責任-リザイン-
定時という概念は実に厄介だ。始業時間までには業務を開始できるよう整えておくのが常識派と、準備も業務の内なのだから始業前にタイムカードを切っていればいい派の対立がしばしば起こる。
厳密な正解はない。しかし丸め込むことはできる。部署内での意見を調整するのは管理職の腕の見せ所と言えるだろう。
「ゲロッ!? ハジメ様……も、もう仕事してるでゲロか……?」
月並みな台詞だ。言ったこともあるし、もちろん聞いたこともある。それはもうまさしく耳にタコができるほどに。
同じ言葉を尋ねた際に言い返された言葉は印象に残っていて、今も脳裏の片隅に重く鎮座している。故に返す言葉も決まっている。
「このくらい普通だよ普通。社会人なら当然だから」
間違いなく人生で最も激動的な時間を過ごした異世界勤務一日目であったが、二日目の立ち上がりは至極ゆったりとしたものだった。
きっかり四時間半の睡眠を取り、起床後に水を一杯飲みラジオ体操を行う。ネットが寸断されているのでニュースは見れなかったが、ならば代わりに魔物分類録を読み進めればいい。
朝食はタッチパネルで頼めば即座に出てくる魔力式クッキングなので手間いらずときた。準備と片付けの必要がないため非常に時間効率がいい。もっとも、朝の定番である焼き魚が異常に高かったので注文できなかったのは大きな不満であるが。
食事が終わればダンジョン経営システムの仕様把握作業の続きだ。簡単な手引書すら用意されておらず、定着支援の精神を欠片も感じられない弊社仕種には肝を抜かれたが、オン・ザ・ジョブ・トレーニングは社会の常。
『分からないからやらない』ではなく『分からない情報を積極的に集め、整理し、相手が答えやすいように要点を纏めておく』という前準備が肝要なのだ。
そういうわけで朝食後はダンジョンのシステムを片っ端から閲覧していた。ダンジョン内の環境を変化させたり階層や部屋を増やすのにも魔力が必要だったりと中々に制約が多い。やはり魔力=運転資金と捉えていいだろう。これがなければ首が回らない。
幸いにも探索者は夜行性ではないらしく、昼前から夕方にかけてダンジョンにやってくるため朝は時間に余裕がある。最寄りの町はここから二時間ほどかかるらしく、周囲が暗い中での移動は安全が確保できないため、基本的に夜は出歩かないのだとか。
そりゃ電灯も無いんじゃ出歩けないよなというのが率直な感想だ。ダンジョン外で死んだら普通に死ぬらしいし。
魔物分類録を見る限り、ダンジョンと呼ばれる特殊な区域以外でも魔物と呼ばれる危険生物は生息している。昼は出掛け、夜は戸締まりというのは異世界でも常識であるらしい。
…………地球とほぼ同じ時間サイクルなのは、少々出来すぎてないだろうか。
それは星の面積や自転の速度、太陽の位置まで等しくなければ再現できない環境のはず……。まさかここは致命的なバイオハザードが発生して生態系に歪みが生じた未来の地球……?
いや……そもそも"この環境"でなければ生物が育たなかったのかもしれない。地球とは異なる別の星だが、ほとんど同じ環境を有しているが故に類似する生物が生まれていると考えたほうが現実味がある。
そもそも神が実在する時点で何でもありか。
僕は思考を放棄した。暫定異世界の実態究明はタスクにない。余計なことを考えるのはリソースの無駄遣いだ。
とにかく、地球人である僕が平然としていられるくらいには地球と類似した環境であることは事実。僕の体内時計は現在時刻を七時と断定している。弊社定時の八時には少々早いが、働き始めていてもなんらおかしくない時間だ。
「……もう少し休んでてもいいんじゃないゲロか?」
「休める時は休むよ。でも働く時は働く。今は特にタスクが山積みだからね。休んでる暇なんてないよ」
「……あまり根を詰められるとゲロの立つ瀬がなくなるゲロよ」
ふむ。魔物といえど罪悪感に似た自責の念はあるのか。ほんの少し演技を混ぜれば同調圧力をかけられるか?
……まあ焦ることもないか。やるにしてもまとまった成果を出して認められてからだな。追々やっていこう、追々。
ともあれ休むつもりはない。休む理由がない。
「体調管理に抜かりはないよ。心配するなら着替える分の服の支給と入浴の許可がほしいね」
「それくらいなら許可するゲロよ」
手続きいらずで即承認とは相変わらず信じられないほどにガバガバな資金繰りだ。バブル絶頂期の接待費かな?
僕にとってはありがたいので甘んじて受け入れることにする。衛生面の問題はとりあえずクリア。ゆくゆくは各種設備充実の許可も得るとしよう。このオフィスの椅子とテーブルは土塊同然で品質が悪すぎる。
「言ってみるもんだなぁ……どうもありがとう。いつまでこのパジャマ姿でいなくちゃならないのか心配だったんだよね」
「いやむしろ働き過ぎを心配するべきゲロ」
「普通だって。普通」
朝の雑談もそこそこにタッチパネルを操作して各種メニューの調査を続行する。
ダンジョン内の明るさや気温の調節は魔力を消費せずに行える、か。覚えておいて損はなさそうだ。
「…………」
オフィスは狭い。加えて不自然なほどに静かだ。直接見ていなくても、ゲロルグさんがこちらに視線を注いでいるのは感覚でわかる。
反応しないのは不自然だろう。僕は部屋の入り口で立ち尽くしているゲロルグさんを見て問い掛けた。
「どうしたの? 何かあったなら話聞くけど」
敬語を使うと変に謙っていると思われるらしいので気さくな言葉遣いを心掛けているが、これはこれで中々に難儀なものだ。ちょっとした問い掛けが、これからナンパに勤しむチャラ男のそれみたいに聞こえてしまうのだから。
僕の問い掛けに対し、ゲロルグさんは短く喉を鳴らした。困惑すると出る癖のようなもの……なのだろうか。
「ゲロ……。少し、疑問があるんでゲロ」
「疑問? そういうのはすぐに共有した方がいい。報告連絡相談は基本中の基本だからね」
「……ハジメ様は」
一拍の間を置いてゲロルグさんが言う。
「なぜそこまで、このダンジョンのために行動できるんでゲロか?」
「ん……? 体力面の疑問? それとも動機を尋ねてる?」
「後者でゲロ。……唐突に召喚された人族が、ダンジョンのために身も心も捧げて働いているという事実は……はっきり言ってかなり異質に見えるゲロ」
「心は捧げてないけどね」
「それでも十分異質ゲロ」
種族間の意識の差か……? 中々に深い疑問だ。しかし異質と言われても首を傾げるほかない。
「成果を上げなきゃ殺されるし、早いところ地球……元の世界に帰りたいんだから本気を出すのは当然じゃないかな」
「強迫観念に駆られて、と言うには落ち着きすぎゲロ。順応の早さもそうでゲロが……どうしてそこまでできるのかが分からないんでゲロ」
「どうして、ねぇ……」
それもよく言われた言葉だ。仕事が恋人なの? なんて茶化されながら言われたこともある。そういう人らは適当にあしらってきたが――ちょうどいい。親交を深めるための雑談と洒落込もうか。
頭で念じてタッチパネルを消す。僕は身体ごとゲロルグさんに向かい合った。
「僕がここまでやる理由は色々あるけど……一言で表すなら責任かな」
「責任……? このダンジョンの危機に関して、ハジメ様に何の責任があるゲロ……?」
「ダンジョン云々じゃなくて、まあ仕事に対する姿勢とでも捉えてくれればいいよ」
僕は軽く笑みを浮かべた。そう重苦しい話じゃない。
「僕が初めてアルバイト……まあ、軽い仕事を請け負う契約をした時に教育役に就いてくれた先輩が、それはもう凄い優秀だったんだよね。僕は今でも尊敬してるよ。僕の仕事に対する認識を固めてくれた人物と言っていい」
ゲロルグさんは傾聴の姿勢だ。僕の語りを促すように喉袋をヒクヒクと動かしている。
「手が早いっていうのかな……考えるよりも早く動いて、動きながら次を考えて……とにかく常に一手先を見ながら行動してるみたいな人だった。機械みたいに正確に動くけど、ユーモラスさなんかもあって皆に慕われてたよ。まさに仕事人って感じだった」
「ハジメ様みたいな人、ということゲロか?」
「どうだろうね? 僕はその先輩のやり方を手本にしてるけど……正確にトレースできてるかは自信ないかな」
会社には必ず中核を担う人物がいる。先輩はそれだった。僕が会社内でその地歩を築けていたかと問われたら、まだ素直に頷けない。
「とにかく、初めての労働経験だったから強く印象に残ってるんだよね。何が何でも"責任を取る"っていう姿勢において教師みたいな存在だったんだ。仕事が終わらなさそうなら早出も残業もする。人員調整も依頼する。問題点を洗い出して上司に報告する。抱えたタスクを終わらせることを念頭に置いて、そこから逆算してどう動けばいいか決めたらあとは迷わず行動する。それが社会人としての責任だ、って口癖のように言ってたなぁ」
「話を聞く限り、随分と生き急いでいるように見えるゲロ」
「人間五十年なんて言葉もあるしね。潤沢な魔力さえあれば何百年も生きる魔物たちとは価値観が違うよ。急がなければ置いてかれる。それが人の社会だ」
なんて、偉そうに言えるほど老いてはいないけど、そこまで的外れなことは言っていないだろう。
変に格好つけてしまったかと思い直し、肩を竦めておどけてみせる。
「ま、そういうわけで早く地球に帰らなきゃいけないんだよね。勤めてる会社をクビにされて露頭に迷いたくないからさ」
「それが"ユーモラス"でゲロか?」
「そんなところだね。早く帰りたいのは事実だけど」
そう言って軽く笑みを浮かべて見せると、ゲロルグさんは愉快そうに喉を鳴らした。
「正直、ここまで積極的に働くハジメ様のことを少し不気味だと思ってしまってたゲロが……今の話を聞いたら納得したゲロ。ハジメ様は自分なりの責任を果たそうとしていたんでゲロね」
「まあね。ダンジョンの立て直しなんてのは、命を盾に力付くで結ばされた不当契約も同然だけど……請け負ったからには本気でやるよ。嘆いたり、無為に休んだりしてる暇なんてない。で、早く地球に帰って上司に頭を下げる。それが僕なりの責任の果たし方だ」
「凄絶な生き方ゲロ……。ま、まあ……ハジメ様の召喚を行ったこちらが言うのは失礼かもしれないゲロが……」
それは本当にね。そもそもなんで神は僕を選んだんだよ。こんな模範的一般社会人を呼んでも毒にも薬にもならないだろうに。
「とにかく、変に疑ってしまって申し訳なかったゲロ! ハジメ様、改めてよろしく頼むゲロ!」
「ああうん、こちらこそよろしく」
不和は即ち効率の低下に直結する。
作業の手を止めることになってしまったが、仕事相手から一定の信頼を得られたこの時間は無駄になることはない。タスク終了の見通しがまるで立たず、逆算して動くことが適わない現状、長期的な付き合いは確定しているようなものなのだから。
ゲロルグさんが向かいの席に腰を下ろして一息つく。そして何気ないふうな口ぶりで言った。
「ところでハジメ様の尊敬する先輩はその後どうなったんでゲロか? やっぱり一番偉くなったりしたのでゲロか?」
「ん? ああ……その先輩と仕事してたのはかなり前の話だからなぁ。今どうしてるのかは分からないな」
「そうなんでゲロか?」
「先輩後輩ではあったけど仕事仲間ってだけでプライベートの連絡は取ってなかったんだよね。そもそも先輩の方が先にいなくなったし」
「いなくなった……? 死んでしまったのでゲロか?」
何を物騒なと思ったが、魔物たちが地球の人間社会のルールを詳しく知っているはずもなし。辞職して次の企業を探すという発想がそもそもないのだろう。
「いや普通に生きてるよ。多分だけど」
「ではどうしていなくなったんでゲロ?」
僕は軽く笑みを浮かべた。
「何というか……本当に手が早くて、こうと決めたら迷わない先輩だったんだよね。会社の上司の嫁さんに手を出して、それが普通にバレたから、責任取って会社を辞めたよ」




