第16話:執事を、見守ります
部屋を出たヴィーナスは、コーヒーを片手にタブレットを見つめて、ニヤニヤしているセツナを見つけた。そして、気配を消し、背後から両肩を叩いた。
「セツナちゃん、おつかれ〜!なにニヤニヤしてるの〜?」
セツナは、びくりと肩を跳ねさせてから、面倒な、という顔をして振り返る。
「お疲れ様です、ヴィーナス様。もう終わったのですか?」
ヴィーナスはセツナの髪をワシャワシャしながら、頬を緩ませる。
「そうよ〜!どうして、人間ってあんなに醜いのかしらね」
「……どうしてでしょうね」
セツナは、髪を乱されるがままにしながら、少し遠い目で答えた。
「ふふ、やっぱりセツナちゃんは可愛いわね。もっとワシャワシャしてあげるわ」
「やめてください。今、いいとこなので。ヴィーナス様も見ますか?」
「なによ〜、つれないわね!」
そう言いながら、ヴィーナスがタブレットに目を向けると、夕日を浴びながら、豚達と鍛錬をする男の姿が映し出されていた。
「……これは、何をしているのかしら?普通、強敵を倒した後は、宴会じゃないの!?どうして皆、女王にシバかれる豚のシャツを着て、鍛えているのよ!?」
ヴィーナスが、目を丸くして身を乗り出す。
「面白いですよね。少し巻き戻しますね」
セツナは、口元にわずかな笑みを浮かべながら、画面を操作した。
――
時は少し遡る。
男が目覚め、豚達が宴会の準備をしていると、シュリに女神からのお告げが降りる。
それを受けて、急いで男の元に走り、
「奴隷様!今、女神様よりお告げがありました!上司への報告があるから、帰りはもう少し待ってなさいとのことです!」
「……分かりました。お忙しい中、ありがとうございます」
疲れの滲む笑みを浮かべながら、静かに頷いた。
――男は、どこの世界も変わらないんだなと、悟りを開いた。
「あとは、たぶれっと?に伝言を送ったから、確認しておいてとのことです!」
聞き慣れない単語に、シュリは小首をかしげながら、恐る恐る繰り返した。
「あ、タブレットですね。ちょっと確認してみます」
男は、苦笑しながら、手をかざす。
【女神の奴隷:連絡用タブレット召喚:効果:女神との連絡が可能なタブレットを召喚:メモ:受信は無料、送信は、ありえないくらい生命力を消費する】
淡い光とともに現れたタブレットには、女神からの伝言が表示される。
『討伐お疲れ様。イノシシのスキルなんだけど、実は、その世界に【神器】という形で残されてるわ。まぁ、今回の事象により生じた不利益に対する、補填みたいなものね。イノシシを討伐した場所にあるから、もし、あんたに収集癖があるなら、コレクションしてもいいわよ』
男は、画面を見つめたまま逡巡する。
今は、宴会の準備で浮かれている彼らも、自分がいなければ、またいつ来るかも分からない『主人公』を待つ事になる。その事実が、静かに胸に重くのしかかった。
男は、小さく息を吐いてから、顔を上げる。
「シュリさん。今、女神様からお告げのようなものが届いたので、聞いてください」
「え、女神様からですか!ぜひ聞かせてください!」
シュリは、目を輝かせながら、身を乗り出した。
「それはですね――」
その話を聞いて、シュリは、真剣な面持ちで頷くと、宴会の準備をしている仲間達のもとへと駆けていき、話し合いの場を設けた。
「皆さん。お忙しいところ、集まっていただき、ありがとうございます。先ほど、奴隷様より、女神様からのお願いを受けたので、意見を聞かせて下さい」
シュリは、皆を見渡しながら、静かに、しかしはっきりと切り出した。
「何だって!女神様からのお願いだと!」
親分豚が、耳をぴんと立てて身を乗り出す。
「それは気になるでやんす!早く教えてでやんす!」
子分豚も、鼻息を荒くしながら詰め寄った。
「女神様は、私達にあるお願いをされました。奴隷様は、女神様に鞭でバシバシ叩かれながら、鍛えられたことで、イノシシよりも強くなったのです。そして、私達にも自分の代行者として強くなり、もし、今後女神様の代行者が現れて、道を踏み外した時には、シバいてでも過ちに気付かせてあげれる人になってほしいと」
「……言いたい事は分かるが、それは難しい相談だぜ」
親分豚は、俯きながら、力なく首を振る。
「そうでやんす!おいらたちは、弱いスキルしか持たないでやんす!」
子分豚も、耳を垂れさせながら、悲しげに鳴いた。
「それは大丈夫です。奴隷様は、今、女神様の生み出した『神器』を取りに行かれています。そして、奴隷様は『神器』を私達の力に変換することが出来ると仰られています」
シュリは、力強く言い切ってから、少し声を落とす。
「そして、もし私達が願うなら、鍛錬をしてくださるとも」
「だが、鍛錬をしたとこで、俺達は豚の姿だぜ……どうせ何も出来ないんだ」
親分豚は、蹄で地面を掻きながら、諦めたような声を漏らす。
「……そうでやんす。変な希望は持ちたくないでやんす…」
子分豚も、目を伏せた。
その沈黙を破るように、シュリは、深く息を吸い込んだ。
「……ここからは、奴隷様のお言葉です。死ぬ時には、必ず後悔をします。あの時動いていたら……もっといっぱい話しておけばと……。だから、これは、僕の自己満足でもあるんです。もし、また会いに来れたら、その時は、少しでも皆さんに笑っていてほしいと。また、偽物の遣いに虐げられる姿は見たくないと。だから、自分の自己満足に付き合ってほしいと」
シュリの声は、震えながらも、一言一言を噛みしめるように紡がれた。
男の思いを聞いた豚たちは、目を潤ませながら、顔を見合わせる。
「ま、まぁ…どうせこのまま、豚として死ぬくらいなら、いっちょやってやるか!」
親分豚が、洟をすすりながら、無理やり笑ってみせた。
「…そうでやんす……イノシシも偽物もシバいてやるでやんす!!」
子分豚も、涙を振り払うように、勢いよく顔を上げる。
「ブビィ!!」「ブヒヒィ!!」
あちこちから上がる雄叫びが、夕暮れの村に響き渡る。土埃を巻き上げながら、豚たちは互いの背中を叩き合い、鼻を突き合わせて奮い立った。
その光景を見つめながら、シュリは、こぼれ落ちる涙を拭いもせず、声を震わせた。
「皆さん……ありがとうございます」
胸の前で組んだ両手に、力がこもる。これまで、偽物のイノシシに怯え、諦めることしか知らなかった仲間たちが、初めて自分の意志で前を向いた瞬間だった。
「奴隷様が帰って来たら、早速お願いをしましょう!」
涙で滲む視界の中、シュリは、精一杯の笑顔でそう告げた。




