第44話 ククリ、モテる
岐阜城近くの鍛錬場では、今日も織田の兵たちが悲鳴を上げていた。
木で作られた人形兵が、竹槍を構えた織田兵を次々と打ち倒していく。
全身が木で組まれているにもかかわらず、動きは熟練の武芸者そのもの。
疲れることもなく、躊躇うこともない。
ただ命令通り、正確に槍を突き、払い、投げ飛ばす。
兵たちは汗だくになりながら応戦していた。
「ほらほらぁ!へばってんじゃないよー!」
人形兵の後ろで胡座を組んだククリが笑う。
その瞬間、一人の兵が木人形に足を払われて尻餅をついた。
「うわぁ!」
「だから肩を見ろって!槍先なんて飾り飾り!」
別の兵が横合いから突き込む。
木人形は半身だけでかわし、そのまま竹槍の柄で兵の脇腹を軽く叩いた。
「ぐっ!」
「いいぞー、戦場では数で攻めろー!ほらもっと、三人で囲め囲め!」
さらに別の人形が間髪入れず兵の背後へ回る。
「う、うわぁ!?」
「逆に囲まれてどうするー!戦場では『待って』なんて言ってくれないからねー!」
兵たちの悲鳴を聞き、人形兵を操りながら。
沢渡ククリは丹羽長秀と盤を挟んでいた。
「んで、王手ェ!」
丹羽長秀は盤面を見つめ、しばし沈黙した。
逃げ場はない。
受けもない。
「……参った。」
「やったー。これで二勝一敗ね。」
ククリは得意げに笑った。
長秀は小さく息を吐く。
三戦して一勝二敗。
しかも己の一勝は、ククリが飛車角を抜いたうえでのものだった。
その上、人形兵を繰りながらの片手間での結果である。
「解せぬ。」
「何が?」
「何故そなたがそれほど将棋に強い。」
長秀は盤面の駒を戻しながら、じっとククリを見る。
「普段の阿呆ぶりからは想像がつかぬ。」
「ひどくない?」
ククリは頬を膨らませたが、すぐにけろりと笑う。
「まぁ、サンドリヨンが裏で考えてるからねー。」
「さんどりよん。」
長秀の眉が動く。
「二月前の戦いの時に聞いた、あれか。」
「そうそう。」
ククリは駒を指先で弄びながら頷いた。
「例えるなら、自分の中のもう一人の自分、みたいな感じ。」
「もう一人の自分。」
「うん。普段は裏にいて、戦いの計算とか、こういう将棋の戦術とかを考えてくれるの。」
長秀は露骨に難しい顔をした。
ククリは続ける。
「で、モードチェンジすると交代する。」
「もーど……。」
「あの時の兵士形態と大剣形態とか。」
「そるじゃ……ぐら……。」
「その時は私の意識はほぼ眠ってて、サンドリヨンがフルスペックを発揮するっていうか。」
「ふる……。」
長秀は口を閉じた。
しばらく沈黙する。
鍛錬場では人形兵が織田兵を竹槍で転がしていた。
「……つまり?」
ククリは少し考え、手を叩いた。
「要は、考える担当の私と、喋る担当の私がいるってこと!」
「……なるほど?」
長秀は納得したような、していないような顔で頷いた。
また一人、兵が木人形に投げ飛ばされた。
◆
ククリは鍛錬場を見回した。
兵たちは皆、汗だくでその場へ座り込んでいる。
「んー。まぁ今日はこの辺にしとく?」
長秀も兵たちの様子を見渡し、静かに頷く。
「うむ。そうしておこう。」
一歩前へ出る。
「では、本日の修練はここまで!」
「おおーっ!」
歓声が上がる。
兵たちは竹槍を置き、真っ先にククリのもとへ集まってきた。
「稽古ありがとうございました、ククリ様!」
「次もぜひお願いいたします!」
「次こそは人形に一太刀入れてみせます!」
誰もが汗まみれだ。
しかしその顔は、不思議なほど明るい。
憧れ。
尊敬。
いや、それ以上の何か。
その熱量に、当の本人だけが少し引いていた。
「お、おうよ。任せとき。」
ぎこちなく笑いながら手を振る。
「ちゃんと飯食って休めよー。」
「はいっ!」
返事だけは軍隊らしく揃っていた。
長秀はその様子を見て、小さく笑みを漏らす。
「すっかり人気者だな。」
「いやぁ……。」
ククリは頬を掻いた。
◆
二人は鍛錬場を後にし、岐阜城内を歩く。
廊下ですれ違った若い小姓が、慌てて道を譲る。
「こ、これはククリ様!」
深々と頭を下げる。
ククリも反射的に頭を下げ返した。
「あ、どうも。」
さらに歩く。
今度は年配の女中が、小さな包みを抱えて駆け寄ってきた。
「ククリ様。こちら、つまらぬ物にございますが……。」
差し出されたのは、手拭いだった。
「えっ、私に?」
「先日のご武勇、この目で見届けました。どうか、お納めくださいませ。」
「う、うむ。くるしゅうない。」
ククリは戸惑いながら受け取る。
女中は満面の笑みを浮かべ、一礼して去っていった。
長秀は何も言わず歩き続ける。
また少し進む。
今度は城番の足軽が走ってきた。
「ククリ様!」
両手には籠。
中には赤く熟れた柿がいくつも入っていた。
「故郷より届いた物にございます、ぜひ召し上がってくだされ!」
「いやいやいや!そんな悪いって!」
「どうか!お願いします!」
押し付けるように籠を渡すと、そのまま満足そうに去っていく。
ククリは籠を抱えたまま固まった。
「……えぇ。なんなのこれ。」
さらに廊下を曲がる。
今度は年若い女中が、おずおずと近付いてきた。
「ククリ様。こちら……。」
差し出されたのは、手縫いの巾着袋だった。
丁寧な刺繍まで施されている。
「私が作った物です。お気に召すか分かりませぬが……」
「えっ、あっ、ありがとうございます……。」
受け取ると、女中は顔を真っ赤にして駆け去っていった。
ククリは両手いっぱいの贈り物を見下ろす。
手拭い。
柿。
巾着袋。
歩くたびに少しずつ荷物が増えていく。
「……なんかやりづら〜。」
心底困ったように呟いた。
長秀は苦笑する。
「仕方あるまい。皆、あの戦いを見ておるのだ。」
二月前。
鎖を操り地を、森を破壊し。
月光を埋め尽くす黒の巨人。
藤宮サキ。
そして、それと真っ向から立ち向かい。
白銀の刃で巨人を討ち取った機神。
沢渡ククリ。
最早その名は岐阜どころか、尾張中に響く勢いであった。
「そなたを敬わぬ理由がない。」
「いやぁ……熱量が重いんだけど。」
ククリは頬を引きつらせる。
長秀は肩をすくめる。
「英雄とは、そういうものだ。」
ククリは腕いっぱいの贈り物を抱え直した。
「早く佐和山に帰りたいんだけど〜。」
「信長様へご挨拶してからだ。」
「へいへいー。」
◆
二人はそのまま城の奥へ歩みを進めた。
やがて織田信長の居室へ至る。
襖が開かれる。
「失礼致します。」
部屋には信長が胡坐をかいて座り、その傍らには秀吉が控えていた。
二人は同時に顔を上げ、長秀とククリを迎えた。
「丹羽五郎左衛門長秀、沢渡ククリ、共に参りました。」
「うむ。」
信長はまずククリの姿を見る。
そして、その両腕いっぱいに抱えられた荷物を見て眉を上げた。
「……どうした、その荷物は。」
「なんかここ来るまでに貰った。」
「ほう。」
信長は口元を緩める。
「どうやら、俺よりも慕われておるようだな。」
その一言に。
長秀と秀吉の肩がぴくりと震えた。
(しまった。)
(殿の御前で、それは。)
一瞬、空気が張り詰める。
しかし、信長は楽しげに笑うだけだった。
「よい。民や兵が慕う者が増えるのは悪いことではない。それだけ、お主が働いたということよ。」
長秀も秀吉も、胸を撫で下ろした。
信長は改めてククリへ視線を向ける。
「ククリよ。朝倉攻めでは大義であった。」
ククリは軽く手を振る。
「先に言っておいた通り、誰も殺してないよ。……ですよ。」
一瞬だけ言い直す。
だが、どこかぎこちない。
信長は気にした様子もなく頷いた。
「うむ、構わぬ。というより、それが最上よ。殺さずに勝てる戦など、これまでには考えられぬ。」
その言葉には重みがあった。
幾多の戦場を渡ってきた男だからこそ言える一言だった。
「兵の鍛錬もご苦労。皆、感謝しておる。」
「いやぁ、それ程でも。」
ククリは照れくさそうに頭を掻く。
先ほどまでの城内での熱烈な歓迎を思い返し、少しだけ肩の力が抜けた。
「まぁ。バケモンだって言われるよりは、だいぶマシかな。」
その言葉に。
長秀は思わずククリへ目を向けた。
飄々としている少女だ。
だが。
未来では、そのように呼ばれてきたのかもしれぬ。
そう思うと、少しだけ胸が痛んだ。
信長は静かに口を開く。
「化け物か。確かに、お主は常人ではない。」
部屋が静まる。
「しかしそれだけよ。」
信長は真っ直ぐククリを見る。
「化け物が人と触れ合って駄目な道理はあるまい。皆、お主の働きを見た。」
「ゆえに慕う。それだけのことだ。人が化け物を慕っては駄目な道理もないのでな。」
ククリは一瞬きょとんとした。
そして。
ぱっと表情が明るくなる。
「ノブ様、いいこと言うね!」
長秀が即座に咳払いをする。
「ククリ。流石にそこまでにせよ。」
「あっ。つい。信長様は良い事をおっしゃられますね?」
信長は堪えきれず笑い出した。
「はっはっは!」
秀吉も続いて吹き出す。
「はははっ!」
長秀もとうとう口元を緩めた。
部屋にはしばし、穏やかな笑い声が響いていた。
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長秀とククリが退出した後、信長と秀吉は二人きりで今後の方針を語り合う。浅井・朝倉をどう扱うのか。そして、あまりにも大きな存在となったククリをどう使うのか。隠すのではなく、あえて天下へ示すという信長の考えに秀吉は納得する。しかしその胸には、藤宮サキが残した不可解な言葉が引っかかっていた。
次回「信長と秀吉」
怪物の影は、天下人たちの思惑にも差し込む。
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