第13話 地下000号室で本当の僕が待っていた
『僕の夢を
終わらせて』
地下の奥から聞こえたのは
幼い頃の僕の声だった。
手の中には
母が残した銀色の鍵。
持ち手には
『000』の数字。
「行こう」
僕が言うと
美月は強く頷いた。
結衣は僕たちを見て
小さく手を振った。
「階段を下りたら
絶対に振り返らないで」
「結衣は来ないの?」
美月が尋ねる。
結衣は首を振った。
「私はここで待ってる」
「でも……」
「大丈夫だよ」
少女は笑った。
「今度はちゃんと
お姉ちゃんを待てるから」
美月の目から
涙がこぼれた。
僕は結衣に近づいた。
「必ず戻ってくる」
そう言いかけると
少女が首を振った。
「約束しなくていいよ」
僕は口を閉じた。
「もう約束のせいで
苦しまなくていい」
結衣は微笑んだ。
「お兄ちゃんが
どうしたいかで決めて」
僕は頷いた。
そして美月の手を握り
廊下へ出た。
地下への階段は
ロビーの奥にあった。
従業員専用と書かれた
錆びた扉。
美月が押すと
重い音を立てて開いた。
階段の下から
冷たい風が吹き上がる。
一段。
また一段。
僕たちはゆっくり
暗闇へ下りていった。
背後から
足音が聞こえた。
僕たちとは違う
小さな足音。
「悠真」
美月が囁いた。
「聞こえる?」
僕は頷いた。
「振り返らないで」
二人で前を向いたまま
階段を下り続けた。
すると背後から
懐かしい声がした。
「悠真、待ちなさい」
母の声だった。
僕は思わず
振り返りそうになった。
美月が手を握り直す。
「駄目」
「でも母さんが……」
「お母さんは
もう鍵を渡してくれた」
その言葉で
僕は足を止めずに済んだ。
声は何度も
僕の名前を呼んだ。
やがて母の声は
健太の声に変わった。
次に翔太。
そして最後は
美月の声になった。
「悠真、置いていかないで」
僕は隣を見た。
本物の美月は
僕の手を握っていた。
彼女も震えていた。
「行こう」
僕たちは階段を下りた。
ようやく最下段に着く。
そこには
長い廊下があった。
壁には古い写真が
何十枚も飾られていた。
僕は一枚に目を向けた。
スナック月あかり。
カウンターで笑う美月。
隣には僕がいた。
次の写真にも
同じ二人が写っていた。
ただし僕の服が違う。
その次も。
さらにその次も。
何枚もの写真に
別々の僕が写っていた。
「こんなに……」
美月が呟いた。
僕は写真を数えた。
一枚。
二枚。
三枚。
全部で七枚。
最後の写真には
今の僕が写っていた。
美月と初めて
手をつないだ夜の写真。
誰が撮ったのか
分からなかった。
「僕たちの人生が
記録されてるんだ」
美月は頷いた。
「みんなここに
戻ってきたんだね」
僕は写真を見つめた。
何度も恋をして
何度も失った。
そして
また同じ場所へ戻る。
「もう終わらせよう」
僕が言うと
美月は僕を見た。
「うん」
廊下の突き当たりに
小さな扉があった。
扉には
『000』の数字。
僕は鍵を差し込んだ。
カチャ。
驚くほど簡単に
鍵が回った。
扉を開ける。
そこは
病室のような部屋だった。
白い壁。
古いベッド。
天井から下がる
小さな電球。
そしてベッドの上に
一人の少年が眠っていた。
十三歳の僕だった。
「……僕だ」
少年の顔は
昔の写真と同じだった。
頬は青白く
目を閉じている。
胸は動いていなかった。
美月が僕の隣に立つ。
「この子が……」
「最初の僕です」
僕はベッドに近づいた。
少年の手に触れる。
氷のように冷たかった。
その瞬間
部屋の電球が点いた。
「やっと来たね」
少年が目を開けた。
僕は息を呑んだ。
「起きてたの?」
少年はゆっくり
身体を起こした。
「ずっと待ってた」
その声は
確かに昔の僕だった。
「僕を?」
少年は頷いた。
「最後の僕を」
僕はベッドの横に座った。
「聞きたいことが
たくさんあるんだ」
少年は笑った。
「知ってる」
「どうして僕たちは
何度も生まれたの?」
少年は少し考えた。
「怖かったから」
「何が?」
「死ぬこと」
その答えは
あまりにも普通だった。
少年は続けた。
「結衣ちゃんを
助けられなくて」
彼の声が震えた。
「僕も死んじゃって」
小さな手が
シーツを握りしめる。
「まだやりたいことが
いっぱいあったんだ」
僕は黙って聞いていた。
「大人になりたかった」
少年は僕を見た。
「友達と遊んで
仕事をして」
そして少し照れたように
笑った。
「好きな人と
恋もしてみたかった」
僕の胸が熱くなった。
「それで願ったんだ」
少年は天井を見た。
「もう一度
生きたいって」
部屋の壁が
ゆっくり黒く染まり始めた。
あの声が響く。
『私は叶えてやった』
少年は首を振った。
「でも違った」
『何が違う』
「僕が欲しかったのは
こんな人生じゃない」
黒い染みが揺れた。
『お前は生きた』
「うん」
少年は頷いた。
「でもみんな
最後は苦しんだ」
僕は少年を見つめた。
「どうすれば
終わらせられる?」
少年は静かに答えた。
「僕が願いを
取り消せばいい」
美月が息を呑んだ。
「そんなこと
できるの?」
「できるよ」
少年は頷いた。
「でも条件がある」
僕は身構えた。
「何?」
少年は僕を見た。
「最後の僕が
本当に生きたいって
思っていること」
意味が分からなかった。
「僕は生きたいよ」
「本当に?」
少年は尋ねた。
「誰かの代わりじゃなくて?」
僕は黙った。
「美月さんを
助けるためだけじゃなくて?」
胸が痛んだ。
「自分のために
生きたいって思える?」
僕は答えられなかった。
これまでずっと
誰かを助けることばかり
考えていた。
結衣を救いたい。
美月を守りたい。
母に会いたい。
でも自分が
どう生きたいのか。
考えたことがなかった。
美月が僕の手を握った。
「悠真」
彼女は微笑んだ。
「私はね」
少し照れたように
目を伏せた。
「あなたと海に行きたい」
僕は彼女を見た。
「それから?」
「一緒にご飯を食べて」
美月は続けた。
「くだらないことで笑って」
彼女の目に涙が浮かぶ。
「普通に喧嘩もしてみたい」
僕は思わず笑った。
「喧嘩ですか?」
「うん」
美月も笑った。
「仲直りもしてみたい」
僕は彼女の手を
強く握った。
「僕もです」
その瞬間
胸の奥が温かくなった。
「僕も美月さんと
普通に暮らしたい」
少年が微笑んだ。
「それが答えだよ」
壁の黒い染みが
激しく揺れた。
『認めん』
低い声が響く。
『お前たちの命は
私の願いの中にある』
少年はベッドから下りた。
「違うよ」
『何だと』
「僕たちの人生は
僕たちのものだ」
その言葉と同時に
部屋の床が震えた。
黒い水が
四方から溢れ出す。
美月が僕にしがみついた。
「悠真!」
少年は僕を見た。
「最後に一つだけ」
「何?」
「僕の手を握って」
僕は手を伸ばした。
小さな手が
僕の手を握る。
その瞬間
頭の中に
七つの人生が流れ込んだ。
最初の仕事。
初めての失恋。
友達との旅行。
美月と出会った夜。
初めて抱きしめた日。
何度も繰り返した別れ。
そして
誰にも覚えてもらえず
一人で消えていく自分。
僕は涙を流した。
「こんなに……」
少年が頷いた。
「みんな生きたかった」
僕は強く手を握った。
「分かった」
そして
ゆっくり言った。
「もう誰の人生も
無駄にしない」
少年が笑った。
「ありがとう」
彼の身体が
白い光に包まれた。
黒い水が
一斉に引いていく。
天井の声が叫んだ。
『やめろ!』
少年は目を閉じた。
「僕の願いを
終わらせます」
その瞬間
部屋が真っ白になった。
僕は美月を抱きしめた。
「離れないで!」
「うん!」
光の中で
少年の声が聞こえた。
『幸せになってね』
そして
すべての音が消えた。
どれほど経ったのか
分からない。
気づくと僕は
旅館のロビーに倒れていた。
窓から
朝日が差し込んでいる。
「……美月さん?」
隣には
彼女が眠っていた。
僕は急いで
肩を揺すった。
「美月さん!」
彼女が目を開ける。
「悠真……?」
僕は息を吐いた。
「よかった……」
美月は身体を起こした。
そして
驚いた顔をした。
「私……」
彼女は胸に手を当てた。
「心臓が動いてる」
僕も胸を押さえた。
確かに鼓動がある。
二つではない。
一つだけ。
自分の心臓だった。
「終わったんですか?」
美月は周囲を見回した。
黒い水は消えていた。
旅館の空気も
不思議と明るかった。
僕たちは立ち上がった。
玄関へ向かう。
すると
ロビーの奥に
小さな少女が立っていた。
結衣だった。
「お姉ちゃん」
美月が駆け寄る。
「結衣!」
少女は笑っていた。
「ありがとう」
美月が抱きしめようとする。
しかし
その手は結衣をすり抜けた。
「結衣……?」
少女は首を振った。
「私はもう行くね」
美月の目から
涙がこぼれた。
「待って……」
結衣は微笑んだ。
「今度は寂しくないよ」
そして僕を見た。
「お兄ちゃん」
「何?」
「約束、守ってくれたね」
僕は首を振った。
「遅くなってごめん」
結衣は笑った。
「ううん」
小さな身体が
光に包まれていく。
「二人とも
幸せになってね」
美月が泣きながら叫んだ。
「結衣!」
少女は最後に
大きく手を振った。
そして消えた。
ロビーに
静けさが戻った。
美月は泣き続けていた。
僕はそっと
彼女を抱きしめた。
「帰りましょう」
美月は頷いた。
「うん」
僕たちは手をつないで
旅館の外へ出た。
朝の空気が
驚くほど温かかった。
僕はスマホを取り出した。
健太に電話する。
数回の呼び出し。
「もしもし」
「健太!」
「……悠真?」
僕は息を止めた。
「覚えてるのか?」
「何言ってんだよ」
健太が笑った。
「昨日から
連絡取れなかっただろ」
僕は泣きそうになった。
「……よかった」
「お前、大丈夫か?」
「うん」
僕は美月を見た。
彼女は笑っていた。
「全部終わったよ」
電話を切る。
空を見上げる。
青い空。
眩しい太陽。
僕は初めて
本当に生きていると
感じた。
美月が僕の腕に
そっと寄り添った。
「ねえ、悠真」
「何ですか?」
「海、行こうね」
僕は笑った。
「もちろん」
彼女は嬉しそうに
頷いた。
その瞬間
僕のスマホが震えた。
知らない番号から
一通のメッセージ。
『おめでとう』
僕は画面を見つめた。
続けて
もう一通届いた。
『願いは確かに
取り消された』
背筋が冷たくなった。
そして
最後の文章。
『ただし』
僕は息を止めた。
『願いが消えれば
願いによって生まれた命も
消えるはずだ』
僕は美月を見た。
彼女は笑っている。
温かい手。
確かな鼓動。
なのに
スマホには
新しいメッセージが届いた。
『なぜお前たちは
まだ生きている?』
その瞬間
美月が僕を見た。
そして
僕の知らない声で
小さく呟いた。
「……やっと
二人になれたね」




