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ゼノス様の魔導通信機

「お待たせいたしました、お客様」


 応接室に戻った私は、微塵も恐怖を感じ取らせないよう、黄金の角度で一礼した。


「改めて、状況のヒアリングを行わせていただきます。……恐れ入りますが、お客様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「……ゼノスだ」


 ゼノス。その名前に聞き覚えはなかったが、ヒアリングを進めるうちに彼がポツリとこぼした身の上話に、私は内心で盛大に冷や汗をかくことになった。

 なんとこの男、かつて世界を震撼させた魔王軍の元幹部だというのだ。

 終戦を迎えた今は、郊外にある曰く付きの古城——不動産用語で言えば完全なるブラック事故物件——で、ひっそりと隠居生活を送っているらしい。

 そりゃあ雷魔法も指先からポンポン出るわけだ。どうしてそんな超VIPが一般向けの通信機なんか買っているのか。

 脳内で全力のツッコミを入れつつも、顔面は営業スマイルに接着剤を塗ったかのように固定する。


「ただの言いがかりではない。……聞け」


 ゼノス様はそう言うと、テーブルの上の魔導通信機に長く白い指を這わせ、魔力を流し込んだ。

 しかし、何も流れない。

 ゼノス様は何事もなかったかのように悠然と座っている。

 

「やはり丑三つ時にしか聞こえぬか」

「……お言葉ですがゼノス様。こちらの通信機には、外部からの不審な魔力通信の着信履歴は一切残っておりません」

「ほう? ならば、この声の原因は何だと言うのだ」

「外部からの着信ではなく、端末内部の魔力回路の不具合、あるいは環境的な要因の可能性がございます。つきましては……」


 私はゼノスの真紅の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、はっきりと告げた。


「こちらの端末を一度お預かりし、二十四時間の再現検証を行わせていただきます。明日、責任を持ってゼノス様のご自宅へ、原因のご報告に伺います」

「……よかろう」


 ゼノスはゆっくりと立ち上がり、冷酷な見下ろすような視線を私に投げた。


「明日までに解決しなければ、この会社ごと灰にする。……せいぜい励むことだ」


 そう言い残し、圧倒的なプレッシャーと共にゼノスは去っていった。

 毎度のことながら、パワープレイが過ぎる。

 

 そして、その日の深夜。

 

「なんで……ヒック……私がこんな目に……」

「泣かないのシェリー。残業代はキッチリ深夜割増で請求してあげるから」


 私の自宅である、築百四十年のボロアパートの一室。

 ちゃぶ台のド真ん中には、あの呪いの通信機が禍々しいオーラを放ちながら鎮座している。

 私は、泣きべそをかくシェリーと、帰宅直前だった技術部の新人男子を首根っこを掴んで無理やり連行し、徹夜の監視体制——いわゆる〝お持ち帰り検証〟の真っ最中だった。


「ボク、技術部に入ってまだ三ヶ月なんですけど……! アルヴェイン主任にバレたら殺されます……!」

「いいから魔力波形の測定器を動かしなさい。会社が灰になるか、呪い殺されるか、徹夜するか。好きなのを選ばせてあげるわ」


 こうして、定時退社とアヒージョの夢は儚く散り、魔王軍元幹部からのクレームを処理するための、果てしなくブラックな徹夜デバッグ作業が幕を開けたのだった。


 

 草木も眠る丑三つ時。

 部屋は水を打ったような静寂に包まれていた。

 ちゃぶ台の中央に置かれた魔導通信機を、私とシェリー、そして技術部の新人が、息を殺して見つめている。

 カチ、カチ、と壁の古い時計が秒針を刻む音だけがやけに大きく響く。

 時刻は午前二時。ゼノス様が呪いの声が聞こえる、と証言した時間帯だ。

 しかし五分経っても十分経っても三十分経っても通信機は、うんともすんとも言わない。禍々しいオーラすら消え失せ、ただの四角い文鎮と化している。


「……ひっ、うぅ……っ」

 

 限界まで張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れたのか、魔力波形の測定器を握りしめていた新人技術者が、白目を剥いてパタリと畳に倒れ込んだ。恐怖と疲労による気絶である。シェリーに至っては、すでにちゃぶ台の端で丸くなってスヤスヤと寝息を立てている。

 だが、私だけは冴え渡る頭で、ちゃぶ台の上の通信機を冷徹に睨みつけていた。

 ……なるほどね。完全に理解したわ。

 前世の百貨店時代、「誰も触っていないのに勝手にテレビのチャンネルが変わる」「買ったばかりのラジオからお経が聞こえる」など、ありとあらゆる狂ったクレーム——もとい、オカルト的なご相談を受けてきた私には確信があった。

 

 持ち帰って再現しない不具合。

 それはつまり、端末の初期不良でも、もちろん本物の呪いでもない。

 機器の不具合じゃない。ユーザーの使用環境に原因がある、環境依存のバグだ。

 お客様の家でしか起きない怪奇現象。ならば、現場に赴いて直接原因を叩き潰すまでだ。プロのサポート担当として、ここで引き下がるわけにはいかない。


 そして、翌朝。


「……起きなさい。行くわよ」

「ヒィッ!? ば、化け物……じゃなかった、ユキミチーフ!?」


 目を覚ましたシェリーが、私の顔を見るなり悲鳴を上げた。

 その声で新人技術者も目が覚めたようだ。


 「うわああ! 出た!!!!」

 

 徹夜の監視により一睡もしていない私の目の下には、見事な真っ黒いクマが鎮座している。鏡を見なくとも、今の私が怨霊よりも恐ろしい顔をしている自覚はあった。


「化け物とか出たとか失礼ね。ほら起きなさい。シェリーは出勤して部長に伝えて。今日は一日戻らないわ。あの髭タヌキが何か言ってたら雷魔法の話でもして黙らせなさい」

 

 そう言って、次は新人技術者の方に手をポンと置く。

 

「君もさっさと支度して。出張手当も付くようにしてあげるから、その測定器を持って付いて来なさい。現場検証よ」

「げ、現場って……まさか……っ!」

「ええ。ゼノス様がお待ちかねの、呪われた古城よ」


 私は、ガタガタと震え上がり「労基に駆け込んでやる……!」と涙声で訴える新人の首根っこをガッチリと掴み、容赦なくアパートのドアを開け放った。


 

 王都の郊外、鬱蒼とした黒い森の奥深くにそびえ立つその古城は、見事なまでにいかにもな外観をしていた。

 天を突く尖塔、陽の光を遮る厚い雲、そして上空を旋回する不気味な魔鳥の群れ。


「ひっ……! 帰りたい、お家か労基署に帰りたいですぅ……」

「黙りなさい。技術部代表としてしっかり波形を測るのよ。さもないと、あんたが先に消し炭になるわよ」


 ストレスで胃に穴が開きそうになるのを必死にこらえながら、私は涙目の新人技術者の首根っこを掴み、重厚な鉄の扉をノックした。

 ギギギ……と、ホラー映画さながらの重い音を立てて扉が開く。

 広大で薄暗いエントランスホールの奥で、漆黒のローブを纏ったゼノス様が、玉座のような豪奢な椅子に腰掛けて待ち構えていた。


「来たか」


 地を這うような低い声が、広間に反響する。


「約束の刻限だ。……呪いの正体、答えは出たのだろうな?」


 ゼノス様の真紅の瞳が細められ、室内の温度が急激に下がった。新人技術者がヒッ、と短い息を漏らして私の背後に隠れる。

 だが、私は徹夜明けの隈がくっきりと浮かぶ顔に、一切の揺らぎのない営業スマイルを貼り付けて一礼した。


「はい。ですが、より正確な原因を特定し、二度と同じ事象を発生させないためにも、まずはゼノス様がいつもこの通信機を置いている〝環境〟を拝見させていただけないでしょうか」

「……環境だと?」

「左様でございます。通信機をご利用になられているお部屋へご案内をお願いいたします」


 怪訝そうな顔をするゼノス様を促し、私たちは古城の奥深く、彼の寝室兼書斎へと足を踏み入れた。

 部屋の中は、分厚い魔導書や不気味な骨の標本、怪しげな薬瓶が所狭しと並んでおり、いかにも元魔王軍幹部といった風情だ。

 私は持参したクリップボードを構え、前世のお客様相談室で鍛え上げた〝お客様の利用環境ヒアリングスキル〟をフル稼働させた。ここからは、プロのトラブルシューティングの時間である。


「ゼノス様。普段、こちらの通信機は夜間どこに置かれていますか?」

「……寝台の横の、そのサイドテーブルだが」

「声が聞こえるのは、常に『丑三つ時』のみということでお間違いないでしょうか? 他の時間帯、例えば昼間や夕方に鳴ったことは?」

「ない。決まって深夜だ」

「その際、お部屋の明かり……こちらの魔導ランプなどは点灯されていましたか? それとも完全な消灯状態でしょうか」

「……なぜ、そんな関係のないことを聞く」


 矢継ぎ早な私の質問に対し、ゼノス様は苛立たしげに眉をひそめ、指先でパチ……と黒い火花を散らした。

 背後で新人が震え上がるが、私は一歩も引かない。むしろ、徹夜明けのナチュラルハイなテンションも相まって、私の目にはプロとしての鋭い光が宿っていた。


「関係大ありでございます。お客様の生活動線や些細な使用状況の中にこそ、真実を紐解く鍵が隠されているのです。さあ、魔導ランプは点けていらっしゃいましたか!?」

「っ……消灯している。暗くなければくならぬからな」


 私の凄みのある真剣な眼差しに気圧されたのか、かつて世界を震え上がらせた魔王軍の元幹部は、少しだけ身を引きながら素直に答えた。


「なるほど。では、窓のカーテンは? 隙間風などは入りますか? また、寝室周辺に強い魔力を発する特殊な鉱石や、結界などの魔導具は設置されておりますでしょうか?」

「カ、カーテンは閉めている。結界は外周のみで、この部屋には置いておらん……」


 よし、必要なピースは揃いつつある。

 私はクリップボード挟んだ半紗紙にペンを走らせながら、部屋の構造とゼノス様の生活環境を脳内で完全にマッピングしていった。

 

 

 やがて、壁の古時計が深夜二時を告げた。


「……聞くがいい」


 ゼノス様が机の上の魔導通信機に指を這わせる。ジジ……と耳障りなノイズが鳴り、スピーカーから低く掠れた声が這い出してきた。


『……キサマ……ユルサナイ……ゼノス……』


 書斎の窓ガラスがピキピキと凍りつき、私の腕も粟立つ。

 まるで本当に呪われてるかのようだ。

 急激な冷気に、背後で新人技術者が「ひぃっ」と短い悲鳴を上げて腰を抜かした。

 だが、彼が床に取り落とした『魔力測定器』を見て、私はハッとした。針が激しく乱高下している。しかし、その先端が向いているのは通信機ではなかった。


「……壁?」


 針は、書斎の奥の壁を指して狂ったように震えていた。

 改めて声に耳を澄ませる。ノイズの入り方、息継ぎのタイミング。生々しい怨嗟の声にしては、どこか機械的な違和感がある。一定の周期で同じパターンの音が繰り返されているのだ。


「ゼノス様。失礼ですが、この壁の裏には何が?」

「……ただの物置だ。数百年は開けておらん」

「開けてください。原因は、そこにあります」


 私の迷いのない声に、ゼノス様はわずかに目を丸くしたが、無言のまま指先から黒い閃光を放ち、壁と一体化していた隠し扉の錠前と扉を吹き飛ばした。

 埃の匂いと共に開いた暗がりの奥。

 そこに鎮座していたのは、おどろおどろしい怨霊などではなかった。


「こ、これは……旧式の魔導レーダー?」


 這いずってきた新人が、蜘蛛の巣に覆われた巨大な鉄の塊を見て息を呑んだ。それは大戦中、魔王軍が使っていたらしい無骨な軍事機器だった。機体の奥で、ごく微弱な魔力の光が今も瞬いている。

 新人は震える手で測定器をかざし、そして通信機とレーダーを交互に見比べた。


「波形が……同期してます。チーフ、電波干渉です! うちの通信機の強い電波が、この古いレーダーの魔力回路と干渉を起こしてる。通信機が受信していたのは呪いなんかじゃない。このレーダーの中に残っていた……戦時中の古い音声記録です」


 かつてこの機体を通して届けられた、戦死者たちの最期の声。それが通信機を通じ、リピート再生されていたのだ。


「なんだ、じゃあ我が社の製品のバグじゃない! お客様の家の環境の問題じゃないですか!」


 恐怖から解放された新人が、手のひらを返したように勝ち誇った声を上げる。


「……黙りなさい」


 私は新人の口をむんずと掴んで塞ぎ、強い力で彼を後ろへと追いやった。

 ゼノス様は、物置の前に立ち尽くしていた。

 呪いの正体が自身の過去の遺物であったことに気づき、その広い背中はひどく小さく見えた。真紅の瞳が、暗闇の中で瞬く古いレーダーの光を虚ろに見つめている。


 私は、彼の纏う空気が怒りから別のものに変わっていることに気づいていた。

 広大で、誰もいない冷たい古城。終わった戦争。失われた部下たち。

 彼はクレームを入れたかったわけではない。夜の静寂の中、不意に鳴り響いた過去の亡霊の声に怯え、世界から一人取り残された孤独に耐えきれず、誰かにすがりたかっただけなのかもしれない。

 私は姿勢を正し、その小さな背中に向かって、深く頭を下げた。


「……ゼノス様」


 彼がゆっくりとこちらを振り返る気配がした。


「私どもの製品が、これほど強力な旧式機と干渉を起こす可能性を想定できておりませんでした。配慮が行き届いておらず、誠に申し訳ございません」

「……」


 接客の基本は〝心情への共感〟と〝ねぎらい〟だ。

 

「何より……夜の深いお時間帯に、お客様へこれほどの恐怖と、お心に負担をかけるような不快な思いをさせてしまいましたこと、責任者として心よりお詫び申し上げます」


 私の言葉を聞いたゼノス様は、虚を突かれたように目を見開いた。

 ただの機械の不具合ではなく、彼の隠したかった怯えをすべて包み込むような謝罪。

 やがて、彼を覆っていた禍々しいプレッシャーと、指先で爆ぜていた漆黒の電撃が、嘘のように空気中へと溶けて消えていく。

 毒気を抜かれたように呆然とする彼に、私はゆっくりと顔を上げ、この二日間で一番の深く静かな、心からの微笑みを向けた。


 原因が判明し、静まり返った書斎。

 私は姿勢を正すと、背後でへたり込んでいる新人に向かってテキパキと指示を出した。


「さあ、ボーッとしてないで。あれを完全に停止させて、回収するわよ」

「ええっ!? ボクがですか!? これ、とんでもなく重い鉄の塊ですよ!?」

「当たり前でしょ。技術部の若い力、見せなさい」


 半泣きで抗議する新人を容赦なくこき使い、壁の奥で微弱な魔力を放っていた旧式レーダーの電源を引っこ抜かせる。さらに、古城の外へと続く長い廊下を二人で引きずって運び出した。

 その後、私はゼノス様からお預かりしていた魔導通信機の背面を開き、持参したメンテナンスキットを取り出した。

 小さな魔力回路を一つ追加で組み込み、カチリと蓋を閉める。


「ゼノス様」


 振り返った彼に、私は通信機を両手で恭しく差し出した。


「こちらの端末に、特定の魔力波形を完全に遮断する『魔除けの特殊フィルター』を装着させていただきました」

「魔除けの……フィルター?」

「チーフ、それただのノイズキャンセラーじゃ……」

 

 背後から聞こえた新人の小さく野暮なツッコミは、見えない角度で思い切り足を踏んづけて黙らせる。


「はい。これで、過去の遺物から発せられる声も、夜の静寂を乱す不快なノイズも、一切届くことはございません。……明日からは、どうか静かで安らかな夜をお過ごしくださいませ」


 そう言って、私は最高の営業スマイルを作った。

 ゼノス様は、差し出された通信機と、私の顔を交互に見つめた。

 その真紅の瞳の奥で、微かな感情が揺れる。

 通信機を直しただけではない。彼自身が持て余していた過去の罪への恐怖という見えない亡霊ごと、物理的にも精神的にも、綺麗に片付けてみせたのだ。

 それに気づいたのだろう。ゼノス様は短く息を吐き、私の手から通信機を受け取った。


「……フン。チーフともなれば、見事な顛末をつけるものだな」

「もったったいないお言葉でございます」

「よかろう。今回の件は、これで不問にしてやる」


 その言葉と共に、彼から微かに漏れ出ていた禍々しいプレッシャーが、完全に霧散した。

 クレーム、完全取り下げである。

 私は心の中で、周囲に花が舞うような大きなガッツポーズをキメた。


 空が白み始めた頃、私たちは古城のエントランスを後にしようとしていた。重い鉄の扉を抜けようとした私の背中に、低い声が降ってくる。


「……おい」

「はい。何かご不明点などございましたでしょうか?」


 振り返った私に、ゼノス様はエントランスの奥から真っ直ぐな視線を向けていた。


「お前、名はなんと言う」

「……エレマギ社お客様相談室チーフ、ユキミ・サトウと申します」


 昨日も名乗ったはずだが、もう一度はっきりと告げる。

 ゼノス様の口元が微かに、本当に微かにだが、柔らかな弧を描いた。


「ユキミ、か。……気に入った。何かあれば、次からはお前を指名する」


 魔王軍元幹部という、とてつもないVIPを獲得した瞬間だった。

 私は光栄でございます、と深々と頭を下げ、朝もやに包まれた古城を後にしたのだった。

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