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現代の付喪神は、時計の姿で顕現する。  作者: lemonia


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8/12

聞こえる?

時間がちょっとだけ巻き戻って、疾風がはじめて機械と会話できたときのことを描きます。

 田久保は、三年前もあの自転車に乗っていた。


 ただし、服装は今とは別の意味でひどかった。


     *


 高校を卒業したばかりのころ。


 田久保信之は、きつく当てたパーマに、斜めになった小さな眼鏡を掛けていた。


 ハイゲージのタートルネック。


 その上にカーディガン。


 足元は妙に先の尖った、白のエナメル靴。


 ただし、踵は踏んでいる。


 その格好で乗っているのが、例のママチャリだった。


 塗装はすでにくすみ始め、前かごも少し歪んでいる。


「お前、その眼鏡、曲がってるぞ」


「こう掛けんだよ」


「何で?」


「知らねえよ。こうなんだよ」


「靴も潰れてる」


「これは踵踏んで履くんだよ」


「何で?」


「だから知らねえよ!」


 流行というものには、理由を求めてはいけないらしい。


 田久保はママチャリのスタンドを蹴り上げた。


「じゃあな」


「おう」


 尖った革靴で股を大開きにしながらペダルを踏み、パーマ頭を揺らしながら走っていく。


 数年後。


 その男はアルマーニを着て、ヴェルサーチを着て、ロレックスを巻くことになる。


 自転車だけは変わらない。


     *


 疾風も、高校を卒業した。


 免許は試験場へ直接取りに行った。


 一度落ちた。


 コツを聞いてからは、すぐに取れた。


 そのあと父親から渡されたのが、一本の古い腕時計だった。


「これ」


「時計?」


「持っとけ」


 長いこと誠の左腕にあった、黒い文字盤のクロノグラフ。


 それを自分の腕に巻いた、その日のことだった。


『疾風』


 名前を呼ばれた。


 最初は気のせいだと思った。


 もう一度呼ばれた。


(……お前?)


『そうだ』


(時計って喋るんだ)


 そう返したところまではよかった。


 数秒後。


 疾風は思った。


 いや。


 よくない。


     *


「親父」


「何」


 誠は作業台の上で、キャブレターをばらしていた。


「これ、喋るぞ」


 手が止まった。


「何が」


「時計」


 誠が顔を上げた。


 疾風を見る。


 左腕を見る。


 もう一度、疾風を見る。


「頭打ったか?」


「打ってねえよ」


「熱は」


「ねえよ」


「薬は」


「やってねえよ!」


『ずいぶん信用がないな』


(お前のせいだよ)


「今も喋ってる」


「何て」


「信用ないな、って」


 誠はしばらく疾風を見た。


「貸せ」


「何で」


「いいから」


 疾風は時計を外して渡した。


 誠が自分の左腕へ巻く。


 見慣れた場所へ戻った。


『誠』


 疾風には聞こえた。


 誠は動かない。


『誠』


 反応なし。


『聞こえるか』


「今、親父呼んでる」


「何も聞こえん」


『やはり駄目か』


「やっぱ駄目だって」


 誠が時計を見る。


「何が、やっぱ、なんだ」


『以前からそうだった』


 疾風が眉を寄せた。


「……前から喋ってたの?」


『ずっと喋っていた』


「ずっと喋ってたって」


 誠の顔が、ほんの少しだけ変わった。


「俺が着けてたときも?」


『そうだ』


「そうだって」


「…………」


「親父?」


「いや」


 誠は左腕の時計を見た。


「俺、何年これ着けてたと思ってんだ」


『知っている』


「知ってるって」


「……そうか」


 それだけ言った。


 しばらくして、誠は時計を外した。


「着けろ」


「何で?」


「条件変えなきゃ分からんだろ」


「何の実験だよ」


「お前が頭おかしいのか、時計がおかしいのか調べてる」


「どっちにしてもひでえな」


 疾風は時計を腕に戻した。


『こちらの方が話しやすい』


「着けた方が話しやすいって」


「外してても聞こえるんだろ?」


「聞こえるけど」


 疾風は少し離れてみた。


 誠が時計を持って、工場の反対側へ歩く。


『聞こ……るか』


「ちょっと遠くなった」


 さらに離れる。


『……こえ……』


「だいぶ分かんねえ」


 近づく。


『聞こえているか』


「戻った」


 誠は時計を見た。


「距離か」


「たぶん」


『私にもよく分からん』


「本人も分かってねえって」


「役に立たんな」


『お前に言われたくない』


「今、親父に文句言った」


「それは聞こえなくていい」


     *


「何してるの?」


 和子が工場へ入ってきた。


 誠が時計を持って立っている。


 疾風がその前にいる。


 二人とも妙な顔をしていた。


「時計が喋るらしい」


 誠が言った。


「へえ」


 和子は驚かなかった。


 疾風の方が驚いた。


「へえ、なの?」


「だって、その時計、昔からちょっと変だったもの」


「知ってたの?」


「喋るとは知らなかったけど」


 和子が手を出した。


「貸して」


 疾風は時計を渡した。


「母ちゃん着けたことあるの?」


「あるわよ。ずっと昔だけど」


 和子が左腕へ巻く。


 革ベルトを留める。


 チュチマが黙った。


 少しして。


『……穴が二つ増えた』


 和子の眉が動いた。


「……今、何か失礼なこと言わなかった?」


 疾風が吹き出した。


「言った」


「何?」


「穴が二つ増えたって」


 和子が左腕を見る。


 ベルトを見る。


 疾風を見る。


「この時計が?」


「うん」


『事実を述べただけだ』


「事実だって」


「余計なところまで通訳しなくていいの」


「俺じゃねえよ!」


 誠が横から革ベルトを見た。


「昔はもっと外だったか?」


 和子が睨んだ。


「あなたも黙ってて」


「俺は何も言ってない」


「言ったでしょ」


『誠は悪くない』


「お前、親父の味方すんの?」


『事実を述べただけだ』


「便利だな、それ」


 和子はしばらく時計を着けたまま、首を傾げていた。


「でも、やっぱり変」


「何が?」


「疾風みたいに喋ってる感じじゃないのよ」


「じゃ何?」


「なんとなく」


 言葉を探す。


「意味だけ浮かぶっていうか」


「穴二つ、も?」


「穴と、二つと、失礼な感じ」


「だいたい合ってる」


 和子は時計を眺めた。


「昔着けたときもね」


「うん」


「なんか、『やわらかい』とか」


 疾風が時計を見る。


「あと、『いい匂い』とか」


 疾風はさらに時計を見る。


 少し間があった。


「……変態時計じゃん」


『違う!』


「今すげえ勢いで否定した」


「やっぱりあんただったの?」


『和子の腕が柔らかく、和子がいい匂いだったというだけだ』


 疾風はそのまま伝えた。


「母ちゃんの腕が柔らかくて、母ちゃんがいい匂いだっただけだって」


 和子が黙った。


 疾風も黙った。


「……やっぱ変態じゃん」


『なぜだ!』


「怒ってる」


「怒るところなの?」


「本人は違うらしい」


 誠だけが、まったく声を聞けていなかった。


「楽しそうだな」


「親父にはほんとに何にも聞こえないの?」


「声はな」


 チュチマが少し黙った。


『声として届いたことは、一度もない』


「声としては、一度も届いてないって」


 誠が眉を寄せた。


「声としては?」


『誠がまだ若かったころ、何度か、私が伝えようとしたことと同じ方向へ考えが動いたことはある』


「親父が?」


『ああ』


「若いころ、何回か、自分が念じたり考えた方に親父が動いたことはあるって」


 誠はしばらく考えた。


「……そんなこと言われても分からんな」


『私にも分からなかった』


「本人にも分かんなかったって」


『私の声が滲んだのか。誠自身が考えて、そこへ辿り着いただけなのか』


 疾風が伝える。


 誠は鼻を鳴らした。


「そりゃ確かめようがねえな」


『誠は、もともと自分でそこへ辿り着く』


「親父はもともと自分でそこへ辿り着いてただろうって」


「褒めてるらしいぞ」


「本人が言ってんのか」


「うん」


「なら、まあいい」


 チュチマが続けた。


『ただ、一度だけ』


(何?)


『届いたのではないかと思ったことがある』


「親父」


「何」


「一回だけ、はっきりじゃないけど、届いたかもしれないことがあるって」


 誠が手を止めた。


「何が」


 チュチマは少し間を置いた。


『疾風』


(……俺?)


『お前の名前だ』


 疾風は左腕を見る。


「俺の名前だって」


 誠が黙った。


 和子も少し考えた。


「……あなた、疾風の名前決めたとき?」


「たぶんな」


「候補、いくつかあったわよね」


「あった」


「でも最後、急に疾風がいいって」


 誠は腕を組んだ。


「急にっていうか……なんか、それが一番しっくりきた」


 疾風は時計を見る。


(……お前かぁ~)


『かもしれん』


(お前が名づけ親ってのは気に入らん)


『誠が決めた名前だ。私は少し意識に滲んだだけかもしれん』


(じゃあ半分くらい?)


『一割も要求していない』


(ゼロでいい)


『好きにしろ』


「……お前のせいらしいぞ」


 誠が怪訝な顔をした。


「何が」


「俺が疾風なの」


「俺が決めた」


「こいつも少し混ざったかもしれないって」


「知らん。決めたのは俺だ」


『私もそう言っている』


「そこは意見合うんだな」


 なぜ、その名前だったのか。


 疾風は聞かなかった。


 チュチマも言わなかった。


     *


 和子が時計を外した。


「昔より、分かるようになってる気がする」


『私は昔から喋っていた』


「昔から喋ってたって」


「聞こえなかったのよ」


『知っている』


「それも知ってるって」


 誠がチュチマを見る。


「俺は何十年も着けてて、一回も声は聞こえなかったけどな」


 チュチマが少し黙った。


『お前には、聞こえなくても十分だった』


 疾風も少し黙った。


「親父」


「何」


「聞こえなくても十分だったって」


「……本人が言ってんのか」


「うん」


 誠は時計を見た。


「ならいい」


 それ以上は何も言わなかった。


     *


「でも何で疾風には、こんなにはっきり聞こえるんだろうね」


 和子が言った。


「知らねえ」


「小さいころからずっと工場にいたから?」


「それなら山崎さんたちも聞こえるだろ」


「うちのお父さんも、機械のことになると妙に鋭かったし」


「刈屋の爺ちゃん?」


「そう」


 誠が作業台へ戻りながら言った。


「うちだって似たようなもんだろ」


「何が?」


「機械ばっかだ」


「それ理由になってる?」


「知らん」


 疾風は時計を見る。


(何で俺には聞こえるの?)


『知らん』


(お前の力じゃないの?)


『私にも分からん』


(役に立たねえな)


『喋っている時計に向かって言うことか』


 確かに。


「まあ」


 誠が言った。


「一つだけ決めとけ」


「何?」


「外で言うな」


「何で」


「時計が喋るって、人に言ってみろ」


「…………」


「どう思われる」


 疾風は少し考えた。


「頭おかしい」


「分かってんじゃねえか」


 和子が笑った。


「家の中ならいいじゃない」


「母ちゃんは信じるの?」


「だって今、失礼なこと言われたし」


『事実だ』


「また言ってる」


     *


 数日後。


「疾風」


 誠が工場の奥から鍵を放った。


 疾風が受け取る。


「これで部品取ってきて」


「はいはい」


 KATAGIRIのカローラバンだった。


 いつもの仕事車。


 疾風は運転席へ乗り込んだ。


 キーを差す。


 捻る。


 スターターが回る。


 エンジンが目を覚ます。


 少し高めのアイドリング。


 疾風はシートベルトを引いた。


【今日は少し、暖まるまで待ってください】


 手が止まった。


 しばらく前を見た。


(…………)


『どうした』


(今、こいつ喋った)


『ああ』


(ああ、じゃねえよ!)


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