第49話 家康が来る!
初冬の岐阜城下は、どこか落ち着かぬ空気に包まれていた。
町人たちは朝から道を掃き清め、軒先には新しい幕が掛けられる。
酒屋では祝宴に備えて酒樽が運び込まれ、魚屋や八百屋も普段より多くの商品を店先へ並べていた。
武家屋敷では使者が慌ただしく行き交い、足軽たちは鎧の手入れに余念がない。
祭礼のような喧騒ではない。
しかし、城下には確かな華やぎがあった。
織田家は浅井・朝倉を降し、中部一帯を平定した。
その祝賀のため、同盟国たる三河の徳川家康が岐阜城を訪れる。
勝利を祝い、盟友を迎える。
それは城下の人々にとっても晴れの日であり、誰もが少しだけ誇らしげな表情を浮かべていた。
そんな町を、柴田勝家とエリが並んで歩いていた。
偉丈夫と白髪の娘。普通であれば好奇の的だが、もはや民も見慣れたもの。
挨拶を交わしたり笑顔で声をかけていた。
エリは物珍しそうに辺りを見回し、店先へ並ぶ品々へ次々と視線を向ける。
「……なにかあるの?」
勝家は城の方角へ顎を向けた。
「この度の信長様による中部平定を祝い、三河より徳川家康殿がお越しになる。
そのお迎えの支度よ。」
「へー。」
興味があるのか無いのか分からない返事をしながら、エリは足を止めた。
露店には色鮮やかな組紐、小刀、焼き栗、干し柿、小さな木彫りの置物が並んでいる。
ひとつひとつ手に取っては眺め、また戻す。
勝家はその様子を見て口を開いた。
「欲しいなら買えばよい。」
エリは首を振る。
「いや。でもお金ない。」
勝家は怪訝そうな顔になった。
「何を言う。信長様より褒美を賜っておろう。預かっておるのは儂だがな。」
サキとの戦において大きく働いた一人であるエリ。
当然、信長より金子の褒美を受けていた。
胸を軽く叩く。
「入り用なら、いつでも申せ。」
「……。」
エリは勝家を見上げた。
「勝家、優しい。」
「当然のことだ。」
勝家は当然と言わんばかりに腕を組む。
「働きに報いるは主の務め。預かるは儂の務め。遠慮する理由などあるまい。」
「そっか。」
エリは素直に頷いた。
そして。
何の躊躇もなく露店へ歩み寄る。
「じゃあこれ。」
木彫りの狐。
「これも。」
干し柿。
「あ、これかわいい。」
組紐。
「あとこれ。」
小さな鈴。
「それと――」
勝家は最初こそ腕を組んで満足そうに眺めていた。
しかし。
エリの腕の中の品が一つ、二つ、三つと増えていく。
「……。」
さらに。
「あ、これも。」
「待て。」
「これも使えそう。」
「待て待て。」
「このお菓子も。」
「おい。」
エリはまだ手を伸ばす。
勝家は慌てて止めに入った。
「あー、しかし!今の持ち合わせには限りがあるぞ!」
エリは首を傾げる。
「そうなの?」
「そうなのだ!」
「へー。あ、これもよさそう。」
「どこまで取る気だ!加減をしろ!」
店主は思わず吹き出す。
「はっはっは!勝家様も苦労なさいますなぁ!」
周囲の町人たちまで笑い始めた。
エリだけは不思議そうな顔のまま、両腕いっぱいの商品を抱えていた。
◆
岐阜城内は朝から慌ただしかった。
大広間では畳の敷き直しが行われ、女中たちは器を運び、料理人は宴の支度に追われている。
廊下では小姓が走り回り、足軽は来客の動線を何度も確認していた。
「その屏風はもう少し奥だ。酒樽は北側へ運べ。」
「徳川勢の控えは東の間に整えよ。」
丹羽長秀が次々と指示を飛ばす。
家臣たちは短く返事をすると、迷いなく持ち場へ散っていった。
その少し離れた縁側。
ククリは柱にもたれ、ぼんやりとその様子を眺めている。
「……手伝わなくていいの?」
長秀は振り返りもせず答えた。
「構わぬ。彼らの仕事まで奪ってやるでない。」
「そっか。」
ククリは素直に頷いた。
ならば暇である。
縁側に腰を下ろし、庭を眺める。
すると、廊下を通り掛かった女中が足を止めた。
「あ、ククリ様。」
小さな包みを差し出す。
「干し柿にございます。よかったらお召し上がりください。」
「ありがとー。」
受け取って脇へ置く。
しばらくすると今度は小姓が走ってきた。
「父が山で採りました!栗です!」
「おお。ありがと。」
これも脇へ。
さらに今度は足軽が。
「妻が縫いました!寒うございますので。」
厚手の手拭いを差し出す。
「おー。助かる。」
受け取ってまた脇へ置く。
長秀はその様子を横目で見て、思わず口元を緩めた。
まるで供え物をされる地蔵である。
本人は何もしていない。
ただ座っているだけで、供物だけが増えていく。
当のククリも慣れてしまったのか、「どうもー」と手を振るだけだった。
やがてククリは荷物の山を見下ろしながら尋ねる。
「んで。なんで私も出席なの?」
長秀は書付を小姓へ渡しながら答える。
「当然であろう。浅井も朝倉も、おぬしが降したも同然なのだから。」
「まぁ、それはそうか。」
ククリは深く考えず納得した。
だが長秀は違う。
(……それだけではあるまい。)
信長の顔が浮かぶ。
祝賀。
同盟。
家康来訪。
全ては表向きの話だ。
その裏で信長が何を考えているかくらい、長秀には想像がつく。
(家康殿へ見せる気だ。)
沢渡ククリという存在を。
比叡山を無血で開山させ。
浅井と朝倉を実質一人で降した少女。
その力を、同盟相手へ堂々と示す。
無論、家康は敵ではない。
だが戦国に永遠の味方など存在しない。
今は盟友。
されど十年後、二十年後は誰にも分からぬ。
だからこそ。
今のうちに見せておく。
織田には、この少女がいる。
その事実だけで、将来の抑止力となる。
(信長様らしい。)
長秀は心中で苦笑した。
もっとも。
そんな政治の思惑を、この少女へ話す必要はない。
話したところで。
「へー。」
程度の返事しか返ってこないだろう。
それで十分だった。
◆
初冬の街道を、徳川の一行が西へ進む。
先頭には徳川家の旗印。
その後ろを徳川家康が馬を進め。
その左右には徳川四天王、本多忠勝と榊原康政が控えていた。
そして家康のすぐ後ろ。
一頭の栗毛の馬を見事に乗りこなす少女がいる。
徳川綾。橙色の鱗を身に纏う、異形の姫君。
武術同様、馬術も飲み込みが早い。
数日の稽古で手綱を自在に操るようになり、今では多少の悪路でも危なげなく馬を進めている。
家康は改めて人ならざる成長を実感していた。
「父上。」
綾が馬を寄せる。
「何だ。」
「信長殿とは、どのようなお方なのですか。」
家康は少しだけ空を見上げた。
「……そうだな。儂の同盟相手であり恐ろしい御方だ。」
綾は目を丸くする。
「父上が、そのように仰るほどに?」
「うむ。武勇のみならず、人を用い国を動かし天下を見据える器を持つ。
儂がこれまで会った誰よりも、大きな人物よ。」
綾は真剣な顔で頷く。
そして、力強く言った。
「では。いざとなれば、私が信長殿の首を取ります!」
一行の空気が一瞬止まる。
忠勝は思わず咳払いをし、康政も苦笑を浮かべた。
家康はすぐに首を横へ振る。
「ならぬぞ、綾。」
綾はきょとんとする。
「なぜにございますか。」
「武力のみで国は成り立たぬ。」
家康の声は穏やかだった。
「たとえ信長殿を討ち取ったとして。その後、織田の家臣も、領民も、諸国の大名も残る。」
恨みは新たな争いを生み。
国はさらに乱れる。
「戦とは敵を倒せば終わるものではない。終わらせた後を治めてこそ、初めて勝ちなのだ。」
綾はしばらく黙って考え込んだ。
やがて、ぱっと顔を上げる。
「なるほど!分かりました!」
「ではどうする?」
「信長殿と仲良くします!」
家康は思わず笑みを浮かべた。
「それで良い。」
綾も嬉しそうに笑う。
忠勝と康政は顔を見合わせ、小さく笑った。
体の成長は著しくとも、少女はまだ幼い。
だが、その素直さこそが綾の長所である。
冬の澄んだ空の下。
徳川の一行は、岐阜を目指して静かに馬を進めていった。
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岐阜城の祝宴で、ククリは畳人形による余興を披露する。人形たちの舞に徳川勢が息を呑む中、徳川綾もまた立ち上がる。宴の空気に包まれながら、二人の異質が初めて向かい合う。
次回「ダンスバトル」
盃の陰で、怪物たちは軽やかに舞う。
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