満員御礼-キャパオーバー-
小学生の頃の自由研究でアリの観察をしたことを覚えている。土のうえにいくつかの食べ物を置き、何に一番アリが群がるのかを調べる研究だ。
甘い果物が特に人気で、どこに潜んでいたのかとびっくりするくらいにアリたちが行列を作っていたな。子供ながらに興味津々で、せっせと働くアリたちの姿を飽きもせず眺めていたっけか。
そんなひと夏の記憶を思い出す光景だった。
『っしゃあ! 恩恵出たぜオイ! ……で、なんだコレ』
『おい割り込もうとしてんじゃねぇぞダボが!』
『ガキは下に降りてくんな! 死にてぇのか! 誰も助けてやらねぇぞ!』
『あたしゃあの足掛け車輪が欲しいんだよ!』
『倒し終わったやつは一旦下がれー。あとがつっかえてんだからなー』
『アンタ灰石級じゃねーか。一階層で粘ってないで下いけよ』
『おい! 灰石級以上で死んだやつぁ一旦支部に戻れよ! ルーキー同然の実力で降りてこられても迷惑だっつの!』
『おいっ、その服とこれを交換してくれねぇか?』
『こ、これは弟にプレゼントするので駄目です……』
『魔物出てこねぇぞおらァ!』
『枯れるの早すぎんだろォ!』
もしもあの時アリの声が聞こえていたとしたら、あるいはこんな会話を繰り広げていたのだろうか。
そう考えると名状しがたい感慨深さがあるが、あいにくと今は勤務中なので感傷に浸っていられる時間は限られている。
こちらが丹精込めて用意した甘いモノに群がってくれたのなら、追加の餌を補充せねばなるまいて。
「ゲロルグさん苦情出てるよ。二階層にレッサーリザードとポイゾナスゲッコーの追加よろしく。数は十と三ずつくらいかな。恩恵は服を一つでいいよ」
「ま、待って欲しいゲロ……いま一階層の補充をしてて――」
「なら今はこっちでやっとくよ」
右手で現状の問題点を洗い出したメモを作成しつつ、左手でメニューを操作して魔物を呼び出す。初めは宙に浮くタッチパッドのような端末に肝を抜かれたが、慣れてしまえばお馴染みのキーボード操作とさして変わらない。
履歴タブを押して魔物を選択。数量調節ボタンを押して数を選択。そのうちの一体に恩恵を設定。服は……女性用のものでも出してみようかな。ターゲット層を広げるのもマーケティングの基礎基本だ。
呼び出す位置はデフォルトでいい。初期位置は割と常識的な範囲を選択してくれる。少なくとも探索者の群れのど真ん中や上空にポンと呼び出すことはない。決定を選択して呼び出し完了。
「とりあえずやっておいたから今のうちに次に備えておいてね」
「な、なんでほとんど画面を見ずに操作できるゲロ!?」
「ブラインドタッチなんて普通だよ普通。画面の情報を見るんじゃなくて、UIの配置を把握したほうがいい。後は指に感覚を覚えさせれば八割方は画面を見なくても操作できるよ」
要はタイピングと同じだ。初めはどこにどのキーがあるか分からずたどたどしい手つきになってしまうが、慣れさえすればピアノ奏者のように軽快な指捌きで操作することができる。
最近はファストフードのチェーン店や小売店のセルフレジなんかでタッチパネルを操作する機会も多かった。どうすれば時間をロスすることなく会計を済ませられるか考えてたから割と慣れてるんだよね。
『セットにこちらの商品はいかがですか?』の画面を最速で飛ばすことには自信があったりする。流れ作業は身体に覚えさせるのが最も手っ取り早い。
「どうしてたった一日でそんなに覚えられるんでゲロ!?」
「地球にも似たようなシステムがあったのが大きいかな。履歴タブを開いておくと操作の手間が減るからオススメ。ルーチンワークはどれだけ時間を短縮できるかを意識すると楽しいよ。昨日は五分かかったから今日は四分三十秒で終わらせよう、って感じにね」
「が、がんばるげろ……」
ゲロルグさんは自信なさげに返事をしつつも、ブラインドタッチ習得に向けて指を動かし始めた。
しかし焦りが先行しているのかうまく操作できていない様子。
「ゲロ……やっぱりこのパネルを押す方式は慣れないゲロよ……」
「うん? まさか、昔は違ったの?」
「前は記載式だったゲロ。その前は念じる方式で、最初は声に出す必要があったと聞いてるゲロ」
「……このタッチパネル式に変わったのっていつ頃?」
「ゲロ……たしか三十年前くらいだった、ゲロ?」
タッチパネル式が地球でいつ頃に発明されたのかは知識にない。だが、僕が物心ついた頃から銀行のATMや駅の券売機には採用されていた。
ビジネスに広く使われだした時期と概ね一致する。僕が召喚されたことで神とやらが地球に干渉できることは判明していたが――まさか、結構昔から地球を監視していたのだろうか。
「参ったな……内心、神なんているわけないって思ってたからバチでも当たったのかな?」
「唐突に何を言い出すゲロ……?」
「お祈りを日課に加えたほうがいいか悩んでただけだよ」
「意味の分からないことを言ってないで手伝ってほしいゲロ!」
おっといけない、まさにその通りだ。
『口を動かしてないで手を動かせ』という言葉を全面的に肯定するわけではないが、雑談も過ぎれば社内の緊張を欠く要因となる。集中しなければ。
総魔力の推移を確認する。現在時点で24万近くか。
ふむ……昨日とは比較にならない数の探索者が押しかけているのに思うように回収が進んでいない。客単価の低下は軽視できない問題だ。原因の究明と改善は急務である。
僕はイエローとグレイが持つカウンターの数字を見た。
倒した数は黄土級が19に対し、灰石級が4……二階層の回収が渋すぎる。二階層は今も探索者が四十人近くひしめいているというのに、まともに会計を済ませてくれたのは約一割という現実に辟易する。
帰還率九割は……明らかに損だ。魔物と恩恵を絶えず供給していたらこちらが必ず割を食う。客寄せに腐心するあまり収益を上げることをおざなりにしては本末転倒だ。
早急に帰還率を下げねばならない。探索者がしぶとく生き残っている理由を探るためモニターに目を向ける。
そこに映っていたのは――
『恩恵欲しさに突っ込みすぎるなよ! 倒したらすぐにどけ! 後続が控えてるんだからな! 毒食らったやつは今日はおとなしく引いとけ! 死んだらまた一階層からやり直したぞ!』
昨日も陣頭指揮を執っていた若草級の男……こいつが、言わば"財布の紐"だ。
彼が集団全体を統率しているせいで乱れが生まれない。未知の恩恵を前にして我先にと逸る人らを冷静に捌いているのだ。
また、これだけの大人数がいるせいでスティッキースラグによる闇討ち戦法が使えないのも痛い。あれは上位の探索者すら不意打ちで倒せる切り札になり得る。衆目に晒すのは避けたい。
……分断工作は必須か。メニューを操作しながら立ち上がる。
「ゲロルグさん、ちょっと提案があるんだけど」
「今忙しいゲロ〜!」
「なら手を動かしつつ耳だけで聞いておいて。現状、探索者が固まって動いてるからなかなか陣を切り崩せないんだよね。財布の紐を締める役の男が一人いるせいで売上が渋いっていうかね。だからまずは戦力を分散させたい。そこで相談なんだけど、三階層の部屋を五つくらいに増やしてもいいかな? 競争心を煽ってやれば人をバラけさせられると思うんだ」
「任せるゲローっ!」
任された。ダンジョンを拡張するメニューを操作して小部屋を追加する。降りる用の階段敷設と合わせ、かかる魔力は21,000P。それを四つで84,000P。
総魔力量の三分の一を投下することになるが、設備投資が無駄になることはないのはこれまでの就労経験で身に沁みている。"資産"を"物質"へと変えるだけだ。
計四つの階段を二階層奥の壁に接続。下りた先に小部屋を設定。これで三階層へと降りる入り口が五つとなった。
『な、なんだ!?』
『急に階段が開いたぞっ!』
『やはり……このダンジョンは成長している……?』
戦力を分散させる手筈は整った。後はほんの少し彼らの背を押してやるだけだ。
ダンジョン内へは声を届けられる。声量を最小に絞り、音の発信源を探索者の群れの中へと設定。凪いだ湖面に雫を一滴垂らすかのようにささやく。
『これ、いま降りたら未知の恩恵が手にはいるんじゃねぇ かな』
波紋が広がる。探索者たちの顔つきが変わる。離れたところでモニターしている僕でも分かるくらいに空気が変容した。火種を注いだ鉄火場の如き熱が行場を求めて渦を巻く。
そして数瞬の間を置いて熱が弾けた。
『俺は一番左に決めたッ!』
『チッ、抜け駆けなんてさせねぇぞ!』
『ここで行かなきゃ探索者じゃねェ!』
『俺たちも乗り遅れるな!』
『……待って、落ち着いて。私たちは残ろう……二階層が手薄になる。むしろ残ったほうがチャンスを掴めるわ』
『馬鹿どもが……っ! おいてめぇら、恩恵を見つけたら隠さず報告しろよ! それだけは守れ! 後はもう好きに暴れろッ! 俺も行くぞ!』
まるで導くかのように口を開けた階段を見て、探索者たちは蜘蛛の子を散らすように三階層へと走り出した。
これには若草級の男も指揮を放棄した様子。直属の部下と思しき灰石級の男三人とともに真ん中の階段を駆け下りていった。
「いやはや、こりゃすごい熱量だねぇ」
ダンジョンという不可思議な現象が生活と密接に結びついている世界。
未知はけして尽きることがなく、たとえ目の前に開いているのが地獄へ続く道だとしても、その先に存在するかもしれない甘露を求めて人々は列を成してゆく。
あらゆる現象が科学のもとに暴かれた現代地球ではお目に掛かれない光景だろう。貿易で巨万の富を築くため、死をも厭わず大海原へと乗り出した大航海時代のヨーロッパも……あるいはこの熱にあてられたのか。
そう考えると多少なりとも心が弾む。僕がいま見ているのは、もはや体験すること叶わぬ金鉱脈発見と開拓の瞬間なのかもしれない。歴史書や再現映像による追体験では得ることのできない躍動が確かにあった。
「ハジメ様、感心してないで手伝ってほしいゲロー!」
「いまさっき注意されたばっかりだからね。手は動かしてるから安心してよ」
しかしながら、今の僕の仕事は金鉱脈に群がる彼らを適度に間引くことである。
「三階層ではセダクティブスネイクを出していく。若草級が複数で討伐にあたる魔物だ。今の彼らには厳しい相手になるだろうね」
セダクティブスネイク。混乱、幻惑、魅了、前後不覚といった症状に陥る魔法を使う、人と蛇が一体になったような魔物だ。三半規管でも狂わせているのだろうか。
一体12,000P……12レッサーリザードと値段は張るが、それでも灰石級の一行を壊滅させてくれればお釣りが来る。
『セダクティブスネイクだと……? 今の俺たちでやれるか……?』
『さっきまで二階層でやれてたんだぜ? 結構な量の魔物も倒したし、抵抗力だって上がってるはずだ』
『……そうだな。行くぞッ!』
油断したところで追加のレッサーリザードを投入。これで数的有利は消えて状況はイーブンだ。
『んだとぉ!?』
『落ち着け! 恐らく幻惑だ!』
『……幻惑じゃねえ!』
『うあああッ! 助けてくれェ!』
パニックに陥った探索者が壊滅し、最後に残っていた一人が冷静に撤退しようとしたところへ上空からスティッキースラグを落として捕獲。すっ転んだところをレッサーリザードが介錯して終了。
「討伐数は灰石級が8。入ってきたのは……約22万近く。すごいな……設備投資の元がもう取れちゃったよ」
「おおっ! なら、このままあの若草級もやるでゲロか!?」
「……いや、彼はやらない。彼にはもっとたくさんの人を呼び込むための広告塔になってもらう。他にも意図的に成功者を選ぼうか。ビギナーにも旨味を与えて新規参入のハードル下げと射幸心の醸成を狙ったほうがいい」
「よ、よくわからないけど任せたゲロ……」
任された。本当は魔物の呼び出しはゲロルグさんに一任したいのだが、人件費を切り崩して新体制を提案した以上はこちらもいくつかタスクを抱えなければ。
「実力が抜きん出てる若草級の一行は生かす。二階層で堅実に稼ごうとしてる女性の一団も生かす。三階層に進んだ中でランダムな一組を生かす。他は魔力になってもらおうか」
「選定基準はなんでゲロ?」
「強ければ生き残れる。コツコツやっても生き残れる。考えなしでも運がよければ生き残れる。これだけ成功例が多いと『自分でもどれかに当てはまる』って考えてもっと多くの人がダンジョンに足を運んでくれると思うんだよね。バイアスを利用する。当面の帰還率は四割を下回るくらい強気でも十分だと思うよ。で、いま生かした人たちも実ってきたら刈り取りたいね。一度美味しい思いをしたらそう簡単に離れないだろうし、機を見てやっちゃおうか」
「重ねて聞くゲロが、本当に元の世界で普通の生活をしていたのでゲロか?」
「重ねて言うけど普通だよ」
普通と言い続ければ普通になる。相手に対しても、そして自分に対しても。そういうものだ。普通だよ普通。
恩恵はどうしようか。若草級の男には腕時計をプレゼントしよう。安物だけどね。
三階層に突撃した運のいい集団には頑丈なバックパックと先芯の入った安全靴をプレゼントだ。
女性たちには何をプレゼントしようか……。香水とか髪染め、フライパンに包丁とかでいいか。反応を見るために多めに設定。これでよし。
「中々の反応だね。これならもう少し粘ってくれそうかな?」
「ゲロはそろそろ疲れてきたゲロ……」
おっと忙しくてすっかり時間を忘れていた。スマホの電源ボタンを押して現在時刻をさっと確認する。
「ん、もう十二時か……よしじゃあ休憩にしよう。魔物呼び出し一時中断で〜」
魔物を呼び出すメニューから食事へとタブを切り替える。BLTサンドでいいかな。あんまり重いものを食べたら後に響く。
「えっ、急に休むゲロか!?」
「十二時から十三時までは休憩の時間にしよう。働き通しは必ずどこかで無理が出る。効率ってのは総和だからね。休憩すら取ってる暇がない、なんてのは僕に言わせれば愚の骨頂も甚だしいよ。休憩時間ではしっかりと食事を採って午睡に励む。それが社会人の普通だ」
「いやでも……探索者たちが暇してるゲロ……」
宙に浮く複数のモニターからは魔物を求める探索者たちの怒号が響いている。
だが知ったことではない。僕はモニターの音量を下げた。早出も残業もするが、休憩時間の確保は絶対に譲らない。十二時から十三時の間は客先に連絡を控えるのは常識だよ。
「いいんでゲロか……?」
「"このダンジョンは昼間に魔物が出てこなくなる時間が発生する"って認識させよう。毎日決まった時間に起きる現象だって理解すれば適当に納得するでしょ」
「ううむ……」
「それより休める時に休んでおきなよ。一時間後には業務再開だからね。……ごちそうさまでした。それじゃ僕寝るから」
「えっ」
メニューから机用の枕を購入。1,998Pか、経費で落ちるな。
首を痛めないよう位置を調節する。うん、良い心地だ……。
「本当に寝ようとしてるゲロ……」
「あっ、一つ言い忘れた」
「ゲロっ!?」
「イエロー、グレイ、グリーン。君たちは休みなしだから。サボらず見張ってるように」
「……………………」
「じゃあお休み」
健全な業務は健康な肉体によって成り立つ。午睡は脳が何よりも欲しがるサプリメントなのだ。
ああ、ちょうどいい眠気を引き起こせている。この感覚だ。この、カフェインが持つ覚醒作用に抗って睡眠に入る感覚が最高に心地良いのだ。生物は睡眠状態が基本で、起きている状態が異常なのだとする説に俄然信憑性が生まれるというもの。どうでもいいことを考えているうちに僕は寝た。




