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3.

(注)この作品には、女の子が物に変身する場面など、特殊な内容が多く含まれます。そういったものが苦手な方は閲覧をご遠慮いただけますようお願いいたします。



◆



(……ぐふふっ! ミナトくん、いつもより焦っててむっちゃウケたんやけど!)



──朝、家庭科調理室でミナトをからかったあとの、授業中のこと。


 ナツキは、ミナトの今朝の慌て具合を思い出しては、笑いを噛みころしていた。

 彼も近ごろは不意打ちでからかわれることに慣れつつあるのか、あそこまで大袈裟に驚く様子を見せたのは久しぶりだったのだ。


 リアクションが大きいほどからかうモチベーションはむくむくと湧いてくるもの。おかげで頭が冴えて、早くも次の作戦をひらめいた。


 昼休みのうちに、同じクラスのバスケ部の子に今日は部活をサボる旨を伝えると、軽いノリで「りょ」と返された。こんなことは日常茶飯事なのだ。

 そして帰りのホームルームが終わるやいなや、ナツキはすぐさま特別棟へとダッシュした。


 まさか、ミナトくんも朝夕連続で襲われるとは思うまい!

 奇襲は立て続けに仕掛けることではじめて奇襲たりうるのである。

 そして速度は攻撃の要とも言う。

 子曰く、日本の未来は世界がうらやむ恋をしようじゃないか。



◇



 家庭科被服室に到着すると、予想通り室内にはひとっこひとりいなかった。現状、被服室で活動する部活はないのである。

 調理室の方を覗き込むと、やはりまだミナトは来ていない。



★



 早速、ナツキはその場でガバッと制服を脱ぎ捨て、体操服姿になる。前もって下に体操服を重ね着しておいたのだ。

 その脱いだ制服を畳んでその辺の机の下に隠す。

 被服室には普通教室のものとは比にならないほど大きな教卓があり、その片隅には縫製の授業で使う練習用のものだろうか、使い古した布きれが山積みになっている。その向かい側へ体操服姿で乗りかかると、今度はすぐさま“擬態”に取り掛かる。

 甲羅のなかにからだを隠す亀みたいに、人体の本来の可動域の限界すら超えて、頭部・両腕・下半身をすごい勢いで胴体のなかにズボッと引っ込めた。そうした姿は、まるで丸首体操服ひとつを着せられた上半身だけのトルソーみたいな見た目である。頭部や腕を収納している分、体操服の表面がいつもよりパツパツに張っているように見える。

 しかしまもなく、ナツキが能力を発動したことにより、内側からふわりと不思議な白い光が発せられると、机の上に突っ立ったそのトルソーからはだんだんと厚みが失われていく。

 そして、最終的にはペラペラな、単なる一枚の体操服そのものと変わらない見た目になってしまった。はじめから人肌を包んでなどいなかったかのように。

 ナツキの身体が溶け込んで、体操服との融合を果たしたのだ。

 言うなれば、いまはこの生地の繊維質そのものがナツキの身体。縦の糸もわたし、横の糸もわたし。


 ほどなく身体がなじむと、その体操服は裾の両端を足として、教卓の上でフニフニと二足歩行をしはじめる。

 それからどっさりと積まれた布きれの山をよじ登り、ちょうど良さそうなポジションを見極め、両袖を腕のように駆使して、そのなかほどへと自らの身体をねじ込んでいき、やがてその姿は見えなくなる。

 そして十分に潜り込んだところで動きを止めると、体操服は完全に埋もれてしまった。その布きれの山のなかに何者かが潜んでいるとは、誰も思うまい。



 ナツキの立てた作戦はこうだ。

 被服室と調理室をつなぐ室内扉はあらかじめあけっぱなしにしてある。

 真面目なミナトくんは教室で身支度を整えるなり、すぐ調理室にやって来るはずだ。

 彼が調理室にやって来たら、この布きれの山のなかから「たすけて〜!」と声をあげ、注意を引く。その声を聞けば、ミナトくんは私だと気づくはず。

 そして山の前まで彼が来たところで、一気に動きまわって山を崩し、ミナトくんを布きれの下敷きにしてやろう、というわけである。


 ふふふ、なんて完璧な作戦!

 使う道具もたかが布きれなので、ミナトくんが怪我をするおそれもない。

 生き埋めにされて戸惑っているうちに、この体操服の身体で好き放題に巻きついてやる!


 どんなリアクションを見せてくれるだろうかとほくそ笑みながら、ナツキはじっと山のなかで、ミナトが調理室にやって来るのを待ち受けていた。



◇



 しかし待てど暮らせど、ミナトが調理室に現れる気配はない。


 おかしいなぁ、とナツキは今はない首をひねる。

 ミナトは今朝、ハンバーグの仕込みとヨーグルトの水切りをしていた。

 どちらもそこまで日持ちするものではない。彼の性格なら、なるべく今日中に、早めに調理しきってしまいたいはず。


 あまり身体を動かすと山が崩れてしまうので、ナツキは窮屈さを我慢しつつ、じっとしているほかない。

 だんだん気分が焦れてくる。


 もしかして…………ミナトくんの身になにかよくないことが起きたのだろうか?

 いや、そうでなくても、もう私にはからかわれたくないと、愛想を尽かされてしまったのかも……。


 ひとり暗いところで息を押しころしているせいだろうか、そんなふうに、だんだん頭がネガティブなことを考えだす。



──しかしそこでようやく、廊下の方で誰かの足音が聞こえてきた。

 そしてそのまま調理室の方に入ってきた気配があった。


 慌ててナツキは気を持ち直す。

 やはり考えすぎだったのだ。タイミングをはかるために集中しなければ……。

 ミナトをおびき寄せるべく、喉の調子を整え、待ち受けるが……。



 その足音は、調理室では立ち止まらず、室内扉があけっぱなしになっていることなど気にも留めず、被服室の方までまっすぐ入ってきたのだった。そこでようやくナツキは気づく。

──ミナトくんじゃない……?!



◇

 


「あーもう忙しか忙しか!」


 ものすごい大声でひとりごとを漏らしながら被服室に現れたのは、この中学校の家庭科教諭である武者小路先生だった。

 ブラウンの長髪を縦ロールに巻いていて、真っ白の粉っぽい顔色に、真っ赤な分厚いリップが目立つ、似顔絵が描きやすそうな特徴的な見た目をしている。

 恰幅のよい体を揺らし、のっしのっしと足音を響かせながら、ナツキが潜む教卓の方へまっすぐ向かってくる。


 ナツキは(まずい……)と思う。


 一応、教師側もナツキの特殊な体質や、変身能力については把握している。

 しかし、まさか部外者であるナツキが、この布きれの山のなかに隠れているなどとはゆめにも思うまい。



「授業の準備もせないかんし、テストの問題も作らないかんし、クラスの仕事も生徒指導も部活動の監督もあるし、家のこともやらなあかんし、教員定数の改善も進んでないから少子化が進むほどに教員の数も同じように減っていく一方やし、忙しすぎて目が回るわ〜!」


 爆音でぼやきながら、教卓の上、布きれの山のすぐ横にミシンをどかんと置くと、武者小路先生はその太い腕でナツキの隠れているその布きれの山を上の方からガサゴソと漁りはじめた。

 体操服の内側からじわじわと冷や汗がにじみ出す。


 本当ならば、先生に見つかるとしても、一刻も早くこの山のなかから脱出するべきだった。

 しかし運の悪いことに、ナツキは一学期の家庭科であまりよろしくない成績を取ってしまっていた。

 そのうえ勝手に被服室に忍び込んだことがバレて、先生の心証を悪くすれば……。


(内申点に傷がついて、ミナトくんと同じ高校に行けなくなるかも……)


 そんな考えが、ナツキの判断を鈍らせた。

 あと、シンプルに、爆音でひとりごとを垂れ流しているのが怖すぎた。



「あーもう、ちゃっちゃか作って他の仕事ば片付けるばい!」


 そう言って、先生はミシンで雑巾を次々と縫いはじめた。授業の見本用なのだろう。

 この手の作業には慣れているようで、山の上から掴み出した布きれをその場で手際よく長方形に折りたたみ、ミシンにセットしたかと思えばすぐさま針が布地をすごい勢いで縫いはじめた。

 ががががががが…………という稼働音が、体操服の身からするとマシンガンの銃声のように、けたたましく聞こえる。


 見事なもので、布きれの山はあっという間に掘削されていき、代わりにミシンの反対側に縫われたての雑巾の山がどんどん築かれていく。

 おかげでナツキは逃げ出すチャンスをとうとう見出せなかった。


 武者小路先生は、よっぽど気が急いているのか、自分がいま掴み取ったのが名札が縫いつけられたままの体操服であることなど、気にも留めてない様子だった。

 まるでいつもの手ぐせのごとく、胸元の名札が前面に出るかたちで器用に長方形に折りたたむと、流れるように針板のうえにセットし、ガタンと押さえ金を下ろした。金属的な冷たさに押さえつけられてナツキはビクンと震えるが、武者小路先生はレバーを下ろした衝撃による振動としか思わなかったようだ。

 そして次の瞬間、赤い糸を通したミシン針が、ものすごいスピードで、機械的に、ナツキの身体を撃ち抜きはじめた。


(あばばっばばばばばばばぁばば!!!??)


 身体を突き抜ける、経験したこともない衝撃に、ナツキはただただ耐えるほかなかった。


(な、なにこれぇ……!?)


 厳密には、いまこの瞬間、ナツキは痛みを感じていない。

 なぜなら、彼女の身体はいま、単なる体操服の布生地なのだから。

 布生地が縫製されるということは、ごくごく普通のことである。

 それにもし、この状態で損傷が発生したとしても、自己再生能力を使えばいいのだから、実質的な身体ダメージはないと言っていい。


 それでは、この感触は……?


 赤い糸が身体を貫いて、一枚の雑巾のかたちへと近づいていくごとに、体操服の身体に、これまでに経験したこともないような“凝縮されていくような感覚”が広がっていく。

 もしかして、糸に縫われているときの布って、こういう気分を味わってるってこと?!

 

(な、なんでぇ……? いつもだったらこんなことないはずなのにぃ……?!)


 眼下では、水平釜のなかで、まるで巻き戻されるカセットテープのように、ボビンから赤い糸がギュルギュルと巻き上げられている。内部機構に差してある油の匂いが、稼働による熱にともない立ち昇る。

 どこまでも機械的な針の往復運動が、やがて止まる。



 そうして出来上がった体操服名札雑巾は、他のものと同様、ミシンの反対側の山へとポーンと放り出された。

 元は『夏樹/2年A組』の名札がついた体操服だったそれは、山のうえでまるで陸に打ち上げられた魚のようにピクピクと震えていたが、武者小路先生は引き続き雑巾をつくる作業に集中していて気づいていない。


 縫われてからでもどうにか目を盗んで逃げ出そうと思っていたはずなのに、まだ身体が馴染んでいないようで、痺れてうまく動けない。

 やがてあとから出来上がった雑巾がうえにポンポンと積まれていき、ナツキは縫われたての雑巾の山のなかに埋もれていってしまった。



「ふー、こんなもんやろね! 一応ちゃんとできとるか確かめとこか!」


 十分な量を用意できたのか、武者小路先生は作業の手を止めた。

 そして、山積みの見本品のなかに手を突っ込み、適当に一枚をつまみだす。それはようやく身体の痺れが引きつつあった体操服名札雑巾だった。


(むぎゅうううぅ……身体が伸びちゃうぅ……)


 まずはきちんと縫い目が解けないように縫えているか確認しているのだろう、四方八方へグイグイと引っ張られ、体操服名札雑巾は悶絶する。


(ぶぼぼぼぼぼっ?!! むぎゅぎゅぎゅぎゅうっ!?)


 続いて、調理室の方の洗い場に移動した武者小路先生によって、水道の蛇口から流れる水に晒されたかと思うと、思いっきりねじるようなかたちで絞られた。

 自分の身体が自分自身を締め上げているような、妙な密着感がある。人間の姿であれば本来接触しないはずの部位同士が擦れ合っていて、感覚がバグる。

 流し台にポタポタと落ちる滴は、前に体操服を洗ったときの洗濯のりが溶け出ているのか、わずかにとろみがかっていて、ツンとした独特の匂いを漂わせていた。

 武者小路先生は少し顔をしかめたが、さっさと次の仕事に移りたいのだろう、それ以上気に留める様子はなかった。


(うにゅうっ……もう勘弁してぇ……なんで、よりによって名札の方でっ……)


 教卓のうえをゴシゴシと拭かれる刺激に、どうにか耐え続けていた。

 武者小路先生の大きな右手のひらが、ちょうど背中側に折り畳まれたお腹のあたりに押し付けられていて生温かい。

 そして、名札の硬い生地越しに、身体を机の天板にズリズリと擦り付けられているようで…………なんとも屈辱的だった。


(ううぅ……もう課題の提出もサボらないし、テスト勉強も真面目にするからぁ、許してくださいぃ……)


 身体が折り畳まれて表面積が小さくなっているせいだろうか、外気に触れている数少ない部分の感覚がいつもより強調されている感じがする。

 どれもこれも雑巾という状態に固定されてしまっているせいだ。いつもの自分ならこんな……道具として使われることに“充実感”みたいなものなど、感じないはず……。

 絞られたり拭かれたりという摩擦のせいで上昇した自分の体温を感じながら、体操服名札雑巾は必死に自分への言い訳をし続ける。



「んー、まあ、ぼちぼちの出来やね。これぐらいならよかろ」


 ひと通り確認ができて気が済んだのか、武者小路先生はそう言って、体操服名札雑巾を流し台の横に立てかけてある物干し台にポイとひっかけて、のっしのっしと足を踏み鳴らし、廊下へ去っていった。このあとは職員準備室の方で他の仕事をするのだろう。



 先生の気配が完全に消えたことを確認してから、体操服名札雑巾はようやく自分の意思で動き出す。

 物干し台から下に降りようとするが、立て続けに強い刺激を受け続けたせいでうまく動けず、変な体勢で落っこちてしまった。まだ身体が乾ききっておらず、ビタッという水分を含んだような音を立てながら、床になかば叩きつけられるかたちで着地する。


(と、とにかく、ミナトくんに見つけてもらわないと……)


 ひとまずただそれだけを考えながら、乾きかけでカピカピになりつつある身体をずるずる引きずって、調理室の入り口の方へ向かっていく……。

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