第31話:豚でも、結構です……
慎重に音が聞こえた方向に進むと――
そこには、体長150センチほどの、天使のような羽の生えたカピバラが眠っていた。
(アルテミス様の友達がいるとのことだったが、もしかして、このカピバラが?……)
頭を抱えて悩むユキ、眠るカピバラ、両者の間に緊張が走る。
(助けてセツナ様……)
Tシャツのことも忘れて、心の中で祈るユキ。
向かい合う1人と1匹。そこに、背後の草むらから新たな乱入者、青色のスライムが現れる。
「……!?『天竺鼠』様!人間が現れました!ブラック・ダークネスの仲間かもしれません!早く起きてください!」
その剣幕にユキはわずかにたじろいた。
カピバラの後ろで、ぷるぷると怯えながらも威嚇するスライム、微動だにせず熟睡するカピバラ、途方に暮れるユキ……三竦みの膠着を破ったのは、ユキであった。
【女神の奴隷:意思疎通】
ユキは、覚悟を決めたように背筋を伸ばした。
営業スマイルを浮かべ、深々と頭を下げてから自己紹介を始める。
「初めまして。僕は、女神の執事のユキと申します」
「人間が魔物に頭を下げた!?それに、そのシャツ、もしかしてお前は……いや、あなたは、『天竺鼠』様が言ってた、女神様の奴隷様なのですか!?」
ユキは、諦めて奴隷と名乗り直そうとした、その時――。
「フゴォォ……ゲボッゲボッ。なんじゃ、スラ吉。また、ブラック・ダークネスに捨てられた時の夢でも見たのか?」
「違います!人間が現れたんですよ!」
「ほぉ、人間かぁ。どれどれ」
カピバラはのっそりと起き上がり、ユキの着ているシャツをまじまじと見つめた。
「おぉ、そのシャツはまさにアルテミス様の仰ってた通りじゃ。お噂はかねがね、見た目は人間じゃが、心は豚に通じる方だと聞き及んでおります」
――ユキは、まだ見ぬアルテミスに、いつか仕返しをすることを心に誓った。
「これは、ご丁寧に。僕の名前は、ユキと申します。決して、エクスカリバーではありません。『人を踏み付けることが大好きな女神』の奴隷です」
ユキは死んだような目をして、カピバラと目線を合わせてから深々と頭を下げた。
「これは、これは。わしは、『天竺鼠』、アルテミス様の茶飲み友達みたいなものじゃ。よろしくのぅ」
天竺鼠は、何かを確認するように鼻をひくひくさせながらユキに近づく。
ユキは、悩んだ末に右手を鼻の前に差し出した。
「天竺鼠さん、スラ吉さん。よろしくお願いします。ただ、ご存知かもしれませんが、私の主人は、アルテミス様ではないので、そこだけはご承知おきください」
天竺鼠は、ユキの手から鼻を離し、満足げな顔をした。
「主従関係もないのに、アルテミス様に認識されるとは、お主はきっと中々の豚の心の持ち主と見えるのぉ」
「……豚の知人も、たくさんいますからね」
「それはいいことじゃな。あ、後、わしのことは『テンカピ』と呼んでいいぞ」
「ありがとうございます、テンカピさん」
テンカピの後ろで沈黙を貫きながら、ぷるぷる震えていたスラ吉が、急に叫ぶ。
「たとえ豚の心を持っていても、どうせ、いつかあなたも主人に捨てられるんだ!」
「こら、スラ吉!奴隷様に向かって、なんてことを言うのじゃ」
「だってっ……うわぁぁ!」
泣きながらぷるぷる跳ねていくスラ吉の背中を見つめながら、テンカピはユキに向かって申し訳なさそうに頭を下げた。
「すまんのぉ。あれは、仕えていた主人に捨てられてしまって……今は、精神的に少し不安定なのじゃ」
「大丈夫ですよ。それよりも、スラ吉さんの元主人って……」
テンカピは、わずかに声のトーンを落とした。
「察しが良いのぅ。そう、『テイマー』の転生者、ブラック・ダークネスじゃよ」
――ユキは思った。左手が疼くタイプだったら、嫌だなと。
「テンカピさん、実はアルテミス様からのご命令で、ブラックのことは、カスオと呼ぶように言われています。これからは、カスオでお願いします」
「おお、そうなのか。じゃあ、カスオと呼ぶとするかのぅ」
「ありがとうございます。それでは、カスオについてお話を伺ってもいいでしょうか?」
「その前に、腹が減ったから、狩りでもどうじゃ?」
「あ、それなら任せてください。女神様達より、食べ物を預かっております」
【スキル:冷蔵庫(魔獣用)召喚】
ユキは、アルテミスのメモを思い出しながら、冷蔵庫から『天竺笹』を取り出し、テンカピに見せる。
「おぉ!それは『天竺笹』じゃないか。食べてもいいのかのぉ」
「どうぞ、お食べください。人を足蹴にするのが大好きな女神様達から、テンカピ様への贈り物です」
「ありがたいのぅ。おぉ、その位置で持っておいてくれ」
ユキが差し出した笹を、テンカピはそのままの姿勢でもしゃもしゃと食べ始めた。
「……地面に置かなくても大丈夫ですか」
「(もぐもぐ)たまには、こういう食べ方もいいものじゃからな」
「テンカピさんがいいなら……ちなみにスラ吉さんには、何がいいでしょうか?」
「草を食べてるから、何か珍しい植物がいいと思うぞぉ」
「なるほど、植物ですか。ちょっと探してみますね」
ユキは冷蔵庫の中を確認しながら、それっぽい果物を取り出してテンカピに見せる。
「これなんかどうでしょう?果物ですが、僕の母国にも似たようなものがあるんですよ」
「ほお、それは、『ドラゴン・フルーツ』じゃな」
テンカピは、それまでののんびりした雰囲気から一変、試すような視線をユキに向けた。
「言い方は悪いが、そんな珍しいものをスライムにあげてもいいのか?」
「別に大丈夫ですよ。そもそも女神様達から、この世界の方々への贈り物ですし」
それを聞いて、テンカピはふっと目元を緩め、元ののんびりした雰囲気に戻った。
「ほほぅ、そうか。普通は、こっそりせしめて売ったりするものなんじゃがな」
「転売は駄目ですよ……そもそも僕のものでもないので、必要とされる方がいるなら、どんどんお渡しするつもりです」
「なるほど、アルテミス様が興味を持たれるのも分かるのぅ。ほれ、スラ吉。いつまでも、木の裏に隠れてないで、出てきなさい。お前も分かったじゃろう、奴隷様は、ブラック……じゃないカスオとは違うと」
木の陰から、ぷるぷると小さく震えながらスラ吉が現れる。
ユキがそっと近寄ると、怯えながらも逃げずに待っている。そして、恐る恐る差し出された果物に顔を近づけた。
「どうぞ、スラ吉さん。お口に合うか分かりませんが、『ドラゴン・フルーツ』です」
「……ありがと。さっきは酷い事を言ってごめん」
「気にしないでください。ただ、自分を責めては駄目ですよ。悪いのはカスオです」
「……でも、僕が弱いから、ご主人様に捨てられちゃった……」
「……とりあえず、ご飯を食べましょう。美味しい物を食べながら、話すだけでも、気が楽になりますよ」
「……ありがと」
スラ吉もまた、ユキの手から食べ始める。
片手で『天竺笹』を、もう片方の手に『ドラゴン・フルーツ』を持ち続けるユキの肩は、仲間を捨てたカスオへの怒りか、腕を上げ続ける疲労の蓄積か、プルプルと震えていた。
そろそろギブアップをしようか、スキルで肩を強化しようと悩んでいると、スラ吉がボソッと呟いた。
「人間に食べさせてもらうなんて、ご主人にテイムされた時以来だよ……」
ユキは、もう少しだけ頑張ることにした。
その様子に気付いたのか、気付いていないのか、テンカピは眠そうな目をして、奥の茂みに声を掛けた。
「お主達も、出てきたらどうじゃ。奴隷様は、お前たちの元主人であるカスオとは違うことが分かったじゃろ」
その声に答えるかのように、茂みからぞろぞろとしょぼくれた魔獣や魔物が現れた。
驚くユキの方を振り向き、テンカピは優しく伝える。
「すまんのぉ。こやつらは、カスオに捨てられたものたちなのじゃ。一度テイムされて、捨てられると、人間とも魔物とも隔たりが出来てしまうから、わしが保護していたんじゃ」
ユキは、あまりの多さに一瞬たじろいだが、すぐに気合を入れ直すように深呼吸をして、しっかりと前を見据えた。
「そうなのですね。では、食べ物もたくさんあるので、まずはご飯会にしましょうか」
そう言って、ユキはアルテミスのメモを思い出しながら、冷蔵庫から食べ物を出す。
――彼らの眼差しが、理不尽に怒られて落ち込んでいた後輩に重なって……ユキの肩は少しだけ震えていた。
――その頃の神界――
ユキを送り出したセツナは、さっそくタブレットをリビングのテレビに接続して、時計にちらちらと視線を向けた。
それから数分後、規則正しいノック音がドアから響いた。
セツナはあえて、興味のなさそうな表情をしながら玄関へ向かい、扉を開けた。
「ようこそお越しくださいました、アテナ様」
「おはようございます、セツナ。今日はプライベートなので、そんなにかしこまらなくていいですよ」
柔らかい微笑みを浮かべるアテナ。
その両手には、きれいに包まれた重箱のようなものが大切そうに抱えられていた。
「ありがとうございます、おかあさん。準備はできてますよ、さぁ、早く一緒に見ましょう」
「そう急かさないでください。はい、これ簡単だけどお弁当ですよ」
「これはこれは、重ねてありがとうございます」
「あら、早起きして作ってきたのに、それだけなのですか?」
そっけない態度を見透かされたことに、セツナは一瞬だけ言葉に詰まった。
「……久々におかあさんのお弁当が食べれてとても嬉しいです」
「ふふ、お昼に一緒に食べましょうね」
その言葉に頷いて、はにかむのを誤魔化すように、早足でアテナをリビングに案内するセツナ。
二人は、クッションを抱えながらソファーでくつろぎ始めた。
テレビに映し出されたユキとセツナが同じ服を着ているのを見て、アテナは……
「……セツナ、ペアルックは素敵だと思うのですが、それは一緒にいるときに着るからこそ良いのではありませんか?」
「細かいことは気にしないでください。テレビを見ましょう、テレビを!」




