第4話 15年前の写真に僕が写っていた
「今度こそ
あなたを死なせたくなかった」
美月の言葉を聞いて
僕は呼吸を忘れた。
腕の中の彼女は
僕の服を握りしめていた。
スマホには十五年前の写真。
美月の隣に立つ男は
どう見ても僕だった。
同じ顔。
同じ髪型。
そして今着ている
灰色のパーカーまで同じ。
「説明してください」
美月は答えなかった。
「十五年前の僕は
まだ十三歳だったんですよ」
「分かってる」
「じゃあこれは誰?」
美月はゆっくり離れた。
「知らない方がいい」
「もう無理ですよ」
僕は写真を見せた。
「これを見て
何も聞くなって言うんですか?」
彼女は唇を噛んだ。
その表情は
嘘をついているというより
何かに怯えているようだった。
「お願い」
美月が僕の手を取る。
「今夜だけは
普通に過ごしたい」
「普通に?」
「テレビを見たり
くだらない話をしたり」
僕は黙った。
「明日になったら
少しだけ話すから」
その言葉を信じていいのか
分からなかった。
それでも僕は
スマホを伏せた。
「明日ですよ」
美月は頷いた。
「約束する」
部屋の寒さが和らいだ。
僕たちはソファに座った。
テレビでは
昔の歌番組の特集が
放送されていた。
美月が突然
声を上げた。
「この曲、知ってる!」
懐かしそうに
メロディーを口ずさむ。
僕は思わず笑った。
「本当に昔の人ですね」
「失礼だなあ」
美月は頬を膨らませた。
「二十四歳なんだけど」
「十五年前の
二十四歳でしょう?」
「女の子は永遠に
二十四歳でいいの」
僕は吹き出した。
美月も笑った。
さっきまでの恐怖が
少しずつ薄れていく。
気づけば僕たちは
一時間以上も話していた。
好きな食べ物。
苦手な季節。
子どもの頃の思い出。
美月は甘い卵焼きが好きで
雷が苦手だった。
「幽霊なのに
雷が怖いんですか?」
「怖いものは怖いの」
彼女は真顔で答えた。
「悠真は?」
「僕は今のところ
幽霊が一番怖いです」
「ひどい!」
美月が笑いながら
僕の肩を叩いた。
冷たい手。
それでも
不思議と嫌ではなかった。
こんな夜が
ずっと続けばいい。
一瞬だけ
そう思ってしまった。
午前二時を過ぎた頃
美月が僕を見つめた。
「ねえ、悠真」
「何ですか?」
「私のこと
まだ怖い?」
僕は少し考えた。
「正直、怖いです」
美月は俯いた。
「でも」
僕は続けた。
「一緒にいると
楽しいとも思います」
彼女が顔を上げた。
「本当?」
「はい」
「じゃあ……」
美月は少しだけ近づいた。
「手、つないでもいい?」
僕は右手を差し出した。
彼女の指が重なる。
冷たい。
けれど
胸の奥は温かかった。
美月は嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
その笑顔を見た瞬間
僕の心臓が速くなった。
幽霊相手に
何を考えているんだ。
自分でも呆れた。
でも手を離したくなかった。
「悠真」
「はい」
「私ね」
美月は小さく息を吸った。
「こうして誰かと
手をつなぐのが夢だった」
「生きていた頃は?」
「もちろんあったよ」
彼女は遠くを見るように
目を細めた。
「でも最後の夜は
誰も手を握ってくれなかった」
僕は言葉を失った。
美月はすぐに笑った。
「ごめん。暗い話だね」
「謝らなくていいですよ」
僕は彼女の手を
少し強く握った。
美月は驚いた顔をした。
それからゆっくり
僕の肩に頭を預けた。
しばらく
二人とも何も話さなかった。
午前三時。
美月が小さく呟いた。
「悠真の心臓の音
好きだな」
「聞こえるんですか?」
「うん」
彼女は僕の胸に
耳を当てた。
「生きてる音がする」
その言葉が
なぜか胸に刺さった。
「美月さんには
聞こえないんですか?」
彼女は首を横に振った。
「もう鳴らないから」
僕は彼女の背中に
そっと手を回した。
すると美月は目を閉じた。
「温かい……」
その声は泣きそうだった。
僕は何も言わず
彼女を抱きしめた。
その夜
僕たちは初めて
抱き合ったまま
朝を迎えた。
目覚めると
美月の姿は消えていた。
けれど枕には
甘い花の香りが残っていた。
僕はスマホを手に取った。
健太から何件も
メッセージが届いていた。
『昨日の写真の件
調べてみた』
『昔の旅館の写真
他にも見つかった』
『でもおかしい』
最後のメッセージは
午前四時十二分。
『悠真、電話できるか?』
僕はすぐに電話した。
三回目の呼び出しで
健太が出た。
「お前、今どこ?」
「家だけど」
「一人か?」
僕は迷った。
「今は一人」
健太は深く息を吐いた。
「昨日の写真な」
「うん」
「あれ、加工じゃない」
僕は黙った。
「古い資料とも比べた」
「それで?」
「男の顔だけじゃない」
健太の声が震えた。
「服の傷まで
今のお前と同じなんだろ?」
「そうだよ」
「じゃあ聞くけど」
健太は一度言葉を切った。
「そのパーカー
いつ買った?」
僕は考えた。
「去年の冬だけど」
「だよな」
「何が言いたい?」
「その写真が撮られたのは
十五年前だ」
分かっている。
そんなことは
何度も考えた。
「でもな」
健太は続けた。
「もっと変なのがある」
新しい画像が届いた。
同じ旅館の写真だった。
ただし今度は
スナックの店内。
カウンターには
美月が立っていた。
その向かい側に
男が座っている。
僕だった。
しかも写真の中の僕は
美月の手を握っていた。
「何だよ、これ……」
「俺にも分からん」
健太は声を落とした。
「でも写真の説明に
名前が書いてあった」
僕は画面を拡大した。
写真の下に
古い手書きの文字がある。
『月あかり最終営業日』
その下に二人の名前。
『美月と悠真』
僕の指が止まった。
「同姓同名じゃ……」
そう言いかけたとき
写真の中の美月が
こちらを見た気がした。
僕は目を擦った。
もう一度見る。
彼女はカウンターで
笑っているだけだった。
「悠真?」
健太の声が聞こえる。
「大丈夫か?」
「……大丈夫」
僕は嘘をついた。
電話を切り
洗面所へ向かった。
冷たい水で顔を洗う。
鏡を見た。
いつもの自分。
そう思った。
しかし何かがおかしかった。
僕が右手を上げる。
鏡の中の僕も動く。
次に左手を上げた。
鏡の中の僕は
動かなかった。
「え……?」
もう一度左手を上げた。
今度は動いた。
ただし一秒ほど遅れて。
心臓が跳ねた。
鏡に顔を近づける。
すると鏡の中の僕が
先に瞬きをした。
僕は後ずさった。
その瞬間
鏡の中の僕が
ゆっくり笑った。
僕は笑っていない。
なのに鏡の中の男は
口元を歪めていた。
そして唇だけを動かした。
声は聞こえない。
けれど何と言ったのか
なぜか分かった。
『また会えたな』
僕は洗面所を飛び出した。
玄関の鍵を確認する。
窓も閉まっている。
部屋には誰もいない。
それでも
誰かに見られている
気がしてならなかった。
昼過ぎ。
僕は仕事を休んだ。
体調が悪いと連絡すると
上司は心配してくれた。
「最近疲れてるんじゃないか」
「すみません」
「ゆっくり休めよ」
電話を切った。
ソファに座る。
昨夜まで
あんなに楽しかったのに。
今は恐怖しかなかった。
美月は何者なのか。
写真の男は誰なのか。
そして鏡の中の僕は
何だったのか。
午後六時。
玄関のチャイムが鳴った。
健太だった。
「心配だから来た」
僕は彼を部屋に入れた。
二人で写真を見直す。
「やっぱりおかしいよな」
健太が呟く。
「なあ、悠真」
「何?」
「お前、最近
変な夢とか見ない?」
僕は首を横に振った。
「じゃあさ」
健太はスマホを見せた。
「これ、見覚えある?」
画面には
十五年前の新聞記事。
小さな見出しがあった。
『温泉旅館の女性従業員が
行方不明』
記事には
美月の名前が載っていた。
当時二十四歳。
最後に目撃されたのは
スナック月あかり。
閉店後の午前二時頃。
「これが美月さん?」
僕が聞くと
健太は頷いた。
「でも変なんだ」
「何が?」
「この事件の翌日
旅館は突然休業した」
「それは聞いた」
「問題はその後だ」
健太は画面をスクロールした。
「旅館の従業員が
一人ずつ辞めてる」
「事件があったからだろ」
「違う」
健太の顔が青ざめた。
「辞めたんじゃない」
僕は息を呑んだ。
「全員、行方不明になってる」
部屋が静まり返った。
「そんな事件
ニュースになっただろ」
「なってないんだよ」
健太は首を振った。
「記録には
退職って書かれてる」
「じゃあ何で
行方不明って分かる?」
「家族が探してた」
古い掲示板の画像。
そこには
従業員を探す家族の投稿が
いくつも残っていた。
『夫が帰ってきません』
『娘と連絡が取れません』
『最後に旅館へ行ったきり』
僕は背筋が凍った。
「美月さんだけじゃ
なかったのか……」
健太は黙って頷いた。
そのとき
玄関の方から
小さな音がした。
カチャ。
鍵が回る音。
僕たちは同時に
顔を上げた。
「誰か来た?」
健太が聞く。
「いや……」
玄関には誰もいない。
鍵も閉まったままだ。
しかし
廊下の奥から
甘い花の香りが漂った。
僕には分かった。
美月だ。
「悠真」
健太が震える声で言った。
「今、誰かいるだろ」
僕は答えられなかった。
健太はゆっくり立ち上がる。
「帰るわ」
「おい、待てよ」
「悪い。無理だ」
健太は玄関へ向かった。
その瞬間
廊下の照明が消えた。
真っ暗になった部屋に
女の声が響いた。
「その人を帰して」
美月の声だった。
健太が悲鳴を上げる。
「誰だ!」
僕は廊下へ走った。
そこに美月が立っていた。
いつもの白いブラウス。
赤い花柄のスカート。
けれど笑っていなかった。
「美月さん!」
僕が呼ぶと
彼女は僕を見つめた。
「その人、危ないよ」
「健太が?」
美月は頷いた。
「私のことを調べたから」
健太は何も見えていない。
ただ震えながら
僕の方を見ていた。
「悠真、誰と話してる?」
僕は答えられなかった。
美月が僕に近づいた。
「お願い」
彼女の目に涙が浮かぶ。
「これ以上
誰も巻き込まないで」
「何が起こるんですか?」
美月は唇を噛んだ。
「十五年前と
同じことが起こる」
その瞬間
健太のスマホが鳴った。
画面には
知らない番号。
健太は震える手で
電話に出た。
「もしもし……」
数秒後
彼の顔から血の気が引いた。
「……誰だよ」
僕は健太を見た。
「どうした?」
健太は電話を切った。
そして僕に
スマホを見せた。
着信履歴には
番号が表示されていなかった。
代わりに
発信者名があった。
『十五年前の悠真』
僕は息を止めた。
健太が小さく呟いた。
「電話の男が言ってた」
「何て?」
「お前の隣にいる女を
絶対に信じるなって」
僕は美月を見た。
彼女は青ざめていた。
健太は続けた。
「それから……」
彼の声が震えた。
「今夜の午前二時に
お前が一度死ぬって」
僕は動けなかった。
美月が僕の手を握った。
その指は
今までで一番冷たかった。
そして彼女は
泣きそうな声で言った。
「お願い、悠真」
「何ですか?」
「今夜だけは
絶対に眠らないで」
僕は時計を見た。
午後六時四十七分。
午前二時まで
あと七時間十三分。
美月は僕の手を
強く握りしめた。
「眠ったら最後……」
彼女の頬を
涙が伝った。
「十五年前のあなたが
迎えに来るから」




