第44話:大切な、出会いです
別れ際のテンカピの発言に「え……?」と声を漏らそうとした瞬間、まばゆい光に包まれる。
まだ思考が追いつかないまま、慌てて目を開けると――
深い緑の髪を揺らす、凛とした佇まいの見知らぬ女性が立っていた。
彼女は、ユキを見て深々とお辞儀をした。
「初めまして」
静かに微笑み、深々と頭を下げるその仕草には、息を呑むほどの『洗練』された美しさがあった。
――完璧なお辞儀は、ユキの社畜魂に火を点けた。
状況は把握できないが、まずは、自分にできる最高のお辞儀をしようと背筋を伸ばすと……
「勝手に女性の部屋に土足で上がり込む、変な服を着たあなたはどちらさまでしょうか?」
彼女は小首を傾げて、どこからかタブレットを取り出した。
――その一言に、ユキの社畜魂は鎮火した。
「とりあえず神権団体に通報するので、少々お待ちください」
ユキは頭をフル回転させた。帰還が失敗したのか、知らない女神の部屋に不法侵入……コンプライアンス、法律、神罰――この間わずか1秒。
彼は即座に次の行動に移る。
テンカピから渡されたセツナの分のシャツを丁寧に隣に置く。
そして、とても美しい土下座をした。
「申し訳ありませんでした!僕は、女神であるセツナ様の執事をしているユキと言います!何かの手違いでここに飛ばされてしまったのですが、他意はありません!どうか、どうか穏便にお願いします!」
その姿を見て、アテナは穏やかな笑みを浮かべながら、そっとユキの両肩に手を当てた。
「事情は分かりました。頭を上げてください」
「分かっていただけましたか!すぐにセツナ様に連絡するので――」
「連絡は不要ですよ」
「え……それはどういう?」
「罪を犯す者は、皆同じことを言うものです。後のことは法廷でたっぷり聞きますので、安心してくださいね」
ユキは、静かに頭を地面につけ、ダンゴムシのように丸くなった。
そこに、聞き慣れたセツナの声が響く。
「アテナ様、ユキの相手をお願いしてしまい、申し訳ありません。お風呂の準備が終わりましたので、もう大丈夫ですよ」
即座に顔を上げようとするユキの背中に、セツナはドカッと腰を下ろした。
「あら、まだ帰っていませんでしたか。中二病患者と戦っていたから、感染する前に病原菌を洗い流させようと思ったのですが……」
――ユキは、自分が遊ばれていることを悟った。
「……セツナ様。あなたの執事はここにいますよ。状況は分かりませんが、とりあえずどいてください」
セツナは初めて気付いたかのように、立ち上がった。
「あら、ユキ!そんなところで丸まってどうしたの!?……いくら女神に足で踏まれるのが好きだからって、自分から踏まれに行くのはどうかと思うわよ!」
顔を上げると、ドン引きした顔のアテナと目が合い、彼は、再び丸くなった。
「まぁ、今回も頑張ったみたいだからご褒美を……と思ったけど、その服はテンカピが作ったのね」
アテナも、ユキの背中を覗き込んだ。
「……あら、本当ですね。これを踏むことは出来ませんね」
セツナは、どこからか取り出した大きな布をユキに被せた。
「これで大丈夫ですね。安心してね、ユキ。ちゃんとご褒美に踏んであげるから。さぁ、アテナ様もどうぞ」
「まぁ、セツナがそう言うなら……それでは失礼しますね」
2人の女神はユキの背中に足を乗せ、記念撮影をするのであった。
セツナの気が済んだことを確認し、アテナはユキから足を下ろした。
「……セツナ、それくらいにしてあげてはどうですか?いくら、『最テイ』の世界で『狼人娘』と仲良くしていたからといって――」
セツナは、被せるように早口で話しだした。
「元はと言えば、アテナ様がユキをからかい始めたのが原因ですよ。私は、相手をお願いしただけだったのに」
「ふふ、だって久々に人間と話す機会だったんですから」
丸まりながらタイミングを見計らっていたユキは、ここぞとばかりに立ち上がった。
「初めまして、アテナ様。セツナ様の執事のユキと申します」
「改めまして、私はセツナの上司のアテナといいます。先ほどは申し訳ありませんでした。ついつい楽しくなってしまいまして……」
「いえいえ、喜んでいただけて幸いです。至らぬ点もあるかと存じますが、今後ともご指導のほどよろしくお願いします」
「ふふ、丁寧にありがとうございます。話してみると、本当に他の『転生者』とは違うのですね。どうですか、ここで会ったのも何かの縁ですし、セツナの昔話でも――」
2人の雰囲気が悪くないことにひっそりと胸を撫で下ろしたのも束の間、セツナは慌ててアテナの背中を押し始めた。
「アテナ様、そういえば、もう帰るところでしたよね。ほら、ユキ。アテナ様の見送りをするわよ」
「もう、そんなに押さなくても……邪魔者は退散しますから。では、ユキさん。また機会があればお会いしましょうね」
「はい、セツナ様の昔話を聞かせていただけることを楽しみにしています」
「あら、じゃあ今度セツナと一緒に私の家まで……」
セツナは、少し拗ねながらアテナにだけ聞こえるように呟いた。
「……まだあげませんからね」
「もう、セツナ。冗談だから、そんな顔をしないでください」
アテナは、セツナの頭を優しく撫でた。
その姿は上司と部下というより、親子のようで、ユキは心の中で首を傾げた。
そして、3人は玄関の外に出た。
アテナは2人を振り向いて、穏やかに微笑んだ。
「では、2人とも。テンカピからその服をもらったということは、またすぐに会うかもしれませんが、それではお元気で」
そう言い残し、彼女は光に包まれて、姿を消した。
ユキは、色々と聞きたいことを整理しつつセツナを見た。
セツナの視線は、ユキの右腕に嵌まっている腕輪に注がれていた。
中二病の疑いをかけられる前に、説明をと口を開きかけると――
セツナは、ユキの右腕に触れ、優しく腕輪を撫でた。
「いい腕輪ね。作った人たちの思いが、これでもかというくらい詰まっているわ。大切にしなさい」
「……一応確認なのですが、これは僕の物ということでいいのでしょうか?」
「何言ってるの?当然でしょ。確かに派遣したのは私だけど、その腕輪は、彼女たちからあなたへの感謝の気持ちなのよ。私は執事の手柄を横取りするほど、落ちちゃいないわ」
ユキは、腕輪を撫でるセツナの手に自分の手を重ねた。
「……ありがとうございます。セツナ様の執事になれて、本当によかったです」
「何よ、今さら。……それよりも、ほら!早くお風呂に入って中二病ウイルスを流してきなさい」
そう言って、セツナは重ね合わせていた手を繋ぎ、彼を引っ張った。
ユキは、繋がれた手に一瞬驚きながらも、何とかポーカーフェイスを貫いた。
「安心してください、中二病は感染しませんよ……」
2人は手を繋いだまま、家に向かう。
セツナは、ユキにも聞こえない声で小さく呟いた。
「……私も、あなたを待ち続けたかいがあったわ。優希」
「えっ、今なにか言いましたか?」
「……ユキ、残念なことにあなたはもう手遅れね。中二病の初期症状は、自分にしか聞こえない声がするらしいわよ」
「……失礼しました。僕の気のせいだったみたいです」
「それならよかったわ」
2人は、今を噛み締めるように繋いだ指先を一度だけキュッと握り締め、家に戻るのであった。




