日報-マストタスク-
暫定異世界に召喚されてから一日が終了を迎えようとしている。
何とも不可思議で超自然的であり、夢物語や誇大妄想にも似た非現実的出来事ではあるが、夢にしては醒めず、妄想にしては具体性に満ち溢れていて、目の前の光景を否定するための材料が尽く消えていく。
改めて肯定するほかない。この世界は現実だ。
「いやぁ、さすがは神に選ばれたハジメ様でゲロ! まさかたったの一日でここまで状況を一変させるとは!」
ゲロルグさんが揉み手をしながら喜悦の――恐らく喜びの表情なのであろう――笑みを浮かべる。その声は大いに弾んでいた。
ダンジョンの総魔力が0になり管理運営の資格なしと判断された場合、魔王は力を奪われ陸匐族の権威は失墜、一族そのものの沽券が暴落するのだとか。
自己破産と同じようなものだろう。社会的信用が得られなくなるのは途轍もないデメリットだ。藁にも縋る思いで召喚を行ったのも頷ける。
一族の名誉を賭けた乾坤一擲の策が奏功したとなれば浮かれるのも無理はない。
もっとも……僕は大したことはしていないつもりなのだが。
「いくらなんでも持ち上げすぎだよ。僕の成果は地球産のモノありきだからね。逆を言えば、僕と同じ生活水準の日本人なら誰だって同じことができたと思うよ。むしろ……僕より上手くやれた人なんて幾らでもいると思うんだけどね」
探索者たちを半壊させて大量の魔力を得た後のこと。
僕は儲けた魔力を次への投資に費やした。レッサーリザードへ割と高めの実用品を恩恵として設定し、探索者たちにわざと狩らせることでメリットを提示し客離れを防ぐ。そういう算段だったが……。
「結局、残った総魔力は15万と少し。一日にプラス10万と考えると……まだまだ先が長いなぁ」
「ま、まぁ明日からはもっとたくさんの探索者が来るはずでゲロ! 優良な恩恵が出ることを知れば他のダンジョンで狩りをしていた人間が押し寄せてくる……その分儲けも上がるはずゲロよ!」
「そう楽観視はしていられないよ。人間ってのは学ぶ生き物だからね。場当たり的な対処じゃ限界のほうが先に来る。探索者たちが傾向と対策を整える前にこちらも防衛力を強化しなければならない。……とすると、ちょっと餌を振る舞いすぎたかなぁ……」
今回、僕はレッサーリザードたちに命令を下すことで普段とは異なる行動をとらせ、油断しきっていた探索者たちを倒すことに成功した。
なら次も同じことをすればいいか。答えは否である。
『レッサーリザードが異常な行動を取ることがある』と判明した時点で探索者たちの取った行動は迅速であった。
ルーキーを戦線から離脱させ、ある程度の経験者だけで戦列を組み直し、地に足のついた迎撃主体の戦術に切り替えることで犠牲者を出すことなくレッサーリザードを倒し続けたのだ。
しかもリーダー役の探索者に至っては炎を射出する芸当――通称『魔法』を使用して近寄られる前に倒す戦法に切り替えていた。この学習の速さは完全に予想外であり、想定よりも魔力の回収が捗らなかったのだ。
そして全ての情報は探索者たちの元締めの組織――探索者組合とやらに報告され、精査され、そして共有されることだろう。
知識の蓄積は人を生かす。明日やってくる探索者たちには同じ手が通用すると思わない方がいい。
別の手を講じる必要がある。その次の日はまた異なる策を練り――手を変え品を変えのイタチごっこが始まり、今のままではやがてこちらの手札が尽きるだろう。
「……リーサル殿を連れ戻すゲロか?」
「それは駄目だ。白雲級……上澄みの探索者ですら歯が立たない魔物をぶつけたら確実に客足が遠のく。35,000の維持費も馬鹿にならない。僕らは少しずつ――本当に少しずつ探索者たちを上回り続ける必要があるんだ」
「で、でもハジメ様の世界のモノがあれば暫くは探索者たちもここへ通ってくるはずゲロ!」
「確かに恩恵目当てに暫くは通い続けるだろうけど、モノってのは飽和するからね。田舎町だと必要数も限られるだろうし。それに……地球産の商品は目新しくて貴重だろうけど、完全に再現できないってわけじゃないからね。商人とか職人に目をつけられたらこのダンジョンのアドバンテージが薄れかねない。価値の更新と安定した収益はマストになる」
魔法などという理解不能な技術が存在する世界だ。何か一つでもきっかけがあれば産業革命の爆発が起きても不思議ではない。
僕が持ち込んだ未来の産物とも言えるモノの数々はその火種となる可能性がある。絶大なアドバンテージがある今の内に利益を確保しなければならない。
どんな事業にも言えることだが、どれほど堅固な牙城を築こうが崩れる時は崩れる。
高度な機能が搭載された携帯電話の普及はカメラのフィルム現像店や大半の公衆電話を駆逐した。
定額かつ自宅で手軽に楽しめるサブスクリプションサービスの普及はレンタルビデオ店やCD屋などの物理的流通に依存する業種を衰退させた。
大半の国民に親しまれていた放映事業や新聞などの紙媒体も、自分が見たいと思えるものを選べる配信サイトやウェブニュースにシェアを奪われつつある。
ビジネスにおいて永遠に盤石な地盤などないのだ。
築かなければ。一つの強みが潰されても、他の強みで補える多層的な構造を有するダンジョンを。
「そのために必要だと感じたものをリストアップしたから確認してもらってもいいかな。僕はあくまでアドバイザーだ。ゲロルグさんに最終的な判断を下してもらいたい」
僕は早急にクリアすべき課題を記したメモをゲロルグさんに手渡した。喉袋を僅かに膨らませたゲロルグさんが言う。
「『探索者の階級別帰還率を記録するための人的資源および備品の購入。見積もりポイント10,000』。『若草級探索者に対抗し得る防衛戦力、設備、または環境の整備。見積もりは翌日十時までに算出予定』。『需要の高い恩恵調査を目的とした研究費の確保。見積もりは収入の二割を翌日に回す想定』……で、ゲロか」
「気に入らないところとか、もっとこうした方がいいみたいな意見があれば遠慮なく言ってもらえると有り難いかな」
そう聞くと、ゲロルグさんは瞬膜をしゃこしゃこと動かして喉を鳴らした。心なしか困ってそうな表情で言う。
「…………こ、この研究費の二割というのは、どういう理由があるゲロか?」
もっともな質問だ。簡潔に根拠を述べる。
「ダンジョンの収入は探索者に依存しきってるから安定性に欠けるんだよね。儲けの半分は非常時に備えた貯蓄に回すのが妥当だと思う。必要に応じて切り崩すためのポイントは多いほうがいい。で、残りの五割のうち、探索者たちを相手する魔物の呼び出し費用が二から三割を占める。要は人件費だね。ここには僕の食費も含まれるものとしてる。余ったのが約二割、これを調査のために投資へ回すっていう……まあ、消去法的な考えで導いた数値かな。もちろん都度修整は検討していくつもりだ。とにかく、そういう理由で二割に設定させてもらってる」
「あ、ハイ。それで大丈夫ゲロ」
承認獲得。赤ペンで了承を得た旨を書き加えておく。こういうエビデンスは大事だ。言った言ってないの不毛な争いを防げる。
「あ、それと防衛戦力に関してはどうやって決めるつもりゲロ?」
「ん、ああ……それならこれを読み込んでから決めるつもりだよ」
テーブルに置かれている手元の本を軽く掲げてみせる。臙脂色と金糸の刺繍が施された華美な装丁の本。
タイトルは『魔物分類録』。地球で言う生物図鑑といったところか。
「ああ、探索者が落としたものゲロね」
「ちょっと見てみたけど、これかなり貴重な資料だよ。人間側の視点で色んな魔物の情報が書いてあるんだよね。これなら探索者を撃退するための糸口になる魔物が見つかるかもしれない」
ダンジョンは魔力を効率良く回収するための仕組みだ。どういう理屈かは知らないが、ダンジョンで死んだ人間およびその持ち物は入り口へと戻される。
しかし一部の品――作製の過程で大量の魔力を用いられた物も回収対象となるらしい。
「原本の記載を写しの魔法で転記した物だから回収できた……だったっけ?」
「保存の魔法がかけられているのも理由の一つだとは思うゲロ」
「保存の魔法……そういうのもあるのか。確かに変色とか反り返りがないね。……ラミネート加工よりもずっと便利だな」
とまあ、そんな理由で探索者たちも恩恵のようなものを落としてくれるらしい。下っ端探索者は金銭的な理由で粗末な数打ち品しか持っていないが、上澄みともなれば凄腕の職人が魔力を注ぎ込んで作製した逸品を持っているのだとか。
そういう品は多量の魔力に変換できるとのことなので機会があれば狙ってみたいものだ。もっとも……その機会はまだまだ先になるだろう。
……地球への帰還は一体いつになるのやら。
スマホをちらと見る。画面上部のアンテナは当然のようにゼロを示していて、ここが圏外であることを強調しているかのようだ。
「まあ、そういうわけで防衛戦力の選定は進めておくよ」
「……今日はもう寝てもいいんじゃないゲロか?」
「僕は魔王じゃないからね。四時間半寝ればそれで十分――と、そういえば聞きたかったことがあったのを思い出した」
魔王。今もダンジョンの最下層で惰眠を貪っているあの半人半蛇の化け物は――どう扱えばいいのか。
「魔王レイミアさんってダンジョンの最奥……四階層で寝てるんだよね? なんでわざわざそんなところで寝てるの? バックヤードで寝てればいいのに」
「…………? 魔王様が経営しているダンジョンなんだから、魔王様が最奥に構えているのは当たり前ゲロ」
その当たり前がまるで分からないんだよなぁ。地球にはそんな常識はないんだよ。
切り替える。社長室には社長がいて然るべきだと認識しよう。
「なるほどね。じゃあ……もしもレイミアさんに三階層へ降りろって言ったらどうなるかな?」
「そんな無礼なことを口にしたら殺されてもおかしくないゲロ」
やはりそうなるか。これはリーサルさんの件でも分かっていた。
持ち場より下を守れと命令するのは、なにやら酷くプライドを損ねることらしい。たとえ倒産の危機に陥ろうとも、社長は社長室でふんぞり返っていて下っ端の仕事をすることはない……そういうことだろう。
ならば、逆はどうなのだろうか。
「じゃあ、もしも探索者が四階層に降りたらどうなるの?」
探索者が勝手に自滅するぶんには構わないのか。
そう尋ねると、ゲロルグさんは短く喉を鳴らした。
「ゲロロ……それは無いゲロ。人間は魔王様の魔力を前にしたら『まず勝てない』と悟るゲロ。四階層を降りる前に尻尾を巻いて逃げ出すのが通例ゲロね」
「…………? 僕は何ともないんだけど……」
「それが異常なんでゲロ。……魔力を持たないおかげ、なんでゲロかね?」
「参考までに聞きたいんだけど、今日来てた探索者たちがレイミアさんと勝負したらどうなるの?」
「勝ち負け以前の問題ゲロ。あの程度の人間じゃ向かい合っただけで全員失神して色々と垂れ流しゲロよ」
ますます意味が分からない。魔力ってなんなんだ。
高度に発達した菌糸類。極々微小な寄生生物。感情を理解する素粒子。
さっと思い浮かべてみたが、どれも当てはまらなさそうだ。地球産の知識では到底解明できない。何もかもが不確かだ。
一つ確かになったことと言えば、魔王という存在が極めて扱いにくい核兵器のような存在だということだけだった。
「色々とどうも。参考になったよ。じゃあ僕はこの図鑑に目を通してるから」
「……ゲロは、そろそろ寝るゲロ……」
「お疲れ様でした。また明日よろしくお願いします」
挨拶をした瞬間、ゲロルグさんの姿が掻き消えた。
ダンジョン内を転移できるというのは非常に便利だ。移動時間の短縮が図れる。弊社にも是非採用したい。
「さあて……それじゃ、いつも通り残業しますかね」
この世界では警備会社との契約などない。深夜残業時の入退室管理に気を遣う必要がないのは大きなメリットだ。特別な手当が出ないのは控えめに言ってもクソだが、そもそも人権が担保されない世界なのだから仕方ない。
それでも120ポイントくらいなら手当として受け取っても文句は言われないだろう。
タッチパネルを操作して缶コーヒーを選択する。ふと別室が映っているモニターに目を遣ると、ひたすら走り続けるよう命令したレッサーリザードが限界を迎えてぶっ倒れるところだった。
ふむ、全力稼働で五時間といったところか。これも資料として残しておかねばなるまい。
まとめておくべきことを思い浮かべながら図鑑を開き、缶のタブを押し上げる。カシュッと心地良い音が響き、独自の焙煎法をキャッチコピーにしたコーヒーの芳醇な薫りが鼻腔をくすぐる。
スチール缶独特の硬さを手のひらで感じながら缶を口元へ添え、ゆっくりと傾ける。
異世界で飲むコーヒーは、変わらず苦かった。
■業務日報 記載者:四月一日 初
本日の目標:
ダンジョンにおける各機能の仕様把握
経営不振の原因解明および改善案の提出
業務内容:
この世界における常識および時代変遷などのヒアリング
人員整理の提案
・一時解雇者二名
集客方法の提案
・地球産の恩恵を設定。現地人の反応は良好
従業員の戦力分析
・レッサーリザードの有効的な利用方法を模索中
実践的な営業活動
・黄土級十人、灰石級三人の討伐に成功
経営不振改善のための方針提案
・探索者の階級別帰還率を記録するための人的資源および備品の購入
・若草級探索者に対抗し得る防衛戦力、設備、または環境の整備
・需要の高い恩恵調査を目的とした研究費の確保
※いずれも責任者が承認済
『魔物分類録』に掲載されている情報の精査と防衛戦力の選定
所感:
・制服の支給制度はないだろうか。一張羅は衛生的な懸念が拭えない
・人間工学に配慮した椅子とテーブルを所望。最終的な出力に関わる
・ダンジョン内の彩りが足りていない。モチベーションの維持は肝要




