乗って喋るだけ
初の連載となります。
ご意見、ご感想等いただけますと、五体投地して喜びます。
「疾風、電話」
事務所から和子が顔を出した。
「誰」
「この前の雑誌の人」
「司郎さん?」
「じゃない方」
「ああ」
「仕事だって」
疾風は手にしていた缶コーヒーを作業台へ置いた。
「俺に?」
「そう言ってるけど」
電話を取る。
「もしもし」
『片桐君?』
「はい」
『この前言ったろ。乗って感想くれって』
「……あれ、本気だったんですか」
『何だと思ってたんだよ』
「社交辞令」
『試乗会で社交辞令言ってどうすんだよ』
「いや、俺ライターじゃないし」
『文章はこっちで書く』
「じゃ何すんの」
『乗って喋る』
「それだけ?」
『それだけ』
「金もらえる?」
『出すよ』
疾風は少し黙った。
「これ乗って喋るだけで金もらえんの?」
横で伝票を整理していた和子が顔を上げた。
「その言い方すると、ものすごく頭の悪い仕事みたいね」
「実際そうじゃん」
『聞こえてるぞ』
「で、何乗るんです?」
『ユーノス・コスモ』
疾風は少し考えた。
「新しいやつ?」
『新しいやつ。3ローター』
「へえ」
『20Bな』
「どこ行けばいい?」
『場所言うからメモしろ』
「母ちゃん」
「自分で書きなさい」
「紙」
「そこ」
「ペン」
「目の前」
「はいはい」
電話の向こうで編集者が笑っていた。
指定された場所には、すでに数台のクルマが並んでいた。
撮影用らしい。
その中でも、コスモは妙に空気が違った。
低い。
長い。
大きい。
派手な色でもないのに、妙に目立つ。
疾風は近づいて、ぐるりと一周した。
(でけえな)
【車格というものがあります】
低い男の声だった。
落ち着いている。
よく通る。
怒鳴っていないのに、妙に圧がある。
疾風は少し眉を上げた。
(お前か)
【はい】
ドアを開ける。
内装もまた、妙に厚かった。
革。
電動。
スイッチ。
表示。
どこを見ても、必要だから付けたというより、付けられるから付けたように見える。
『……ずいぶん押し出しの強い男だな』
チュチマが言った。
【褒め言葉として頂戴しておきましょう】
(お前ら初対面で普通に会話すんのな)
『機械同士だからな』
【それほど珍しいことではありません】
(俺だけ変みたいに言うな)
「何ぶつぶつ言ってんだ」
編集者が後ろから来た。
「独り言」
「多いな、お前」
「気にしないでください」
「まあいい。まず街中流して、そのあと広いところ出る」
「了解」
「壊すなよ」
「俺に言う?」
「誰に言うんだよ」
疾風は運転席へ乗り込んだ。
走り出して最初に感じたのは、拍子抜けするほどの静かさだった。
もっと荒っぽいと思っていた。
三つのローター。
二つのターボ。
二百八十馬力。
数字だけ見れば、もっとギラギラしていてもよさそうなのに。
コスモは静かだった。
変速も穏やか。
動きも滑らか。
速度を上げても、室内は落ち着いている。
(もっとヤバい奴かと思った)
【どういう意味でしょう】
(いや、見た目からしてもっとグイグイ来るかと)
【何をそんなに急ぐ必要がありますか】
(280馬力もある奴が言う?)
【力があることと、常に振り回すことは別の話です】
(なるほどね)
確かに。
速そうには見える。
だが、速さを見せびらかしてはいない。
黙って座っているだけで、誰も逆らわない。
そんな感じだった。
「どう?」
助手席の編集者が訊いた。
「静かですね」
「それだけ?」
「楽」
「もっとないの」
「踏まなきゃ普通」
「それ記事になるかなあ」
「じゃ踏みます?」
「そのために来たんだよ」
前方が開けた。
疾風はアクセルを深く踏んだ。
コスモの声は変わらない。
だが。
景色の流れだけが急に変わった。
重そうな車体が、力任せにではなく、当然のように前へ出る。
荒々しさはない。
しかし速い。
明らかに速い。
(……おい)
【何でしょう】
(さっき急ぐ必要ないって言ったよな)
【急いではおりません】
さらに速度が乗る。
(これで!?)
【少々、歩幅を広げただけです】
疾風は思わず笑った。
「何?」
編集者が訊く。
「いや」
「どう」
「重いんですけど、その重さ隠すの上手いですね」
「ほう」
「速いっていうより、気づいたら速度出てる感じ」
「それいいな」
「あと、乗ってる側に頑張らせる気がない」
「それもいい」
「こんなのでいいの?」
「そのまま喋れ」
「評論っぽいこと言わなくていいんです?」
「言わなくていい。こっちで整える」
「楽な仕事だな」
「お前、そのうち刺されるぞ」
市街地へ戻ると、今度は渋滞に捕まった。
少し進んで止まる。
また少し進む。
コスモは文句ひとつ言わない。
だが、疾風には何となく分かった。
(お前、これ嫌いだろ)
【好みではありません】
「たださあ」
編集者が燃料計を見た。
「こいつ燃費ひでえんだよな」
「そんな悪いんです?」
「悪い。とにかく食う」
【私を渋滞の中で一メートルずつ動かして、燃費が悪いと言われましても】
(用途が違う?)
【燕尾服を着せて、泥田の草取りをさせているようなものです】
(できるんだろ)
【できます】
(じゃいいじゃん)
【だからといって、適しているとは申し上げておりません】
疾風は吹き出した。
「何笑ってんの」
「いや、こいつ面倒くさそうだなって」
「クルマに性格つけるなよ」
「そういうもんです」
「そういうもんなのか」
渋滞はまだ続いていた。
疾風はタコメーターを見た。
(でもお前、あんなローター三つもゴロンゴロン回してりゃ、そりゃ街中じゃ食うだろ)
【……ゴロンゴロン】
『疾風。もう少し言い方というものがあるだろう』
(回ってんだから同じじゃん)
【私は、そのような雑な機械ではありません】
(細けえな)
少し考える。
(654ccが三つだろ)
【はい】
(でも燃焼の回数で考えたら、レシプロの4ストなら、ざっくり4リッター級みたいなもんじゃねえの)
コスモが少し黙った。
【……ようやく話の分かる方が現れました】
『さっきまでゴロンゴロンと言っていたがな』
(それはそれ)
疾風はもう一度ボンネットの先を見た。
(そのくせ、エンジンそのものは4リッター級のレシプロなんかより、ずっと小さくて軽いんだろ)
【ええ。そこもお忘れなく】
(そういうとこはズルいな)
【長所、とお呼びください】
『今度は私もこちらに同意する』
(お前、すぐ裏切るな)
「何?」
編集者が訊いた。
「いや、これ2リッターって言うから余計燃費悪く聞こえるんじゃないです?」
「は?」
「ロータリーって、レシプロの4ストと同じ数字で考えると変じゃない?」
「まあ、それはそうだけど」
「ざっくり4リッター級みたいな仕事してるんでしょ。それにターボ二つ」
「シーケンシャルツインターボな」
【そこは重要です】
(お前も言うんだ)
「で、エンジン自体は4リッターのレシプロより、ずっと小さくて軽い」
「それはロータリーの利点だな」
「で、この車体」
疾風は続けた。
「そりゃ食うでしょ」
「でも書類上は2リッターだぞ」
【……】
疾風は少し笑った。
(怒った?)
【怒ってはいません】
(怒ってるじゃん)
【ただ、三ローターであることを無視して二リッターという数字だけで語られるのは、不本意です】
(燃費悪いのは認めるんだ)
【燃料代を惜しまれる方へ、私を勧めるつもりもありません】
(強えなあ)
『潔いとも言う』
「でもリッター6キロとかだったら、やっぱ悪いだろ」
編集者が言った。
「いや、普通ではないですけど」
「だろ?」
「でも4リッター級のターボ付き高級車って言われたら」
「……まあ」
「急にそんなもんかって気にならない?」
「記事でそこまで書くかは考える」
「なんで」
「お前、話が長くなると急に面倒になるな」
「乗って喋れって言ったじゃん」
「限度がある」
渋滞を抜けたあと、疾風は改めて室内を見回した。
(これ何)
【操作系です】
(いや、見りゃ分かる)
別のスイッチ。
(これも電動?)
【はい】
(こっちも?)
【はい】
(ここまで要る?)
【ございます】
(答えになってねえ)
また触る。
(これも?)
【備えております】
(お前、無駄多くね?)
【余裕、とお呼びください】
(同じだろ)
【まったく違います】
疾風は笑った。
「何?」
また編集者。
「このクルマ、余裕あるなって」
「今さら?」
「いや、装備の意味で」
「バブルだよなあ」
「そういうもん?」
「そういうもん」
疾風には、よく分からなかった。
生まれて二十二年。
世の中は、だいたいこういうものだった。
新しいものは増える。
クルマは速くなる。
装備も増える。
景気がいいとか悪いとか、大人は色々言う。
だが、自分にとっては最初からこの世界だ。
コスモもまた、当然のようにそこにいた。
撮影が終わるころには、疾風もすっかり慣れていた。
編集者がメモを見返す。
「また頼むわ」
「何を」
「試乗」
「俺、文章書けないよ」
「書くのは俺」
「写真も?」
「撮るのはカメラマン」
「じゃ俺何すんの」
「乗って喋る」
疾風は少し考えた。
「……それで金もらえんの?」
「だから最初からそう言ってんだろ」
「いい仕事だな」
「たぶんお前が思ってるほど簡単じゃないぞ」
「今日簡単だったけど」
「そのうち変なの持ってくる」
「変なの?」
「速すぎるとか、遅すぎるとか、曲がらないとか、壊れそうとか」
「いいじゃん」
「バイクもある」
「もっといいじゃん」
「安いな、お前」
「金出るなら」
「そこだけは一貫してるな」
疾風は笑った。
また、妙な仕事がひとつ増えた。
それが何につながるのかは、まだ分からない。
職業と呼べるほどのものなのかも分からない。
ただ。
金にはなるらしい。
返却前。
疾風はもう一度コスモを見た。
(しかし、お前ほんと無駄多いな)
【余裕です】
(はいはい)
【疾風さん】
(何)
【また機会があれば】
(乗せてくれんの?)
【丁寧に扱っていただけるなら】
(踏むけど)
【それは構いません】
(いいんだ)
【性能は、使われるためにあります】
(なるほど)
【ただし】
(何)
【雑に扱うことと、性能を使うことは別です】
(やっぱめんどくせえ)
【品位、とお呼びください】
(はいはい)
疾風はドアを閉めた。
静かな音がした。
その佇まいは最後まで、妙に落ち着いていた。
三つのローター。
二つのターボ。
必要以上の静けさ。
必要以上の速さ。
必要以上の装備。
どれも、なくても人は困らない。
それでも、作れた。
作ろうと思った。
そして実際に、売るところまでやった。
ユーノス・コスモは、そんな時代のクルマだった。
社会が、少し狂って見えるほど元気だったからこそ、生まれることのできたクルマだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
当本編は比較的軽い読み味で読んでいただくため、早々にタイトル回収の描写を、軽い文体で導入しています。
重たい読み味が苦にならないといった方は、前日譚となる外伝1>外伝2>本編の時系列順で読むことで、著者の思惑どおりの3代にわたる時計を軸とした人間(機械)模様といった、叢書的な楽しみ方ができると思います。




