第52話 ぶりっつくりーく
時は僅かに遡る。
甲斐・躑躅ヶ崎館。
軍議の間には武田家の重臣たちが揃っていた。
上座には武田信玄。
その左右に山県昌景、馬場信春、内藤昌豊、高坂昌信らが居並ぶ。
そして家臣たちから少し離れた席に、周防ミシェルが静かに腰を下ろしていた。
信玄は一同を見渡し、静かに口を開く。
「まず、一つ決めたことがある。手術の件よ。」
自然と視線が集まる。
山県が僅かに身を乗り出す。
信玄は頷いた。
「受けよう。」
一同の空気がわずかに緩む。
未来の医術によって命を繋ぐ。
その決断を、ついに信玄が下したのである。
「されど。」
その一言で空気が再び引き締まる。
「その前に済ませるべきことがある。」
信玄は机上の地図へ手を置いた。
指先が尾張をなぞる。
「織田との講和。」
馬場が静かに頷く。
「件の、ククリなる存在。単体で国を攻め滅ぼせる娘。確かに敵に回すべきではないな。」
後ろでミシェルが激しく首を縦に振る。
「以前の儂なら笑い飛ばしていただろうが。事ここに至っては認めよう。”今の”武田では勝てぬ。雌伏の時よ。」
信玄は続ける。
「されど、今講和を願えば信長はどう見る。」
誰も答えない。
信玄だけが笑う。
「武田が恐れた、と見る。それはならぬ。」
内藤が慎重に口を開いた。
「では……。いかがなさるおつもりで。」
信玄は指を三河へ進め、答える。
「その前に。徳川を切り取る。」
軍議の間が静まり返る。
高坂が口を開く。
「それでは織田とも敵対いたしましょう。」
「承知の上よ。」
信玄は迷わない。
「徳川を残したまま織田と向き合えば、背に刃を突き付けられたまま講和を結ぶことになる。ならば先に三河を呑む。その上で講和を持ち掛ければよい。」
馬場は腕を組み、小さく頷いた。
「武田が健在であることを示した上で、講和の席に着くということですな。」
「左様。」
信玄は笑みを浮かべる。
「講和とは力ある者同士が結ぶもの。弱きを見せて結ぶものではない。」
そこで信玄はミシェルへ視線を向けた。
「ミシェル。」
「はい。」
「今の武田ならば。三河を攻め落とせるか。」
全員の視線が集まる。
「恐らくは。」
ミシェルは即答した。
「火器の調達は完了。無線機も各隊へ配備済み。補給体制も整いました。」
虚空からティーカップを取り出し、優雅に一口。
「軍事について詳しくはありませんが。対する相手が弓に槍に火縄銃なら。赤子の手を捻るがごとく、でしょう。」
信玄は目を細める。
「敵が備える前に、一気に決める。『ぶりっつくりーく』、と言うのであったか。」
そこで信玄は、一冊の書物を静かに取り出した。
表紙には見慣れぬ文字で、こう記されている。
『歴史の偉人伝 徳川家康』
軍議の間に静寂が落ちる。
信玄はその書を軽く掲げ、一同を見渡した。
「本来の歴史では。最後に家康めが、すべてを持っていくそうだ。」
静かな声だった。
だが、その一言だけで重臣たちの顔つきが変わる。
信玄は口元に笑みを浮かべる。
「……腹立たしいとは思わんか。」
誰も答えない。
答えるまでもなかった。
信玄はゆっくりと書物を閉じる。
「ならば、その歴史ごと覆すまで。」
立ち上がり、軍配を手に取る。
「風林火山――陰雷。」
一拍置き、静かに続けた。
「雷の如く。徳川を滅ぼす。」
軍議の間に、力強い声が響いた。
誰一人、異を唱える者はいなかった。
◆
軍議が終わると、一同は館の外へ出る。
初冬の冷気の中。
庭には異様な光景が広がっていた。
荒地を走るための太い車輪を備えた車が十台。
その脇には小型の機械が整然と並び、兵たちは黒い異国の銃を点検している。
戦国の城とは思えぬ景色だった。
ミシェルは腕を組み、その様子を眺める。
「まぁ、これだけあれば取り敢えず大丈夫でしょう。」
小さく息をつく。
「十億円……消耗品としては高くつきますが。必要経費ですわ。山県様、兵の調練はどうですか?」
山県昌景が自信満々に前へ出た。
「十分でございます。装備だけでは勝てませぬ。兵が使えねば意味はない。」
そう言うと、一台の車へ歩み寄る。
その車体は鮮やかな朱に塗られていた。
武田赤備えの色である。
山県は満足そうに車体を叩いた。
「新生赤備え。ご覧いただこう。」
武田の誇る精鋭。
その名を受け継いだ鉄の軍勢が、静かに出陣の時を待っていた。
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武田軍の電撃侵攻は、遠江防衛の要・二俣城をわずか半日で陥落させる。城攻めの常識を覆す圧倒的な火力と機動力に、徳川家中はかつてない脅威を悟る。一方、信玄は未来兵器の力を確かめながら、次なる標的――浜松城、そして徳川家康へと軍配を向けた。
次回「侵略すること火の如く」
戦いは変わり、戦国は変わらない。
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