エルフの自動掃除機
「チーフ! 今度はエルフのお客様が『自動掃除スライムの腹を割りたい』と恐ろしいことを言っています!」
お茶を口に含む寸前だった私は、カップを持ったまま静かに動きを止めた。
……自動掃除スライムの、腹を割る? パワープレイが過ぎる。
確かに我が社のヒット商品『自動掃除スライム』は、部屋のゴミや埃を喜んで吸収する大人しい魔物だ。しかし、いくらなんでも腹を割るのは物騒が過ぎる。
「……分かったわ、すぐ行く」
私はお茶を諦め、再び営業スマイルを装着してカウンターへと戻った。
そこにいたのは、透き通るような白い肌に、見事な金髪を持つ、絵に描いたように美しいエルフの女性だった。
彼女はドワーフのように怒鳴るでもなく、静かに、優雅にカウンターへ腰掛けている。
ただ、その前に置かれた籠の中では、半透明の青いスライムが、いつもより重そうにズシンと縮こまっていた。
「お待たせいたしました、お客様。本日対応させていただきます、お客様相談室チーフユキミ・サトウと申します。我が社の製品について、何か不都合がございましたでしょうか?」
私が微笑みながら一礼すると、エルフの女性は小さな口を開いた。
「ええ、困ってしまって。……ねえ、チーフさん。この子のお腹を割っていただけないかしら?」
鈴を転がすような美しいソプラノボイスで、とんでもないことをのたまう。
「……まあ、それは穏やかではございませんね。一体、このスライムが何をいたしましたか?」
「この子がね、吸い込んでしまったの。夫の治療費を」
お客様は細く白い指先で、スライムのボディをそっと撫でた。
言われて半透明の体内を透かして見てみると――本来なら埃を消化しているはずの青い体内の中心に、キラリと輝く、大粒の宝石が埋め込まれた特級金貨が数枚、ぷかぷかと浮いていた。
「明日、高名な治癒魔導士様をお呼びしているの。その報酬として、この金貨を手渡さなければならないのだけれど……。この掃除機、お財布をひっくり返した瞬間に、ものすごい勢いで走ってきて、一瞬で吸い込んでしまって」
普段は部屋の隅で健気に埃を貪っているだけの、あの鈍重な青い塊が。特級金貨の輝きを見た瞬間、ドラゴンばりの猛ダッシュを見せたというのか。想像して私は頭が痛くなった。
お客様のトーンはどこまでも穏やかだ。それでもその目に宿る険しさから、とても困っていることはよくわかる。
「スライムの消化液では、金貨は溶けないわ。それは知っているの。でも、自然に排泄されるのを待っていたら、明日の朝には間に合わないでしょう? だから、今すぐここで、この子を切り裂いて取り出したいの。……もちろん、会社としては困るわよね? でも、私、手段を選んでいられないのよ」
こんなに可愛いスライムになんてことを! 信じられない!
そう思ったのも束の間、彼女の手が、ローブの奥へとしなやかに伸びていく。
見え隠れした細身のダガーの刃が、魔導灯の光を浴びて冷たくきらめいた。
「刃物は規定でここに置いていないかもしれないと思って持って来たの。使ってちょうだい」
私にナイフを手渡そうとするのをそっと制止した。
内心は大慌てだが、アンニュイな表情をキープする。
「お客様、お気持ちは痛いほど分かります。ですが、どうかその刃をお収めください。そのナイフを使わずとも、今からわずか3分で、金貨を傷一つなく取り出す方法がございます。ただ、大変恐縮ですが会社としては保証対象外となってしまいます」
「……そう。構わないわ。私としても無駄な殺生はしたくないの」
エルフのお客様がダガーを収めるのを確認し、私は小さく息を吐いた。
「準備をしてまいります。少々お待ちください」
そう言って私はバックヤードへシェリーを連れて素早く下がった。
「チーフ! 本当にスライムのお腹を割るんですか!? あの健気な生き物を!?」
「落ち着きなさいシェリー。そんなことをしたら我が社のイメージはガタ落ちよ。ちょっと食堂から塩とスプーンを取ってきて」
「え? 塩ですか? お清め……?」
「いいから早く」
水道からコップ一杯を汲み、シェリーが食堂から拝借してきた調味料の小瓶と携えて、お客様相談室に戻った。
不安げに覗き込むシェリーの前で、私は水の中に白い粉をたっぷりと注ぎ、スプーンで手早くかき混ぜた。
「お客様、これより高濃度塩水による浸透圧刺激を行います。スライムの体表面に強い塩分濃度差を与えることで、拒絶反応による体内物の緊急排出を促すのです」
私は塩水を指先に少し浸し、籠の中で怯えるスライムの体表へ、優しく、しかし的確に数滴垂らした。
ピチッ、とスライムの身体が小さく跳ねる。
「これなら、治癒魔導士様へのお支払いにも今すぐ間に合います。そしてこのスライムも、お腹を割らずに済みます」
私は動きを止め、お客様の目をまっすぐに見つめた。
「命を救うためのお金のために、別の命を奪う必要はございません」
お客様は頷き、それから、きゅっと胸元で両手を握りしめた。その細い指先は、先ほどダガーを握っていた時とは違い、微かに震えている。
そこからの三分間は、静寂がカウンターを支配した。じわじわと塩水が浸透していく。スライムの身体がまるで炭酸水のように微細な泡を吹き始め、青いグラデーションが激しく入れ替わる。
突然、スライムがきゅぅ、と小さく鳴き声を上げたように聞こえた。
半透明の青い身体が波打つように激しく収縮し、限界まで引き絞られたかと思うと……。
ポポンッ!
小気味良い音を立てて、数枚の特級金貨がカウンターの上へと転がり出た。
「あ……っ」
お客様が思わず声を漏らす。
転がり出た特級金貨は、スライムの強力な消化液、兼洗浄液によって、埋め込まれた宝石の塵一つ残さず磨き上げられ、新品以上の輝きを放っていた。
「……さすが我が社の自動掃除スライムです。吸い込んだゴミだけでなく、金貨の汚れまで完璧にクリーニングしてしまったようですね」
私が茶目っ気を出して微笑むと、エルフの女性の目から、ぽろりと一粒の涙がこぼれ落ちた。
しかし、その表情に先ほどの険しさはどこにもない。
「ありがとう」
鈴を転がすような美しい声が、今度は心からの感謝で震えていた。
彼女は輝く金貨を愛おしそうに拾い上げると、何度も何度も私に頭を下げ、今温かい笑顔を見せて軽やかな足取りで籠を抱えて店を後にしていった。
嵐の去ったカウンターで、私は次のタスクに取り掛かる。
「……さて。シェリー」
「は、はい!」
「次からは『塩水を持ってきて』とお客様に言えるように、マニュアルを改訂しておいてちょうだい。……あ、もちろん『保証対象外』の文言は太字でね」
「お疲れ様でしたー」
「ええ、お疲れ様。シェリー、戸締まりよろしくね」
定時を1時間ほど過ぎた頃、私はようやく店舗兼事務所の裏口から外へと出た。
カチャリとドアが閉まった瞬間、装着していた営業スマイルを剥ぎ取る。途端に、肩へズシンと重い疲労がのしかかってきた。
「はぁ……。お腹を割る、か。本当に心臓に悪いわ……」
首を左右に振ってパキパキと音を鳴らし、夜の街へと歩き出す。
見上げる空には、地球のそれよりも一回り大きな月と、紫がかった美しい星雲が広がっている。街灯の代わりに道々を照らすのは、淡い緑色の光を放つ魔導街灯だ。
行き交う人々は、耳の長いエルフ、仕立ての良いローブをまとった魔導士、そして大きな荷物を背負った獣人の冒険者たち。転移してもう一年になる。最初は見惚れていたこのファンタジーな光景も、今となっては完全に仕事帰りのいつもの景色でしかなかった。
今日の晩ご飯、どうしようかな。
異世界に来て一番恋しいのは、コンビニの惣菜と冷えた缶ビールだ。ここにはそんな便利なものはない。
大通りに面した『オークの串焼き亭』から、じゅわじゅわと肉が焼ける香ばしい匂いと、大麦酒のジョッキを交わす騒がしい声が漏れ聞こえてくる。一瞬、吸い込まれそうになったが、今日の精神的疲労を考えると、ガヤガヤした酒場に一人で入る気力は残っていなかった。
「……大人しく、お家うちで自炊ね」
私は中央広場を抜け、家賃が比較的安めの旧市街エリアへと足を向ける。石畳の隙間から妙な発光キノコが生えている、少し薄暗い路地だ。
築140年のレンガ造りのアパートにたどり着く。これでもこの街では新築物件なのだから驚きだ。
重い鉄の鍵を鍵穴に差し込んで二回回す。
ギィ、と建付けの悪いドアを開け、一歩中へ踏み込んだ。
「ただいま……」
誰もいない暗い部屋。
私がパチンと指を鳴らすと、天井に固定された魔導具の石がぽうっと温かいオレンジ色の光を放ち、ワンルームの室内を照らし出した。
数秒の静寂。
すると、部屋の隅の暗がりから、カサカサ……と何かが這い寄ってくる音がした。
「きゅ、きゅぅ」
ベッドの脚の影から現れたのは、我が家で飼っているペット兼用の『自動掃除スライム』だった。正確には、型落ち品を社販で安く引き取った。昼間、店で見合わされた個体よりも二回りほど小さい、淡いピンク色のスライムだ。
主人の帰宅を察知したらしい。ピンクの塊は、私の足元までぽよんぽよんと跳ねてくると、ストッキング越しにふくらはぎへ擦り寄ってきた。ひんやりとしていて、気持ちいい。
「ただいま、ピンク。お留守番偉かったね。……うん、部屋が綺麗になってる。ありがとう」
私が屈んでその頭のような場所を撫でてやると、嬉しそうに身体を波打たせている。
「今日ね、あなたと同種の仲間が、危うくエルフの婦人にダガーで腹を割られそうになったのよ。特級金貨の丸呑みには気をつけなさいね」
疲れた声で話しかける私に、ピンクは小首を傾げるように震えた。言葉を理解できていないのか、はたまた特急金貨とは無縁だと言いたいのか。
パンプスを脱ぎ捨て、泥のようにクッションへ倒れ込む。
見上げた天井の木目を見つめながら、私は小さく息を吐き出した。
「……よし。お風呂が湧くまで、まずは家計簿つけなきゃね」
異世界だろうが日本だろうが、働くアラサーの夜は、大体こんなものだ。
私は重い腰を上げ、冷えた身体を温めるために、魔導湯沸かし器のスイッチを押しにキッチンへと向かった。
読んでいただきありがとうございます! 面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




