第27話 走れ秀吉
「じゃあな。」
佐和山城の麓。城下町の手前ほど。
鎖の鉄球の上で胡座をかいたサキが手を振る。
「さっさと行ってこい。」
秀吉は頷いた。
だが足を踏み出しかけたところで、サキが思い出したように付け加える。
「あーそうだ。」
嫌な予感しかしない。
「五分な。」
「……ごふん?」
「五分。」
五分という聞き慣れぬ単位。
だが、おそらく長い時ではあるまい。
「帰ってこなかったら迎えに行く。」
秀吉にも正確な長さは分からなかった。
だが一つだけ確かなことがある。
過ぎたらろくでもないことになる。
秀吉は深々と頷いた。
「すぐ戻ります。」
そう言うなり駆け出した。
裸足のまま。
部屋着のまま。
全力で。
後ろから。
「迎えに行くだけだから安心しろよー!」
という声が聞こえた。
全く安心できなかった。
◆
佐和山城。
丹羽長秀は城外で兵たちと話していた。
比叡山陥落から十日余り。
城下は以前より賑わっている。
織田方の勢いを感じ取った商人たちも増えていた。
長秀はそんな様子を眺めながら兵と世間話をしていた。
ククリは朝から城下へ出ている。
何やら小判を持って買い物に行った。
おそらくまた子供たちと遊んでいるのだろう。
そう思っていた。
その時だった。
「ど、どけぇぇぇぇぇ!」
聞き覚えのある声。
兵たちが振り返る。
長秀も振り返る。
そして。
固まった。
一人の男が全力疾走してくる。
裸足。
部屋着。
髪は乱れ。
顔は汗まみれ。
どう見ても賊に追われて逃げてきたような姿。
だが。
その顔を見た瞬間長秀は目を見開いた。
「ひ、秀吉殿!?」
木下藤吉郎秀吉だった。
秀吉は長秀の前まで来ると膝に手を付き荒い息を吐く。
「はぁ……はぁ……。な、長秀殿、外にいるとはなんたる行幸……。」
「な、何事ですかな!?」
「説明している時間はござらぬ!」
即答だった。
秀吉は顔を上げる。
「草履と着物!それから水をくだされ!」
長秀は反射的に頷いた。
鬼気迫る表情である、ただ事ではない。
「誰か!」
兵たちへ怒鳴る。
「草履と着物だ!水も持て!」
兵たちが慌てて走り出す。
長秀は改めて秀吉を見る。
明らかに異常事態だった。
「秀吉殿、一体――」
「信長様へ早馬を!」
長秀の言葉を遮る。
秀吉の目は真剣だった。
「何?」
「これから化け物がそちらへ向かう!」
長秀は眉をひそめた。
「化け物?」
「比叡山を落としたククリなる者が目当てである!」
長秀は一瞬固まる。
ククリ。
その名前が出た瞬間に理解した。
これはあの手の話だ。
「放置すれば織田家存亡の危機である!至急対応を!」
兵たちが戻ってくる。
水筒。着物。草履。
秀吉は水をひったくるように受け取り、一息で飲み干した。
長秀は口を開く。
「待て秀吉殿。」
秀吉が草履を履く。
「そのククリという娘なら――」
着物を羽織る。
「助かり申した!この恩はいずれ!」
秀吉は立ち上がった。
長秀が言葉を続ける前に。
もう走り出している。
「秀吉殿!」
長秀が叫ぶ。
秀吉は振り返らない。
ただ片手を振り。
「頼みましたぞぉぉぉ!」
と叫んだ。
そのまま坂道を全力で駆け下りていく。
止める暇もない。
長秀は呆然とその背を見送った。
兵たちも同じだった。
しばらく沈黙。
やがて。
長秀はぽつりと呟く。
「拙い事が起きておる……!」
皆。
同じ予感を抱いていた。
どう考えても。
ろくでもないことが起ころうとしていた。
「誰か、早馬の準備を!そして今すぐにククリを探して呼び戻せ!」
長秀は叫び、頭を抱えながら動き出した。
日はまだ高い。
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幾度もの遠回りの末、秀吉はついに岐阜城下へ辿り着く。しかし、そこで待っていたのはククリではなく、サキを迎え撃つ二人の少女だった。張り詰めた空気の中、静かな対峙は一瞬で狂騒へと変わっていく。
次回「城下の三人」
その三人、いずれも怪物也。
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