
「私も」
その瞬間
時計が午前二時を示した。
部屋の空気が凍りついた。
美月の姿が
突然消えた。
「美月さん?」
返事はない。
僕は立ち上がった。
すると
ベッドの下から
声がした。
「遅かったな」
僕自身の声だった。
床に
黒い手が現れた。
一本。
二本。
そして
ベッドの下から
男が這い出してきた。
灰色のパーカー。
同じ顔。
同じ目。
十五年前の写真にいた
もう一人の僕だった。
男は立ち上がると
僕を見て笑った。
「やっと会えた」
僕は後ずさった。
「お前は誰だ……」
男は首を傾げた。
「俺か?」
そして
ゆっくり答えた。
「美月が最初に愛した
悠真だよ」
僕は息を止めた。
男は僕の胸を指さした。
「そしてお前は」
その指が
僕の心臓に向けられる。
「俺の代わりに
死ぬために生まれた
最後の悠真だ」




