第42話 ゴールドラッシュ
躑躅ヶ崎館の正門をくぐると、既に一人の武将が待っていた。
四十代ほどの男は、ミシェルの姿を認めると一礼する。
「お待ちしておりました、ミシェル殿。」
「おはようございます、高坂様。」
高坂昌信。
武田信玄の側近にして、武田家随一の知将。
現在は、ミシェルへ信玄から貸与された金山の管理を担当していた。
採掘権。
精錬設備の改修権。
人夫の追加雇用。
すべて信玄の裁可によりミシェルへ委ねられている。
高坂の役目は、彼女の指示を取りまとめ各地に飛ばし成果を報告する、秘書のようなものである。
もちろん、それだけではない。
武田家中には、
「得体の知れぬ娘へ命脈たる金山を渡すとは。」
と不安視する者も少なくない。
だからこそ、高坂ほどの重臣が常に立ち会い、帳簿を改め、採掘量を確認している。
信玄は武田家臣へ示していた。
"決して好き勝手にはさせていない"と。
「本日の報告ですが。」
歩きながら高坂が帳面を開く。
「黒川金山では新たな鉱脈を確認。」
「湯之奥では排水路を設けた結果、坑道の崩落が減少しております。」
「金の精錬も、送風機の導入以来、歩留まりがかなり向上いたしました。」
ミシェルは満足そうに頷いた。
「皆様の技術が優秀なのですわ。私は本を売っただけですもの。」
「いや。」
高坂は静かに笑う。
「その本一冊が、武田の一年を変えます。十分過ぎる功績です。」
廊下を抜け、館の一角へ。
重い扉が開かれる。
その先には。
朝日を受けて鈍く輝く黄金の山が積まれていた。
精錬を終えた金塊。
延べ棒ほど整った形ではないものの、不純物を取り除かれた黄金が木箱へぎっしりと納められている。
「黒川、湯之奥、ならびに周辺諸坑より、この二月で精錬済み百二十七貫目余(約476キログラム)。従来なら到底考えられぬ量にございます。」
その光景を見た瞬間だった。
「……っ!」
ミシェルの目が輝く。
先ほどまでの落ち着いた表情が嘘のように崩れた。
「やっぱこれですわよね~~!」
金塊の山へ駆け寄る。
「美しい……。」
「輝いておりますわ……。」
「金……。」
「最高ですわ……。」
両手で金塊を持ち上げ、頬へ擦り寄せる。
「ふふふふ……ずっしり来る重量……これですわ……!」
高坂はその様子を見つめ、思わず苦笑した。
「金がお好きなのは存じておりましたが……。ここまでとは。」
ミシェルは金塊を抱えたまま振り返る。
「好き、ではありませんわ。信仰です。」
一瞬、高坂は言葉を失った。
「……左様でございますか。」
「ええ。」
ミシェルは真顔で頷く。
「この子たちは私を裏切りませんもの。うふふふ……!」
そして再び頬擦りに戻る。
高坂は小さく息を吐く。
高坂は帳面を閉じると、今度は脇に抱えていた黒い革鞄を机へ置いた。
留め具を外し、中から一枚の白い紙を取り出す。
武田の文書とは似ても似つかぬ。
表面は雪のように白く、紙質は均一。
しかも文字は筆ではなく、まるで一文字一文字を彫り込んだかのように整然と並んでいる。
大きさも、武田家で普段用いる折紙や奉書紙より遥かに大きい。
高坂は未だにこの紙を見るたび感心してしまう。
「わーぷろ」なるもので生み出された、未来の紙片である。
「こちらが今回の契約書にございます。」
紙の上部には大きく、
『武田家専属顧問契約料受渡証書』
と記されていた。
その下には、
『武田家は専属顧問契約料として、精錬済金百二十七貫目余を周防ミシェルへ支払う。』
と続き、双方の署名欄が設けられている。
片側には既に『源朝臣武田信濃守太郎晴信』、
つまりは武田信玄の名が記されている。
「ご確認を。」
「ええ。」
ミシェルは革製の筆箱を開ける。
中から取り出したのは、漆塗りの筆ではない。
細身の黒い筆だった。
さらさら、と淀みなく紙を滑らせる。
”Michelle Suou”
異国の文字で書かれた署名が契約書へ刻まれた。
高坂は毎度のことながら感心する。
「その筆も不思議な品ですな。筆先へ墨を付ける様子もなく、延々と文字を書き続ける。」
「万年筆、といいます。便利でしょう?」
「羨ましい限りです。」
ミシェルは笑いながら契約書を閉じた。
「では。」
金塊へ歩み寄る。
右手を一つ、金塊の山へ置いた。
瞬間。
黄金が音もなく消えた。
崩れ落ちることも。
光になることも。
煙になることもない。
ただ、
存在そのものが消失した。
高坂は目を細める。
「……何度見ても奇怪ですな。手をかざすだけで消えるとは。」
ミシェルは目を閉じる。
意識の内側。
他人には見えない場所で、一つの数字が静かに書き換わる。
《製錬金476kg、111億2,300万円也。》
口元が自然と緩む。
「ふふ、ふふふふふ……!」
高坂は苦笑する。
「その契約書、本当に必要なのでございますか。」
ミシェルは頷く。
「契約というのは大事ですわ。」
契約書を指先で軽く叩く。
「私の能力は、私自身が『これは私の財産である』と認識して初めて成立します。『武田家から正式に対価として支払われた』。その手続きを踏まなければ、私はこの金を受け取れません。」
「では、勝手に持ち出したなら。」
「能力は反応いたしません。」
ミシェルは肩をすくめた。
「私がもっと雑な人間でしたら、このような手続きも不要だったのでしょうけれど。幸か不幸か、私はそういう性分でして。」
高坂は契約書を丁寧に巻き直す。
「だからこそ、信玄様もミシェル殿を信用なさったのでしょう。」
欲深い。
しかし、その欲は必ず筋を通す。
それが周防ミシェルという少女だった。
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未来の医療で武田信玄の命を繋ぐミシェル。しかし軍議の場で目にした一つの映像が、余裕に満ちた商人を一瞬で恐怖のどん底へ叩き落とす。彼女がそこまで取り乱した理由とは――。
次回「周防ミシェル、絶叫す」
知識より先に、恐怖が記憶を呼び覚ます。
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