9、エミレアの告白
エミレアが入ってくると、ニーナは彼女の手を取り、いくつもクッションを重ねて座り心地を良くした椅子に座らせた。
レンは無言のままエミレアの近くの椅子に腰を下ろす。客であるアキは長椅子にゆったりと腰かけ、ニーナを自分の側に座らせた。
その動きにレンはピクリと眉を動かしたが、何も言わなかった。一方エミレアの方は、レンに加えてニーナまで同席していることに戸惑っている。
「それで? 何の用だ」
腕組みをしたレンが不機嫌な声で言った。
「まあそう噛みつくな。――エミレア」
アキの声に、不安そうな顔をしたエミレアが顔を上げた。
「お前はローリア・ランカードの娘だな?」
エミレアの顔がさっと蒼褪める。彼女は視線を逸らすと、苦悩するような顔で「……ええ」と認めた。
「なぜローリア氏が亡くなった時、後を継がなかったんだ?」
エミレアが唇を噛んだ。隣で見ていたレンが「一体なんの――」と腰を浮かせかけたが、ニーナが無言で首を振るのを見て、また元の位置に戻った。
「なぜお前が今この店に居るのかは分からないが、少なくともそのせいで一人の若者が行方不明になっている。うちの学園の生徒で、リードという名だ」
「リードが?!」
皆の見つめる中、エミレアの顔はみるみる蒼白になり――意識を失う寸前でレンの力強い腕に抱きかかえられた。
ニーナが急いでカップを差し出す。中に入っていたのは、人肌程度に温められた白湯だった。
レンはチラリとニーナを見上げた後、それを受け取りエミレアの口元に差し出した。
今にも崩れ落ちんばかりになっていた彼女は、大人しくそれに口をつける。
「あまりショックを与えるな。エミレアは……」
「妊娠しているんだろう」
睨みつけてくるレンの言葉を遮って、アキが淡々と言った。
ニーナも無言で佇んでいる。彼女も先ほどアキから教えてもらったばかりだった。だからこそ、母体に負担とならないよう白湯を用意していたのだ。
初めてエミレアを見た時、アキは彼女の身体に二つの気配が重なっているのに気づいていた。
一つは彼女のもの。そしてもう一つは、恐らくまだ、生み出されてから三か月も経っていないであろう弱々しい命の気配。だがニーナの話によれば、彼女はウィッチグラスに来てから一か月しか経っていない上に、見習いということで客はとらされていなかったらしい。つまり――。
「リードの子供、だな」
アキの言葉に瞳を閉じたエミレアが頷いた。
「リードは……あの人は無事なのでしょうか……?」
弱々しい声でエミレアが尋ねると、アキは「分からない」と言った。
「だが、それを確かめるためにもお前の力が必要なのだ。協力してもらえるな」
エミレアは再び頷くと、レンに支えられながら椅子に座り直した。
「……私は確かに、ローリア・ランカードの娘でした……。ただ、血の繋がりは無かったのです。ランカード夫妻は、長く子宝に恵まれませんでした。結婚十二年目にして、ようやく念願の子供が出来たものの、お母様は……ランカード夫人は流産してしまわれたのです。そのショックで夫人は精神を病んでしまい、ローリア氏は妻のために孤児院から女の子を引き取りました。それが私です」
はらはらと涙を流しながら語られる話に、全員が静かに聞き入っていた。
「養父母は私に愛情を注いでくれました。血の繋がりは無くても、たとえお母様が私のことを死んだはずの娘だと思い込んでいても……幸せだったのです。お母様が亡くなった後、お父様は貿易商の仕事も教えてくれました。私に後を継がせるつもりだったのです。こんな、孤児であった私に……」
エミレアが言葉を詰まらせると、レンが優しくその手を握りしめた。
「……お父様が亡くなった後、ランクルがやって来て葬儀の準備を手伝ってくれました。私も彼の親切をありがたく思い、すっかり信用してしまったのです。けれど……」
きっと顔を上げた彼女の目には、怒りの炎が燃えていた。
「ランクルは密かに、お父様の資産のほとんどを自分の名義に変えてしまっていたのです。私が気づいた時にはもう、会社は彼に乗っ取られておりました。おまけにランクルは私がお父様の実子では無いことを理由に、後を継ぐ資格は無いと言い放ち、私を娼館に……この店に売りとばしたのです。妊娠が分かったのはその後でした……」
エミレアはハンカチに顔を埋め、むせび泣いた。
ウィッチグラスに来てから彼女は、気丈に振る舞っていた。しかし本当は胸中に不安を抱え、孤独で寂しい思いに押しつぶされそうになっていたのだ。
今、枷が外れたように泣きじゃくるエミレアを同情の目で見ながら、ニーナは遠慮がちに尋ねてみた。
「どうしてランクルの言いなりになったの? ローリア氏と血の繋がりは無くても、貴女に味方してくれる従業員も居たんじゃない?」
「しか……仕方……な、かったのです……」
しゃくり上げながら、ますます激しく泣くエミレア。
「言うことを聞かなければ、リードの身に危険が及ぶと言われ……それなのに……それなのに、リードは今……ぁああっ!!」
ついにエミレアは両手で顔を覆うと、声を上げて泣き出した。
レンもニーナもただ彼女を見つめるしか出来ない中で、つとアキが立ち上がりエミレアに近寄った。
彼はそっと彼女の頭に指先を乗せ、何事かを呟いた。
唐突にエミレアの泣き声が止まる。
「アキ? 一体何を?」
ニーナが驚いて声を上げると、レンが「お前、この悪魔を名前で呼ぶほど親しいのか!」と全く関係のない部分に食いついた。
今はそんなこと言ってる場合じゃない、と一喝するとニーナはアキへ向き直った。
「一時的に気鬱を払ってやっただけだ。もう数秒もすれば意識が戻るだろう」
その言葉通り、虚ろだったエミレアの瞳に徐々に光が戻って来ていた。さっきまでの絶望に沈んだ状態とは違い、その目はしっかりとした意志を宿している。
「少しは落ち着いたか?」
「……はい。お見苦しいところをお見せいたしました」
エミレアがゆっくりと頭を下げる。
アキは再び長椅子に戻ると、ランカード商会が違法薬物を仕入れ、コークを使って売りさばいているらしいことをざっと説明してやった。
取り乱すこともなくアキの話を聞いていたエミレアだったが、徐々に険しい顔つきに変わり、頬は怒りで紅潮していった。
「何と言う恥知らずな……何と言う……」
身を震わせながら、ぎゅっと握りしめた両手を見つめて繰り返す。
「エミレア。コークが身を隠していそうな場所に心当たりは無いか? あるいはリードを監禁していると思われる場所を」
答えるエミレアの声は、怒りに震えていた。
「ええ、ございます。父が亡くなる少し前に、郊外に別荘を買ったのです。土地神の守護を請うため、土魔法の巫女を呼んで視てもらいました。けれど巫女に、その場所は闇世界との隔たりが非常に薄い土地で、ついている神の性質も良くないと言われ、そのままに……。いずれ取り壊すつもりだったのですが……」
その前にローリア氏が亡くなってしまい、すっかり忘れ去られていたその場所に、ランクルが目をつけたと言うわけだ。闇世界と密接した場所であれば、悪魔も麻薬を持ち込みやすかっただろう。
アキは大きく頷くと、エミレアから詳しい場所を聞き出した。そして立ち上がると、レンとニーナを見下ろして口を開く。
「俺がエミレアを部屋まで送るから、お前ら二人はここで話し合え」
「えっ……」
「おい、なんで……」
「黙れ。レン、お前が終わらせてやらない限り、ニーナはいつまでも僅かな希望に縋り続けるんだ」
ポカンとしてアキを見上げるレンと、顔を真っ赤にして俯くニーナ。
「逃げるな、ニーナ。お前は面と向かって拒絶されるのが恐くて、一人でうじうじ考えた挙句に自分の出した結論に振り回されてるんだ。それで前に進めるはずが無いだろう」
恥ずかしさに耐えきれなくなったニーナがアキを睨みつけると、予想に反して、アキは驚くほど真剣な眼差しを自分に注いでいた。
お前がどんなに傷ついても、俺が支えてやる。
伝わってくる想いに、ニーナの頬にじんわりと血が上り、心臓は早鐘を打った。
アキがエミレアの肩に手を回し、じゃあなと呟くと、二人の姿は空中に溶けるように消え去った。




