第20話:ようやく、呼べました
男の美しい土下座を一瞥するセツナ。
「まぁいいわ、私は寛容な女神だもの。細かいことにいちいち腹は立てないわよ」
セツナは、満足げに鞭をしまいながら、鷹揚に微笑んだ。
「……寛容な女神様。どうか僕の頭を踏むのは、やめて頂けませんか」
男は、額を地面につけたまま、くぐもった声で懇願する。
「あら、こういうのが好きなんじゃないの?なんか、豚の鳴き真似をしたら許してあげれそうな気がするわ」
男は心を無にして、小声で呟いた。
「……ブヒィ」
それを聞いて満足したように、女神は頭の上から足を下ろすのであった。
「さぁ、ヴィーナス様に弄られたストレスも発散できたし、ご飯を食べましょう!カレーを作っておいたから、温めてちょうだい」
セツナは、機嫌よく立ち上がりながら、あっけらかんと告げた。
「嫌な中間管理職みたいな発散方法をするのは、やめてください」
男は、またレトルトだろうとキッチンに向かい、鍋に入った手作りのカレーに驚き、後ろを振り返ると、ドヤ顔の女神がいた。
「安心しなさい。お肉はビーフよ」
女神は、胸を張りながら、得意げに言い放つ。
「……お気づかい感謝します」
男は、素直に頭を下げた。
カレーを温めて、夕飯を食べていると、女神が討伐報酬の話を切り出す。
「そういえば、あんた、討伐報酬は考えてあるの?私の上司のアテナ様が、可能な限り叶えてくれると言ってたわよ」
「まぁ、ある程度は……そういえば、ヴィーナス様やアテナ様って、あの有名な女神のことですか?」
男は、スプーンを止めながら、興味深そうに尋ねた。
「そうよ。敬称を付けられて偉いわね。昔、勘違いした転生予定者が、調子に乗って呼び捨てにして消された事もあるのよ」
女神は、さらりと物騒なことを口にする。
「……そんな事が許されるのですね」
「何だったかしら。確か、『チートはいらないから、お前が俺と来い、アテナ!俺専用の嫁型女神になってくれ』とかほざいたの」
「それは中々強烈ですね……」
男は、深く息を吐いた。
「女神の中でも最上位に位置する方に、そんな事を言うなんて、消されて当然よ。アテナ様が消さなかったら、私が消しにいってたわよ」
セツナは、鼻息荒く、腕を組んだ。
「人間世界には無い考え方ですね。どれだけ立場を弁えなくても、クビになることはほとんど無いし」
「あんたたちの場合、そもそもやばい奴は、面接で落とされるのと同じイメージよ」
「なるほど、それは分かりやすいです。そういえば、女神様のお名前を教えていただいていませんでしたね」
男は、ふと気づいたように、セツナを見つめた。
「……やめておきなさい。アテナ様達みたいに、他の世界でも名前を知られている方を除いて、ここでは、人間は女神の名前を呼んではならないのよ」
「それは不便ですね。他にも女神がいるのなら、呼び方を考えないといけませんね」
「……どうしても呼びたいなら、今回の『討伐報酬』を使うことになるわよ。これからも女神様でいいから、自分の願いに使いなさい。豚に囲まれた生活を送るとか」
女神は、あえて軽い口調を装いながら、そう告げた。
「そうですか」
男は一瞬だけ逡巡し、
「それなら『名前呼び』を報酬にしてください。いつまでも、役職呼びは失礼ですし」
男は、まっすぐに女神を見つめながら、はっきりと告げた。
「あんた本気で言ってるの?」
「社会人ですからね。それに執事が主人を差し置いて、他の女神を名前呼びはさすがにできませんよ」
「あんたも変わってるわねぇ。こう言う時は、普通、嫁やチートを願うものなのよ」
女神は、呆れたように、しかしどこか嬉しそうに、目を細めた。
「勝手に人を、エタり系主人公にしようとしないでください。嫌いなんですよ。何百話も書いておいて、数年も放置されるの」
――男は、過去に徹夜で読んだWEB小説がエタったことを根に持ち続けていた。
「まぁいいわ、報酬として認めましょう。私の名前は、『セツナ』よ」
セツナは、少し照れくさそうに、小さく頬を染めながら名乗った。
「ありがとうございます、『セツナ』様。いい名前ですね」
一瞬、セツナの表情が強張る。何かに耐えるようにきゅっと唇を結び、さりげなく視線を逸らす。
「……知ってるわよ。仕方がないから、私もたまにはあんたを名前で呼んで上げるわ。何だっけ?」
セツナは、そっぽを向きながら、わざとらしく尋ねた。
男はわざとらしく声を作り、
「随分遅い自己紹介になってしまいましたね。僕の名前は優希です。これからもよろしくお願いしますね。『セツナ』様」
「えぇ、こちらこそよろしくね、『ユキ』。じゃあ、まずは食器を水に浸しておいてちょうだい」
セツナは、口元を緩めながら、いつもの調子で言い放った。
ユキは苦笑いをしながら、
「仰せのままに、『セツナ様』」
と返すのであった。
――
セツナがアテナに願った『報酬』は、男の『名前』を呼ぶこと。




