4.
(注)この作品には、女の子が物に変身する場面など、特殊な内容が多く含まれます。そういったものが苦手な方は閲覧をご遠慮いただけますようお願いいたします。
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「というわけで、今に至るわけです…………」
体操服名札雑巾はミナトへの説明をそう締めくくった。
つまり、急遽頼まれた委員会の仕事でミナトが調理室に来るのが遅くなっている間に、ナツキは雑巾にされてしまったというわけだ。
(いや、そうはならんやろ……)
想像の斜め上をいく内容に、ミナトは心中でそう呟いた。
あの手この手で自分をからかおうとするナツキも大概だが、武者小路先生にしてもどこからツッコめばいいのやら……といった具合である。
使い古しの布きれのなかに名札が縫いつけられたままの体操服が紛れ込んでいたら、普通は気づかないだろうか……?
ましてや、その名札をおもて側にして綺麗に畳んで、雑巾に仕立てなおしてしまうとは……。
現代の学校の先生たちは、やっぱり忙しすぎじゃないだろうか……。もっと負荷を軽減してあげるべきだと思う……。
──それにしても気になるのは、ナツキが人間の姿にいまだ戻れていないことである。
普段の彼女の自己再生能力をもってすれば、最悪、変身した状態で欠損したり粉々になったりしたとしても、時間はかかれど身体を修復して元の姿に戻れるはずなのだ。
その能力を応用して、縄抜けの術のように、縫い目をほどくこともできるはず。
「それは…………多分この糸のせいだと思う」
変身した姿を晒していることを恥ずかしがるような小さな声音で、ナツキは自らの身体に縫い込まれた赤い糸について言及する。
彼女が言うには、赤い糸には『魔を封じる力』があるのだという。それが身体を直接縛りつけているせいで、自己再生能力が封じられ、変身した姿のまま封印されてしまっている状態なのではないか、と。
武者小路先生としては、単に授業の見本として見やすくするために赤い糸を選んだだけなのだろう。
しかし、それがなんの因果か、いたずらを繰り返すナツキに特大のお灸を据えるかたちとなっていた。
自業自得とはこのことである……。
とはいえ、ナツキも十分懲りているようなので、元の姿に戻る手助けをしてやろうと、ミナトは制服のワイシャツの袖をまくる。
◇
解決策はシンプルだった。
ナツキの能力を封じている赤い糸を、彼女の身体から抜き取る。これだけである。
雑巾の外周部分、適当なところで縫い目を一箇所、糸切りで断つ。そこを起点に目打ちで少しずつ糸を抜き取っていく。
ただし、ナツキの素肌を傷つけてしまわぬよう、慎重に……。
ナツキはミナトの両手のなかで、声も発さずただじっとしていた。彼の手元をくるわせぬように。
はたから見ると、まるで本物の雑巾のように見えるかもしれない。
しかしミナトの指先には、人肌の体温と小さな震えが、たしかに伝わってきていた。
縫い目から糸を抜き取る際、ときおりプツッ……プツッ……と泡が弾けるような音が立つ。そのたびに、雑巾の内側が、訪れるかもしれない痛みを怖れるみたいにピクッ、ピクッと跳ねるのが分かる。ミナトは、体操服の生地の内側に押しころしているナツキの拍動がたしかに伝わってくるように思えた。
ナツキはいま変身している状態なので、いわばこの生地は彼女の素肌そのもの。
そこから立ち昇る、ミナトにも馴染みのある、ほんのりと甘い、ミルクのような匂い。
ふと、『牛乳を吸った雑巾』というイメージが脳裏に浮かび、思わず苦笑が漏れる。
そういったイメージに好意的な印象を抱いたのは、生まれてはじめてだった。
◇
やがて外周部分の糸を抜き取り終えると、雑巾はもう我慢できないとばかりに、ミナトの手のなかでムニュムニュとうごめき始めた。
まだ作業は半ばだったが、身体が折りたたまれた状態のままでは窮屈で息苦しいのだろう。ミナトは一旦手を引いて、ナツキのしたいままにさせてやる。
雑巾はあっという間に膨らんで、人間の身体の厚みを取り戻していく。
外周部分の縫い目をほどいたその裂け目から、火にかけられた餅のように、内側で折りたたまれ、しまわれていた純白の体操服の生地がまろび出てきて、人型の身体を再構築しはじめたのだった。
しかし、まだ能力は半分封印されている状態なので、完全に人間の姿に戻ることは叶わない。
結果的に、ナツキの身体は、まるで真っ白い妖怪ヌリカベの着ぐるみを着込んでいるかのような姿へと落ち着いていった。
四角い身体の真ん中、名札の上のあたりに赤いリブ生地の丸首の穴がムニムニと生えてきて、そこから久しぶりに息ができるとでもいうように、プハァと、ナツキの顔が出てくる。
そして、もう少しマシな姿にしたかった……とでも言いたげな、恥ずかしそうな表情を浮かべていた。
元々彼女はミナトよりも頭ひとつぶん小柄なので、彼からは少し見下ろすような目線になる。
まずその四角い胴体は、学校指定の丸首体操服、その純白色の肌ざわりの柔らかい布生地を、彼女の頭から肩まわり、腰まわりまでを覆い隠すほどに、無理やり長方形に引き延ばしたようなかたちをなしている。横から見ると、もともとの身体の分だけしっかり厚みがある。
そして、その長方形の胴体を横断するかたちで、四隅の対角線上をX字を描くように結ぶ赤い糸の縫い目が刻み込まれている。まるで、ナツキの身体が依然として雑巾のなかに封印されたままなのだと知らしめるかのように。その縫い目はちょうど体操服の真ん中、『夏樹/2年A組』と書かれた名札の中央で交差している。すなわち、X字の縫い目が、彼女の胸の真上でたすき掛けになっているのだった。体操服の左胸に元々プリントされていた赤い校章マークが、繰り返し洗濯されてきたせいか、それとも先ほど雑巾として拭かれてしまったせいか、ほんのりかすれ気味でかすかに光沢を帯びている。
そんな彼女自身の身体の厚みに比べると、長方形の端っこの方などは、元々が体操服の生地でしかないため、肉襦袢を思わせるような最低限の厚みしかない。ナツキが身じろぎするたびに、ぺらん、ふにゃん、とあちこちに垂れ下がっていきそうで頼りない。
視線を移して、長方形の胴体の下底辺、元々は体操服の白いリブ生地の裾まわりだったところからその下、ナツキのそのしなやかな両脚が伸びている。
まるで普通の体操服の裾をぐいと引っ張りおろして下に履いているものを隠そうとしたときのように、彼女の腰まわりをしっかり包み込んでいるのだが、脚まで覆い隠すには短すぎて、中途半端な境界線で見切れているのがなんとも珍妙だった。
そんな彼女のシルエットのなかで、もうひとつ異様なのは、素肌の質感である。
例えば、胴体に視線を戻すと、元々は体操服の丸首と両袖であったもの、それら三つの部分が、赤いリブ生地のまん丸い穴となって、名札を囲むようにあいていて、そこからナツキのあどけなさの残る顔と、ほっそりなよやかな両腕がニュッと生えているわけだが、顔はめパネルから覗いたときのように前髪などの遮蔽物もなく丸見えになっているその顔立ちはたしかに元々色白ではあったものの、それどころではないぐらい、まるでドーランでも塗りたくったかのように、体操服の生地と全く同じ純白色に染まっている。……というよりも、素肌そのものが体操服の純白色の柔らかな肌ざわりの生地そのものに置き換わってしまったかのようである。
それゆえに、その雪景色のような白貌のなかで、彼女のそのぱっちりとした瞳の黒さと、涙腺の粘膜や薄い唇越しに浮かぶ血色が生々しく映える。両腕と、長靴下に覆われた両脚も、やはり顔と同じく、まるでその上から真っ白い極薄のタイツでも着込んでいるかのように白一色である。上履きの爪先部分などは元々ラバー製の、所属学年を示す赤色であったはずだが、それらも丸ごと白一色に一体化してしまっていて、まるでバレエシューズでも履いているかのようだった。そのせいか、今のナツキがいつもよりおとなしくしていることと相まって、お淑やかな雰囲気すら漂っているのがなんとも可笑しい。
そんな奇妙な衣装のような格好だが、実際にはこれは丸ごと彼女の身体そのものが変化した姿である。よく見ると、彼女の顔や両腕、両脚の素肌と、体操服の白い生地との境目はひと続きに一体化している。そのうえ、彼女の素肌そのものが体操服と同じ真っ白い布生地になってしまっており、同時に体操服の生地全体にナツキ自身の素肌と同じ瑞々しさやハリ、血の通った体温が生まれてしまっていた。
「…………あんまりじろじろ見んといてほしいんやけど」
そう言いつつ、視線を嫌ってナツキが身体をくねらせるたび、四角い胴体のそこここに、彼女の姫反りのからだつきが浮かんでは垣間見える。
肩まわりの小さすぎる服を着ているみたいに、両腕を身体の前で恥ずかしそうに縮こまらせていた。名札が谷折りにたわむ。
「ご、ごめん……」
ミナトは慌てて、無意識に吸い寄せられていた視線をナツキのその真っ白い身体から離す。
なんでもいいから適当な冗談でもって気まずさを紛らわしたかった。
「なんか、あれやない? ニコレットのCMに出てくる着ぐるみに少し似とらん?」
「………………似てないもん」
「ごめん似てなかったわ」
ミナトはうっかり余計なことを言ってしまったと後悔する。でも、気の利いた表現はどのみち出てきようがなかった気もする。
これ以上時間を潰していても仕方がないので、さっさと作業の続きに取り掛かる。
◇
「……………………」
作業自体は先ほどまでと同じく、ただ黙々と糸切りと目打ちを使ってナツキの身体から糸を抜き取っていくだけである。
ただ、ナツキの顔がおもてに出ている分、その呼吸がすぐ近くで聞こえてくる。
緊張感が伝わってきて、ナツキとしてはまるで縫合された皮膚から糸を抜かれていっているような感覚なのだろうな、と思う。
なるべく痛みのないよう済ませてやりたいが、ミナトも家庭科の授業以外で縫製の経験はほとんどないので、多少のミスは我慢してもらうほかない。
作業負荷はほとんど変わらないはずだが、外周部分のときよりも数倍緊張していた。
やっぱり、体操服名札雑巾の姿のままで、終わりまで我慢してもらった方がよかっただろうか……。
胸のところにさしかかり、名札の真上の交差しているところを通過するあたりが、文字どおり一番の山場だった。
単純に、縫い目が真っ直ぐになっていないと作業しづらいのである。
目打ちの先端でナツキの素肌を傷つけてしまわぬよう、とりわけゆっくりと作業を進める。しくじれば、彼女に先の尖ったもので素肌をなぞられたりほじられたりしているような感触を与えかねない。そうならないよう、細心の注意をはらう。
彼女はさっきからずっと目を閉じていて、鼻と唇の端から息を漏らしながら、じっと黙ったままでいる。
ミナトもこういった作業に慣れているわけではないので、目打ちがときおり不器用な挙動になってしまうことがある。そうすると、ナツキもずっと警戒しっぱなしの状態なので、実際には痛みを感じていなくても、大袈裟に背筋をビクッと跳ねさせる。そうなるたびに、にらみつけてくるナツキから目を逸らさないといけないので、なおのこと作業はゆっくりとしか進まないのだった。
特に名札は体操服そのものよりも生地が硬いので、また勝手が違ってきて、手間取った。
夏も終わり、涼しい季節になってきたはずだが、気がつくと額に玉のような汗が浮かんでいた。
ミルクを思わせる甘い匂いが濃くなったのは気のせいだろうか。
しかしミナトもだんだんとこの細かい作業に慣れてきたようで、峠さえ越えてしまえばあとは早かった。
◇
不意になにかを悟る瞬間というのがある。
最後の最後、長方形の左上端から糸を抜き取るとき。
もう少しでこの緊張感から解放されると、ミナトも、そしておそらくナツキも、油断していた。
縫い目を立てるために、無造作に彼女の端っこの柔らかいところをギュッとつまんだ、その時に浮かべたナツキのその無防備な表情。
今更ながら、先ほどまでに指先に感じていたものは布地の毛羽立ちなどではなく、鳥肌だったんだな、と気づく。
よく頑張ったな、と思う。
縫いしろにこそ色香は宿るんじゃないか、なんとなくそう思った。
余白にこそ、無駄にこそ、あるいは冗長のなかにこそ。
人の手によるものでも、ミシンによるものでも、高度に機械化された設備によるものでさえ、縫製品には多かれ少なかれ、必ず縫いしろが生じる。
これを、非効率的なものとして切り捨てることができるだろうか。
実際には、縫われているところよりも、そうでない部分の方がずっと多く、そして大事なのだった。それを支えるための縫い目、そのための縫いしろなのだった。
しかしそんな、とりとめのない考えは、次の瞬間には、白昼に見た夢のように、記憶のなかに残像だけを結んで通り過ぎていく。




