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現代の付喪神は、時計の姿で顕現する。  作者: lemonia


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7/12

ゼロが一個多い

時系列どおりに外伝から読んでいただいた方はすでにご存じかと思いますが、おいおい「チュチマ」の来歴等明かしていきます。

 田久保信之は、目がチラチラする柄のシャツを着ていた。


 その上に、肩が余るくらい大きなアルマーニのジャケット。


 脇にはオーストリッチのセカンドバッグ。


 左手首には、金色の混じったロレックス。


 その男が、KATAGIRIのカローラバンの助手席でシートベルトを締めている。


 疾風は運転席から田久保を見た。


「……お前、その格好でこれ乗るの?」


「悪いかよ」


「いや」


 もう一度見る。


「ラーメン食いに行くんだよな?」


「そうだけど」


「その格好で?」


「休日なんだからいいだろ」


「休日だから聞いてんだよ」


「さっきから何なんだよ、お前」


 田久保は高校時代の同級生だった。


 卒業後は市役所に入った。


 株を扱うわけでもない。


 土地を転がすわけでもない。


 外国車を売るわけでもない。


 毎日決まった時間に役所へ行き、書類をめくり、窓口に出て、月末になれば決まった給料を受け取る。


 世の中が景気いいらしいからといって、給料袋まで急に膨らむ仕事ではない。


 それでも、世の中が浮いていれば、堅い仕事をしている人間まで少しくらい浮く。


 田久保の場合、それがかなり分かりやすく表へ出ていた。


「その時計、新しいの?」


 信号待ちで疾風が聞いた。


「中古」


「中古なの?」


「これ、そんなに形変わってねえんだよ。新しいの買ったら六十万とかするぞ」


「へえ」


「へえ、じゃねえよ」


「いくらだった?」


「三十ちょい」


「高え」


「安いんだよ」


「三十万で?」


「新品より全然安いだろ」


「現金?」


「……ローン」


「ローンじゃん」


「だから何だよ」


「中古をローンで買ったの?」


「中古だから買えたんだよ!」


 田久保は何軒も回ったらしい。


 雑誌も読んだ。


 値段を比べた。


 電話もかけた。


 同じように見えるなら、少し古くても構わない。


 状態が悪くなくて、一番安いもの。


 そこまで探した。


「で、車までは金が回んなかった、と」


「ほっとけ」


「これなら貸すよ。安いぞ」


「カローラバンはいらねえ」


【失礼ですね】


(お前は黙ってろ)


 カローラバンが小さく不満を漏らした。


 中野まで来た理由は、田久保が雑誌で見つけたラーメン屋だった。


 カウンターだけの狭い店で、昼を少し外した時間なのに何人か並んでいる。


「ここ、うまいらしいんだよ」


「そこまでして食うほど?」


「来たんだから食えよ」


「食うけど」


 二人並んでカウンターに座った。


 田久保がジャケットを脱いだ。


 下から、さらに目の痛い柄が全面に出た。


 疾風は箸を取る手を止めた。


「……脱いだらもっとひどいな」


「何がだよ」


「シャツ」


「ヴェルサーチだぞ」


「だから?」


「だからって……」


 田久保は何か言おうとして、やめた。


 ラーメンを食い始める。


 そのうち、袖口を何度か直した。


 金色の混じったロレックスがよく見える。


 疾風はラーメンを食っている。


 田久保がまた袖を直す。


 疾風はスープを飲む。


 もう一度直す。


「……何か言えよ」


「何を?」


「時計」


「時計だろ」


「お前、ほんとそういうとこ興味ねえな」


「時間分かればいいじゃん」


 田久保が今度は疾風の左腕を見た。


「お前の、それ何?」


「時計」


「それは分かる」


「親父にもらったやつ」


「ずいぶんボロいな」


 疾風も自分の腕を見る。


 黒い文字盤。


 細かな傷の入った風防。


 使い込まれたケース。


(だってよ)


『聞こえている』


(ボロいって)


『聞こえていると言っている』


「お前も二十二なんだから、ちゃんとした時計くらい買えよ」


(ちゃんとしてないって)


『……覚えておこう』


(怖えよ)


 疾風は別に気にしなかった。


 もらった時計だ。


 時間は合う。


 クロノグラフも動く。


 何より喋る。


 新しい時計を買う理由は特になかった。


 店を出ると、田久保が言った。


「せっかく中野まで来たんだから、時計見て帰ろうぜ」


「まだ見るの?」


「見るだけならタダだろ」


「ローン増やすなよ」


「増やさねえよ」


 二人は中野ブロードウェイへ入った。


 雑貨。


 服。


 本。


 模型。


 古本。


 漫画。


 階を上がるにつれ、店の様子が少しずつ濃くなる。


 セル画が壁に並んでいる店があった。


 隣には、妙に目の大きな少女が、ヒラヒラの衣装で杖を持って笑っているポスター。


 その先には、女の子の衣装らしきものまで吊ってあった。


 田久保が足を緩めた。


「……入る?」


「いや」


「俺も無理」


 二人とも少し早足になった。


「これ買ってるとこ、同級生に見られたら終わるな」


「終わる」


 それ以上は何も言わなかった。


 そういうものだった。


 田久保が目当てにしていた時計店は、館内の一角にあった。


 看板には、


 GEORGE STREET


 とある。


 入った途端、田久保の目つきが変わった。


「これ安いな」


「そうなの?」


「こっちは並行だろ。ほら」


「何が違うの」


「だから……」


 疾風は田久保を見る。


「お前、市役所で時計売ってんの?」


「買うまで調べたんだよ!」


 ロレックス。


 オメガ。


 カルティエ。


 疾風には、どれも高い時計にしか見えない。


 田久保はガラスケースを覗き込みながら、ぶつぶつ値段を比べている。


 疾風は少し離れて、別のケースを眺めた。


 ふと、一つのクロノグラフが目に入った。


(なあ)


『何だ』


(あれ、お前に似てね?)


『似ていない』


(似てるって)


 黒い文字盤には、ブランド名が書いてあるが、ロシア文字でなんと読むのかわからない。


 二つのプッシャー。


 雰囲気は確かに近い。


『似ていない』


(なんでそんな嫌そうなんだよ)


『私は私だ』


(面倒くせえな)


 値札の横に、ソ連製と書いてある。


 少し進むと、また似たような時計があった。


 今度は文字盤に、見覚えのある名前がある。


(チュチマじゃん)


『そうだ』


(新しいな)


『新しいものもある』


(お前のパチモン?)


『違う』


(でもお前より新しい)


『新しければ偽物になるという理屈はどこから来る』


「何見てんの?」


 田久保が横から覗いた。


「チュチマ」


「何それ」


「俺の時計の名前」


「初めて聞いた」


「俺も最近知った」


「自分の時計だろ」


「親父にもらっただけだもん」


 さらにケースの奥を見る。


 疾風の目が止まった。


「……田久保」


「ん?」


「これ」


 田久保が隣に来る。


 二人で覗き込んだ。


 古いクロノグラフだった。


 黒い文字盤。


 古びた夜光。


 ケースの形。


 プッシャーの位置。


 疾風は左腕を持ち上げた。


 ケースの中を見る。


 左腕を見る。


 もう一度ケースを見る。


「似てるな」


「だろ」


 値札を見る。


 二人とも黙った。


 疾風が顔を近づけた。


「……ゼロ、一個多くね?」


「俺も今そう思った」


 四十万円台の数字が書いてある。


 疾風は左腕を見た。


(……お前、こんなすんの!?)


『私に値段を聞くな』


(お前の値段だろ!)


『私が決めたものではない』


「おい」


 田久保が疾風の腕を掴もうとした。


 疾風は反射的に引いた。


「何だよ」


「それ、本当に同じなの?」


「知らねえよ」


「知らねえで着けてたのかよ!」


「親父にもらったんだからしょうがねえだろ」


「ちょっと見せろよ」


『断る』


(俺に言うな)


「失礼ですが」


 店員が声をかけてきた。


「その時計、拝見してもよろしいですか?」


 疾風と田久保が顔を見合わせた。


「これ?」


「はい」


 疾風はベルトを外した。


 その瞬間、妙に落ち着かなかった。


 いつも腕にあるものがなくなるだけで、左手首が軽すぎる。


 店員は時計を受け取り、ルーペを当てた。


 裏を見る。


 ケースを見る。


 文字盤を見る。


 しばらく黙っている。


「どう?」


「かなり使い込まれていますね」


「やっぱボロい?」


 田久保も覗き込む。


「だよな。さっきのケースのやつと比べたら、だいぶ……」


「いやいや」


 店員が顔を上げた。


「そういう意味ではありません。これは、かなり希少な時計ですよ」


 田久保の顔から笑いが消えた。


「希少?」


「ええ。戦時中のチュチマのフリーガークロノグラフです。この時代のものが、こうして実際に使われた状態で残っているだけでも十分価値があります」


「じゃあ、これ」


 田久保が疾風の時計を指した。


「ほんとに、さっきケースにあったのと同じようなもんなの?」


「少なくとも、同じ系統のものです」


 店員は横のケースを示した。


「こちらの復刻モデルなら、新品を探せばまだ手に入ります。今後も同じような時計が作られることはあるでしょう」


 それから、手の中のチュチマへ視線を戻した。


「でも、一九四一年に作られた時計は、もう増えません」


 田久保が黙った。


「しかも、これはしまい込まれて残った時計ではないですね」


 店員はもう一度ルーペを当てた。


「傷はあります。ケースにも風防にも使用感があります。でも」


 時計を少し傾ける。


「傷があるのと、粗末に扱われてきたのは別です」


「分かるんですか?」


「ある程度は。放ったらかしだった時計ではありません。必要なときに手を入れられて、壊れれば直されて、ずっと使われ続けてきたんでしょう」


「じゃあ、こっちのボロい方が……」


「ボロい、ではありません」


 店員は少し笑った。


「希少で、価値のある時計です」


 田久保が疾風を見る。


 疾風も田久保を見る。


「こういう時計は、綺麗なだけの個体とはまた違った良さがあります。ちゃんと時計として生きてきた感じがしますね」


 疾風は黙った。


『誠は、私を大切にしていた』


(……そう)


 それだけ返した。


 親父がずっと着けていた。


 そこまでは知っている。


 その前は知らない。


 水野のおじさんが何か知っていそうなのは分かっていた。


 ただ、聞いたことはない。


 いつから家にあったのか。


 どうして親父が持っていたのか。


 それも、聞いたことはなかった。


 店員から返された時計を、疾風は左腕に巻いた。


 いつもの重さが戻った。


「お前、それ……」


 田久保がまだ時計を見ている。


「俺のロレックスよりすごいんじゃねえの?」


「知らねえよ」


「知らねえよじゃねえだろ!」


「だって知らなかったんだからしょうがねえじゃん」


「お前、よくそんなもん普通に着けてられるな」


「時計だから」


「そういう意味じゃねえよ」


 店を出てから、疾風の動きが変わった。


 人とすれ違えば左腕を引く。


 狭い通路では、左手を胸の前に寄せる。


 階段の手すりにも触れない。


 田久保が横目で見た。


「お前、何してんの?」


「別に」


『先ほどまでカローラのドアに当てていたな』


(知らなかったんだよ!)


『ラーメン屋でも壁に当てていた』


(もう当てねえよ)


『値段を知った途端、それか』


(壊したらもったいねえだろ!)


『昨日まではよかったのか』


(うるせえ)


 帰りのカローラバンでも、左腕だけは妙に安全な位置にあった。


 KATAGIRIへ戻るころには、日が傾いていた。


 疾風がエンジンを止める。


「家まで送ろうか?」


「いや、いい」


「なんで」


「チャリあるから」


「……チャリ?」


 田久保はカローラバンを降り、店の脇へ歩いていった。


 そこに一台、自転車が停めてあった。


 塗装はくすんでいる。


 前かごは少し歪んでいた。


 サドルの端が裂け、荷台にはところどころ錆が浮いている。


 どこからどう見ても、くたびれたママチャリだった。


 疾風は自転車を見た。


 田久保を見る。


 目の痛いヴェルサーチ。


 ブカブカのアルマーニ。


 オーストリッチのセカンドバッグ。


 中古とはいえロレックスのコンビ。


 そして、くたびれたママチャリ。


「……お前、それで来たの?」


「そうだけど」


「その格好で?」


「またそれかよ」


「いや、これは聞くだろ」


 田久保はセカンドバッグを前かごに放り込んだ。


「じゃあな」


「おう」


 スタンドを蹴り上げる。


 アルマーニの裾をばたつかせながら、田久保は夕方の道へ漕ぎ出していった。


 疾風はその後ろ姿をしばらく見送った。


(なんなんだ、あいつ)


『お前の友人だろう』


(知ってるよ)


 少し間があった。


『時計は悪くなかった』


(そこだけ評価すんのかよ)


 チュチマは答えなかった。


 疾風は左手首を持ち上げた。


 いつもの傷だらけの時計が、いつもの顔で時を刻んでいる。


 値段を知ったところで、何かが変わったわけではない。


 親父にもらった時計で。


 やたら口うるさくて。


 たまに根に持つ。


 ただ。


 自分が思っていたより、ずっと長い時間を持っているらしい。


 それだけは、初めて分かった。


文中の読み方がわからなかった時計は、当時そこそこの数が出回ったPoljot社の時計です。

ソ連グダグダで外貨獲得に躍起になっていたころですね。

23石機械式の本物のクロノグラフでありながら、2~3万円くらいではなかったでしょうか。

うちにも一本あって、この一連の作品のインスピレーションになりました(笑)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88#%E6%AD%B4%E5%8F%B2

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