第41話 武田文明 科学勝利への道
耳障りな低い唸りで、周防ミシェルは目を覚ました。
「……少々うるさいですわね。」
天井には硝子製の照明。
厚い絨毯。
彫刻の施された木製家具。
暖色の壁紙には油彩画が飾られ、窓辺には白いカーテンが揺れている。
浴室では蛇口をひねるだけで湯が流れ。
温水のシャワーを浴びながら眠気を覚ます。
朝の湯を浴び、鏡の前で髪を乾かす。
ドライヤーを止め、軽く化粧を整える。
食卓には焼きたてのクロワッサン、スクランブルエッグ、厚切りのベーコン、サラダ、淹れたての珈琲。
本を読みながら優雅に朝食を終える。
耳にはなおも低い駆動音が届いていた。
「この音さえもう少し……。」
窓の外を眺め、小さくため息をつく。
「防音材でも付けましょうか。」
コートを羽織る。
玄関を開く。
そこにあったのは灰色の壁で組み上げられた箱型の建物。
簡素そのもののプレハブ住宅だった。
その脇では数基の小型発電機が規則正しく回転し、ぶぉん、ぶぉん、と唸り続けている。
ミシェルは振り返り、外観を見上げる。
「しばらくはこれで我慢ですわね。」
内装だけでも凝ればそれなりの暮らしが出来るものだ。
資産が十分に貯まれば、本物の石造りの洋館を建てる。
今は投資が先だった。
ミシェルは一息ついて歩き出す。
秋は過ぎ去り、冬の足音がもはやすぐ傍まで。
「……まぁまだストーブでいいでしょうね。床暖房はそのうち。」
道中にも、同じようなプレハブ小屋が点在している。
どの建物にも発電機が据え付けられ、中からは悲鳴とも歓声ともつかぬ声が響いていた。
「違う違う! この"ねじ"なる物は釘ではない!」
「釘は打ち込めば終いじゃ!」
「されどこれは締めれば締めるほど強固に噛み合う!」
「ほう……では木組みも縄も不要になるということか!」
「その発想だ!」
隣の小屋では別の声。
「うぐぁぁ……頭が割れそうじゃ……。」
「算木では追いつかぬ!」
「この『微積分』なる術、鬼神の算術か!」
「医者を!」
「医者殿も昨日より熱で倒れております!」
ミシェルは苦笑しながら扉を開けた。
「皆様、おはようございます。」
室内の武将や職人たちが一斉に顔を上げる。
「ミシェル殿!」
「ちょうど良いところに!」
「アレを下され!」
彼女は能力を発動し、机の上へ缶を並べた。
毒々しい色の缶。
「本日の差し入れですわ。眠気覚ましにどうぞ。」
「おおっ!」
「これが例の”えなじぃどりんく”!」
「かたじけない!」
一斉に飲み干す。
「苦い!」
「されど効く!」
「頭が冴えて参った!」
「続きを読め!」
「まずは"火薬の燃え広がる速さ"を測る術からじゃ!」
「いや、その前に鋼の炭の含み具合を揃えねば!」
知恵熱で机へ突っ伏す者。
興奮のあまり筆を折る者。
床いっぱいに図面を広げる者。
その混沌を眺めながら、ミシェルは満足そうに微笑んだ。
◆
プレハブの研究棟を後にしながら、ミシェルは自然と口元を緩めていた。
あれでいい。
いや、あれこそが最善なのだ。
自分は決して天才ではない。むしろ凡人の域に入るだろう。
未来の知識は持っている。
だが、それを理解し、新しい技術へ昇華する頭脳までは持ち合わせていない。
蒸気機関を知っている。
しかし設計はできない。
内燃機関を知っている。
しかし改良はできない。
飛行機を知っている。
しかし翼の形一つ、自ら考案することはできない。
だから最初から割り切った。
私は商人である。
商品の価値は、人によって異なる。
ある者には石ころでも。
ある者には黄金となる。
その最たるものが情報だ。
自分にとっては理解しきれない工学書も、鍛冶職人には人生を変える宝典となる。
退屈な数学書は、測量奉行にとって天下を取る道具となる。
何百頁もある医学書は、一人の医師に数万人の命を救わせる。
ならば自分の仕事は決まっている。
商品を仕入れること。
そして、最も高く買ってくれる相手へ売ること。
武田家ほど、それに適した客はいなかった。
武田信玄。
その下には名将が揃い、職人も学者も惜しみなく登用される。
知識を吸収する土壌がある。
人材がある。
意欲がある。
ならば。
書物を与え続けるだけでいい。
一冊。
二冊。
百冊。
千冊。
積み重ねれば、この国は百年、二百年先の文明へ辿り着ける。
自分一人では到底届かない場所へ。
人という財産ならば届いてくれる。
それが、周防ミシェルという商人の見立てだった。
やがて研究棟が途切れ、その先に武田家の本拠が姿を現す。
躑躅ヶ崎館。
山城ではなく、甲府盆地に築かれた広大な館である。
幾重もの堀と土塁に囲まれ、その内側には武田家中枢の政務が集約されている。普段は家臣が行き交い、使者が絶えず訪れ、戦となれば全国へ命令が飛ぶ。
戦国屈指の名将・武田信玄が天下へ睨みを利かせる、その頭脳とも言うべき場所だった。
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未来の知識によって飛躍的な発展を遂げる武田家。その成果は、ついに莫大な黄金となって姿を現す。冷静な商人・周防ミシェルは金塊を前に思わぬ本性をさらけ出すことに。武田家との強固な信頼関係、その裏で交わされる契約と、彼女の能力の仕組みが明かされる。
次回「ゴールドラッシュ」
欲深さもまた、一つの才能である。
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