第8話 桐原天音と撃鉄教
「では名乗れ。五郎左に紹介するために待たせておったのだ。」
信長の言葉に、茶髪の少女が静かに頭を下げた。
「桐原天音と申します。十六歳です。」
落ち着いた声だった。
年若い娘でありながら、どこか大人びている。
長秀はそう感じた。
信長を前にしても必要以上に畏縮していない。
かといって無礼でもない。
場を読むことに慣れている人間の振る舞いだった。
どこぞの姫君であっても違和感無く受け入れられる。
続いて白髪の少女が口を開く。
「エリ。十四。」
それだけだった。
勝家が少し眉をひそめる。
「もう少し無いのかエリ。」
「苗字とか?孤児だから無い。」
「いやそうではなく……いや、良い。お主はそういう者だな。」
「で、未来から来たというのは真か?」
信長は聞いた。
天音は諦めたように答える。
「ええ、まぁおおよそ五百年程度の未来より。」
長秀はその数字を頭の中で反芻する。
五百年。
長い。
長すぎる。
源平の合戦ですら遠い昔の出来事だ。
理屈では理解していても実感が追いつかない。
信長は腕を組む。
「ならば一つ聞く。」
「何でしょう。」
「なぜ黙っていた。」
天音は少しだけ首を傾げた。
不思議そうだった。
まるで当然のことを聞かれたような顔をしている。
そして。
「逆に聞きますけど。」
信長を見る。
「言います?」
一瞬の沈黙。
信長が大きく笑った。
「言わんな!」
その即答ぶりに長秀も思わず口元を緩める。
勝家も苦笑していた。
確かに言わない。
見知らぬ土地。
見知らぬ人間。
見知らぬ時代。
そこへ放り込まれて、
『自分は五百年後から来ました』
などと言う者がいるだろうか。
少なくとも長秀は言わない。
天音も頷いた。
「でしょう?」
「うむ。」
信長は上機嫌だった。
「俺でも言わぬ。」
「ですよね。」
天音は肩を竦める。
「ただでさえ異能の力を持った女です。そこへ未来人という話まで加えたら余計ややこしくなる。」
「もっともだ。」
長秀は内心で同意した。
むしろ黙っていたことの方が理解できる。
もし自分が。
仮に五百年前の世へ放り込まれたら。
どうする。
長秀は考える。
まず状況を探る。
土地を知る。
人を知る。
敵味方を知る。
その上で生きる術を探す。
自ら『五百年後の武士です』
などと名乗ることはまず無い。
場合によっては一生言わぬかもしれない。
そう考えると天音の判断は極めて自然だった。
信長も同じ結論に至ったらしい。
「なるほどな。」
満足そうに頷く。
そこで。
「私は別に聞かれなかったから。」
エリが口を開いた。
全員がそちらを見る。
「聞かれたら言ってた。」
勝家が眉をひそめた。
「本当か。」
「本当。」
エリは即答する。
「未来人かって聞かれたら未来人って答えるし。聞かれなければ言わない。私誤魔化すのとか嘘とか苦手だし。」
勝家は何とも言えない顔になった。
長秀も少し困る。
理屈は分かる。
分かるが。
天音ほど慎重でもなければククリほど無防備でもない。
妙に中途半端だった。
「私は言ったけど。」
ククリが言う。
天音が目を閉じる。
エリも目を逸らす。
信長は吹き出した。
「言ったのか。五郎左に。」
「言った。」
ククリは胸を張る。
「最初から。」
「何故だ。」
「だって本当だし。」
部屋が静まり返る。
長秀は思わず額を押さえたくなった。
天音が疲れた声を出す。
「だからこの子は。」
「何だよ。」
「本当に。」
そこで言葉を切る。
そして諦めたように言った。
「大物なのか馬鹿なのか分からないんですよ。」
エリが頷く。
「それはそう。」
「ひどくない?」
軽口を叩き合う少女達。
ここで初めて、長秀はククリの普通の面を見た気がした。
信長は面白そうに三人を見比べた。
「お主らは知り合いか。」
天音が少し困ったように笑う。
「まあ、知り合いと言えば知り合いですね。」
「ほう。」
「こちらのエリさんとは初対面ですが。ククリさんとはそれなりに因縁が。」
そこで信長がククリを見る。
「どうなのだ?ククリとやら。」
「え?」
ククリはきょとんとした。
天音を見る。
もう一度見る。
さらに見る。
天音の表情が徐々に諦めたものへ変わっていく。
長秀は何となく察した。
忘れている。
この娘は忘れている。
「……どこかで会ったっけ?」
天音はため息を吐いた。
「会いました。」
「えー。マジ?」
「かなり会いました会ったどころでは無いですよ忘れたんですか?」
「そうだっけ。」
「なんですかこの子……」
エリが吹き出す。
天音はもう反論する気力も無さそうだった。
ククリは腕を組み、本気で考え始める。
しばらくして。
「あ。」
何か思い出した顔になった。
「思い出しましたか。」
「なんか悪い奴ら束ねてた親玉の女!」
天音が頭を抱える。
エリは笑いを堪えきれていない。
信長は興味深そうに眉を上げる。
「親玉とな。」
「もう少し他に言い方があるでしょう。」
天音が言う。
「私は一応、宗教団体の長でした。教祖、と言っていいでしょうね。」
「……ほう。」
信長が言った。
部屋の空気が僅かに変わる。
長秀は表情こそ変えなかったが、内心ではその言葉を反芻していた。
宗教団体。つまり比叡山や本願寺の類か。
それ自体は珍しくない。
寺もある。
神社もある。
僧兵もいる。
だが問題は目の前の少女の年齢だった。
十六。
長秀の知る限り、その歳で一勢力の長を務める者などそうはいない。
まして女だ。
無いとは言わない。
だが極めて稀だ。
信長は腕を組み、天音を眺める。
先程までの笑みが少し変わっていた。
興味を持った時の顔だ。
長秀は知っている。
主君は珍しい物を好む。
だが本当に価値があると思った時は、静かになる。
今がそれだった。
「寺か。」
「少し違います。」
天音は首を振った。
「坊主を従えておったのか。」
「いえ。」
「では何を従えておった。百姓か?」
天音は少し考える。
言葉を選んでいるようだった。
その様子を見ながら長秀は天音を観察する。
落ち着いている。
話を盛っているようには見えない。
むしろ語る内容に対して感情が薄い。
まるで昔話でもしているようだ。
「信者です。」
天音が答えた。
「私の言葉を信じる人々。」
信長の目が細くなる。
長秀も思う。
それは宗教の本質だ。
だが。
十六の娘がそれを口にしていることが異様だった。
「何人だ。規模は。」
信長が聞く。
天音は少し困った顔になった。
「正確な数は分かりません。」
「大体でよい。」
「少なくとも万単位。二、から三万程度?」
長秀は思わず天音を見た。
勝家も同じだった。
万。
その数字の重みは武将なら理解できる。
村一つではない。
城一つでもない。
国を揺るがしかねない数だ。
信長は笑わなかった。
代わりに。
楽しそうだった。
「十六で万を従えたか。」
「結果的には。」
「過程は問題では無い。」
信長は即座に言う。
「従わせたのであろう。」
天音は答えなかった。
否定もしなかった。
長秀は内心で評価を改める。
危険だ。
この少女は。
異能がどうこうではない。
人を集める力を持っている。
それは戦国の世では、刀よりも厄介なこと。
一向宗。
本願寺。
比叡山。
長秀の脳裏に幾つもの名が浮かぶ。
武士は斬れば死ぬ。
だが人の信仰は違う。
それを率いる者はさらに厄介だ。
「その宗教は何を説いた。」
天音は少し考えた。
どう説明するべきか迷っているようだった。
やがて小さく息を吐く。
「教義は単純です。」
「ほう。」
天音はにこりともせずに言った。
「『汝の殺意を肯定せよ』。」
部屋が静まり返る。
長秀は思わず眉をひそめた。
信長も黙る。
勝家も黙る。
エリとククリは「何言ってんだコイツ」みたいな顔でぼーっとしている。
天音は続ける。
「私たちの時代は平和です。」
「平和。」
信長が復唱する。
「はい。」
天音は頷いた。
「少なくとも日本という国の中では、武士もおりません。戦もありません。無論、民同士の諍いはありますが。今のように食べ物を奪い合う、といったものではありません。飢えて死ぬ者もごく僅かです。」
長秀は理解できなかった。
戦が無い。
そんな世があるのか。
飢饉も。
争いも。
領地争いも。
何も無いのか。
信長も同じだったらしい。
だが口を挟まず聞いている。
「未来において人々は暴力を嫌います。」
天音は言う。
「自分が振るうことも。他人から振るわれることも。」
「結構なことではないか。」
勝家が言う。
天音は首を横に振った。
「半分はそうです。」
「ふむ?」
「その結果、人々は暴力を国へ委ねました。」
長秀は何となく理解した。
刀を持つのは役人。
裁くのも役人。
戦うのも役人。
そういう話らしい。
「だから。」
天音の声が少し低くなる。
「弱き人々は暴力を振るうという発想そのものを失いました。」
信長が腕を組む。
興味深そうだった。
「それで。」
「虐げられる者がいます。」
天音は続ける。
「権力に。暴力に。理不尽に。」
信長も勝家も黙って聞いている。
「そして追い詰められる。」
天音は言う。
「どうしようもなくなる。」
「それで?」
「死ぬんです。」
長秀は眉をひそめた。
天音は平然としている。
だがその言葉には妙な重みがあった。
「自ら命を絶つ。」
「何故だ。」
信長が聞いた。
「戦えばよい。」
即答だった。
長秀も内心では同意する。
追い詰められたなら戦う。
武士ならそうする。
百姓でもそうする。
命が懸かれば人は抵抗する。
それが当然だ。
だが。
天音は静かに首を振った。
「しないんです。」
「何故だ。」
「出来ないから。」
信長が目を細める。
天音は続ける。
「その発想が無い。」
「発想が。」
「死ぬしかないと思い込んでいる。戦うより死んだほうが楽だから。」
長秀には理解できなかった。
本当に理解できなかった。
人間にとって。
死を選ぶくらいなら相手を斬る。
少なくとも死に物狂いで抵抗する。
それは極めて自然な考えだからだ。
もっとも、武士にも自ら死を選ぶ文化はある。
切腹である。
敗北。失態。主君への責任。
そうした場面で腹を切る者がいる。
だがそれは必ずしも逃避ではない。
むしろ逆だ。
最後まで責を負う行為として扱われる。
腹を切る直前に怖気付き、逃避する者もいる。
卑怯者の誹りは免れぬ。
だがそれも当然だ、生物として死は避けるべきなのだから。
それを超え腹を切るから誉れ足り得るのだ。
逃避の為に自ら死ぬ?本末転倒ではないか。
天音は笑う。
少しだけ皮肉げに。
「だから私は言いました。」
信長を見る。
勝家を見る。
長秀を見る。
そして。
「死ぬくらいなら相手を殺せ。心の撃鉄を起こせ。汝の殺意で相手を殺せ。」
部屋が静まり返る。
「それが撃鉄教です。」
長秀はしばらく言葉を失った。
もっと奇怪な話を想像していた。
神。
仏。
涅槃。
救済。
そういうものだと。
だが違う。
天音の言葉には宗教らしさが無かった。
むしろ異様なほど現実的だった。
死ぬな。
戦え。
殺されるくらいなら殺せ。
戦国の世なら当たり前の理屈ですらある。
長秀は困惑した。
教義そのものは理解できる。
むしろ理解し過ぎるほどだ。
だから。
それが宗教になるという事実が理解できない。
信長も同じことを思ったらしい。
「妙だな。」
信長が言う。
「妙ですか。」
「それは宗教か。死んだ後の救済は?」
天音が少し笑った。
「ありませんよそんなの。死んだ後の事なんて知りませんし。」
勝家が腕を組む。
「だが人は集まった。」
「ええ。」
「何故だ。」
天音は少しだけ考えた。
そして。
「皆、死にたくなかったんでしょう。」
静かに答えた。
長秀は天音を見る。
この娘は危険だ。
それは変わらない。
人を集める。
人を動かす。
それだけでも危険だ。
だが。
一方で一向宗の坊主たちとは何かが違う。
神仏を語っているわけではない。
極楽を語るわけでもない。
ただ。
人の中にある怒りを肯定している。
それだけだ。
長秀はふと思う。
もしこの娘がこの時代に生まれていたなら。
教祖にはならなかったかもしれない。
戦国の世では。
死ぬくらいなら相手を殺せという考え方は、あまりにも当たり前すぎるからだった。
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撃鉄教はなぜ滅びたのか。天音は、協会との戦いとククリとの因縁を語り始める。だが本当に信長たちを驚かせたのは、その敗北ではなかった。桐原天音の持つ力。その正体は、武具も訓練もなく、人を戦う者へと変えてしまうものだった。
次回「汝の殺意を肯定せよ」
戦場ではなく、世そのものを変える力。
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