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現代の付喪神は、時計の姿で顕現する。  作者: lemonia


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3/12

爺むさい時計

初の連載となります。


ご意見、ご感想等いただけますと、五体投地して喜びます。


 爺むさい。


 やっぱり爺むさい。


 疾風は左手首を持ち上げ、黒い文字盤を眺めた。


 太めのケース。


 古びた風防。


 今どきの時計に比べれば、どう見ても若者向きではない。


(やっぱ爺むさいよな、お前)


『聞こえているぞ』


(知ってる)


『なら言うな』


(本人に聞かせるために言ってんだよ)


『性格が悪いな』


(お前に言われたくねえ)


 疾風は腕を下ろした。


 この時計を初めて見たのは、いつだったか。


 覚えていない。


 物心ついたころには、もう親父の左腕にあった。


 工場でクルマの下へ潜っているときも。


 飯を食っているときも。


 運転しているときも。


 休みの日も。


 親父の腕を見ると、だいたいいた。


 だから疾風にとって、これはずっと、


 親父の時計。


 それだけだった。


 高そうだと思ったこともない。


 格好いいと思ったこともない。


 ドイツ製だとも知らなかった。


 まして一九四一年型なんて、最近まで知らなかった。


 ただ、親父がずっと着けていた。


 それだけ。




 十八になって、免許を取った。


 教習所には行かなかった。


 試験場へ直接行った。


 一度落ちたが、コツを聞いてからはすぐ取れた。


 そのあと。


 親父から突然、時計を渡された。


「これ」


「時計?」


「持っとけ」


「いいの?」


「いい」


「ずっと着けてたじゃん」


「だからだよ」


 意味が分からなかった。


 意味が分からないまま、受け取った。


 手のひらへ乗せてみる。


 重い。


 古い。


 黒い。


 そして、やっぱり爺むさい。


「なんか爺くさくない?」


「嫌なら返せ」


「いや、そこまで言ってねえよ」


 親父はそれ以上、何も説明しなかった。


 いつものことだった。


 疾風も、それ以上聞かなかった。


 それも、いつものことだった。




 その日。


 疾風はまたクルマで出かけた。


 免許を取ったばかりだった。


 用もなく走るだけでも面白かった。


 親父からもらった時計を左腕へ巻いて。


 走り出した。


 夕方だった。


 まだ完全には暗くなっていなかった。


 信号待ち。


 何気なく左腕を見る。


 針が時刻を刻んでいる。


 古い。


 爺むさい。


 でも、親父がずっと着けていた。


 まあ。


 悪くはないか。


 信号が青になる。


 走り出す。


 しばらくして。


『疾風』


 声がした。


 疾風は少しだけ周囲を見た。


 助手席。


 後ろ。


 ラジオ。


 誰もいない。


 もう一度。


『疾風』


 疾風は左腕を見た。


(……お前?)


『そうだ』


 少し沈黙した。


(時計って喋るんだ)


『もっと驚かないのか』


(驚いてるよ)


『見えない』


(じゃどうしろってんだよ)


 それが最初だった。


 親父から時計を渡された、その日のことだった。




 あとから思えば。


 もう少し驚いてもよかったのかもしれない。


 喋る時計。


 普通なら十分おかしい。


 でも、聞こえた。


 返事もできた。


 なら、そういうものなんだろうと思った。


 怖くはなかった。


 嬉しくもなかった。


 少し面白かった。


 それくらいだった。


 時計の方は、むしろ疾風の反応に困っていた。


『本当に何とも思わないのか』


(何が)


『私が喋っている』


(喋ってるな)


『普通ではないだろう』


(俺に聞くなよ)


 疾風は信号を曲がった。


(で、お前ずっと親父にも喋ってたの?)


『喋っていた』


(親父も聞こえてた?)


『いや』


(全然?)


『言葉としては、一度も』


(じゃなんで俺には聞こえんの)


『知らん』


(役に立たねえな)


『私も知りたい』


 そこで会話は終わった。


 疾風も、それ以上深く考えなかった。




 数日もしないうちに、もっと妙なことが起きた。


 時計以外の機械の声まで、聞こえるようになったのだ。


 最初のうちは、何を言っているのか分からないものも多かった。


 ある日、KATAGIRIに置いてあったクルマの横を通ったときだった。


【右が変】


 疾風は立ち止まった。


(今の、お前?)


『違う』


(じゃ誰)


【俺】


 疾風はクルマを見た。


(……お前?)


【そう】


 少し考えた。


(お前ら、みんな喋れんの?)


『私に聞くな』


(いや、お前が一番詳しそうじゃん)


『私も全部知っているわけではない』


(使えねえな)


『何度言わせる』


 それからだった。


 クルマ。


 バイク。


 工作機械。


 いろいろなものの声が、少しずつ聞こえるようになった。


 正確には、この時計を通して聞こえているらしい。


 疾風にはその仕組みがよく分からない。


 時計にも分からないらしい。


 だったら考えても仕方がない。


 聞こえるものは聞こえる。


 それだけだった。




 ただし。


 機械が喋るからといって、何でも分かるわけではなかった。


【右前が変】


(どんな感じ?)


【変】


(だから何が)


【分かんない】


(役に立たねえな)


『お前も同じことを言われているぞ』


(何を)


『誠に』


 疾風は黙った。


 親父なら、こんな声が聞こえなくても分かる。


 音を聞く。


 触る。


 測る。


 考える。


 原因を見つける。


 疾風には声が聞こえる。


 でも、それで親父より機械に詳しくなったわけではない。


 そこは少し悔しい。


 便利なのに。


 ずるをしているみたいなのに。


 それでも親父の方が早い。


(なんか納得いかねえ)


『何が』


(俺の方が直接聞いてんのに、親父の方が分かるの早い)


『当然だ』


(即答すんなよ)


『声は答えではない』


(それ親父も言いそう)


『実際、似たようなことは何度も言っている』


(うるせえ)


 時計は黙った。


 こういうところも爺むさい。




 それから三年半ほど経った。


 疾風はまだこの時計を着けている。


 最初は毎日着けるつもりなんかなかった。


 古い。


 重い。


 若者向きでもない。


 友達に見せても、


「何その時計」


で終わる。


 だから、別に気に入っていたわけではない。


 はずだった。


 でも、外して出かけると妙に左腕が軽い。


 落ち着かない。


 親父からもらったものだから、なくすのも嫌だった。


 気づけば、毎日着けていた。


(まあ、タダだったし)


『そこか』


(親父からもらった時計なんだから、タダだろ)


『言い方というものがある』


(細けえな)


『時計だからな』


 疾風は少し笑った。




 そういえば。


 ちゃんと名前を読んだことすらなかった。


 疾風は文字盤へ顔を近づけた。


(ぐ……ぐら……ぐらす……?)


『グラスヒュッテだ』


(読めねえよ)


『正しくは、チュチマ・グラスヒュッテ。フリーガークロノグラフ、一九四一年型』


(長えよ)


『正式名称だ』


(チュチマでいいじゃん)


『それはブランド名だ』


(じゃチュチマ)


『人の話を聞け』


 疾風は文字盤を見る。


 一九四一年。


 親父が生まれるより前。


(……戦前じゃん)


『そうだ』


(マジで爺じゃん)


『爺ではない』


(もう五十年近いだろ)


『時計に年齢の概念をそのまま適用するな』


(めんどくせえな)


 疾風はもう一度、文字盤を眺めた。


(じゃ、親父の前は誰が持ってたの)


 時計は少し黙った。


(何)


『……』


(何だよ)


『その話はいずれする』


(もったいつけんなよ)


『今である必要はない』


(そういう言い方すると余計気になるだろ)


『なら気にしていろ』


(性格悪いな)


『お前に言われたくない』


 疾風は眉をひそめた。


 親父より前。


 誰かがいた。


 それだけは分かった。


 でも、時計は話そうとしない。


 なら、今はいいか。


 困っているわけでもない。




 疾風は鏡の前で腕を上げた。


 黒い文字盤。


 古いケース。


 細かい傷。


 若者向きかと言われれば、やっぱり違う。


(爺むさい)


『また言ったな』


(事実だろ)


『なら外せばいい』


 疾風は一瞬だけ時計を見た。


(いや)


『なぜ』


(……別に)


『言え』


(うるせえな)


 靴を履く。


 玄関を出る。


 左腕には、いつもの時計。


(もうこれじゃないと落ち着かねえんだよ)


 時計は黙った。


 疾風はドアを閉める。


『疾風』


(何)


『……いや』


(お前最近それ多いぞ)


 返事はなかった。


 疾風は左腕を見る。


 爺むさい時計は、今日もそこにある。


 理由は知らない。


 でも。


 外して出かける気にはならなかった。


読んでいただき、ありがとうございます。


当本編は比較的軽い読み味で読んでいただくため、早々にタイトル回収の描写を、軽い文体で導入しています。


重たい読み味が苦にならないといった方は、前日譚となる外伝1>外伝2>本編の時系列順で読むことで、著者の思惑どおりの3代にわたる時計を軸とした人間(機械)模様といった、叢書的な楽しみ方ができると思います。

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