第25話 横山城倒壊
横山城から少し離れた林。
浅井兵は一人、途方に暮れていた。
どうすれば良いのか分からない。
藤宮サキは飛んで行った。
文字通り飛んで行った。
あの後、横山城の方から何度か大きな音も聞こえた。
何かが起きているのは間違いない。
だが確認しに行く勇気は無い。
まさか本気で一人で城を潰す気なのか。
……出来ないとは思わない。
というか、小谷はその一歩手前だったではないか。
「どうすれば……。」
呟いた時だった。
風が鳴った。
いや。
何かが空を裂いている。
兵が顔を上げる。
次の瞬間。
どごん、と地面が揺れた。
土煙。
落ち葉が舞う。
兵は思わず尻餅をつく。
煙の向こうから現れたのは。
見慣れた少女だった。
「おう。」
藤宮サキ。
そして。
その傍らには奇妙な荷物が転がっていた。
「むごっ。」
荷物が呻く。
よく見る。
人だった。
鎖で全身をぐるぐる巻きにされた男。
木下藤吉郎秀吉。
仮にも横山城を信長に任された男であるが、今やまるで俵のようであった。
「サ、サキ様その男は?」
「知らね。なんか物知り顔だったから連れてきた。」
秀吉本人も何か言いたそうだったが、口元まで鎖が巻かれていて上手く喋れない。
サキは気にしていなかった。
秀吉を足で軽く転がし、軽く鎖を解く。
「おい。」
「げほっ……ごほっ……。」
咽せながら周囲を見渡し、状況をなんとか理解しようと努める。
「オレは藤宮サキ。サキ様と呼べな。お前、道詳しいか?」
肺が痛い。
肋骨も痛い。
人生で初めて荷物として運ばれた。
それでも秀吉は頭を回す。
何一つ状況は良くなっていない。
相変わらずこの娘に生殺与奪を握られている。
機嫌を損ねれば躊躇いなくこの娘は殺すだろう。
思考を巡らせ最適解を取り続けなければ。
そして答えた。
「尾張ならば。ゴホッ。」
咳を挟む。
「尾張ならば庭のようなものにございます。」
サキの顔が明るくなった。
「おっ。」
嬉しそうだった。
秀吉は嫌な予感しかしない。
「じゃあ案内頼むわ。」
「……何処へ。」
「信長んとこ。まぁククリも居んだろ。」
秀吉は目を閉じた。
ククリなる者がこのサキなる少女の目当てであり、
おそらく比叡山を落とした『土人形』の主人、あるいはそのもの。
だが問題はそこではない。
問題は。
信長がこの化け物と会ったら何が起きるか分からないことである。
秀吉が思考を巡らせている間に、サキは待機していた兵へ振り向いた。
「あ、お前。」
「は、はい。」
兵は反射的に背筋を伸ばした。
「帰っていいぞ。」
「え。」
「長政に伝えとけ。」
サキは笑った。
「早く来いって。」
兵は半泣きしながら勢いよく首を縦に振る。
秀吉は思考を巡らせる。
長政。
おそらくは浅井長政。
成程、小谷城が騒がしかった理由はこれだ。
この娘が、経緯は分からぬが今の浅井を仕切っている。
この娘の一存で、おそらくは気まぐれにより。
浅井は挙兵したのだ。
道理も常識も理解せず、しようとも思っていない小娘に。
戦国大名がいいように扱われているのだ。
仮に自身が蚊帳の外ならば、いい気味だとも思ったかもしれない。
「ああ。」
サキがぽんと手を叩く。
「忘れるところだった。」
「……何をでございますかな。」
秀吉が恐る恐る尋ねる。
サキは横山城の方を振り返った。
「あの城。」
兵と秀吉もつられて見る。
遠くに横山城が見える。
つい先程まで秀吉がいた城。
「潰しとくんだったわ。」
兵の顔色が消えた。
秀吉は一瞬意味が分からなかった。
だが次の瞬間。
サキの掌から鎖が伸びる。
じゃらり。
鉄の音。
鎖は彼女の手を突き破って出ているように見えた。
まるで血管が鎖であるかのような。
明らかに異常であるのに、何故かそれが自然に見えた。
その鎖を踏まえた存在が彼女であると感じた。
その鎖が、伸びていく。
じゃらりじゃらりと音を立て、地面にとぐろを巻いていく。
「さぁて、と!」
サキが一声あげると、鎖が浮き上がる。
そのままサキが腕を振りかぶり、
「ォラア!!!」
気合いと共に振り抜く。
蛇のように空へ伸びていく。
投げたという表現では足りなかった。
放たれた鎖は弓矢のように飛ぶのではなく、生き物のように空中を這い、横山城へ到達する。
秀吉も兵も呆然と見上げるしかない。
鎖は天守の頭上を飛び越え。
そのまま城の向こう側へ回り込んだ。
そして。
するすると。
まるで贈り物へ紐を掛けるように。
城全体へ斜めに巻き付いていく。
天守の上から。
櫓を跨ぎ。
城壁を越え。
石垣をかすめ。
巨大な襷を掛けるように。
一本の黒い輪が横山城全体を包み込んだ。
秀吉は理解できなかった。
何をする気なのか。
何が起きるのか。
だが。
本能だけは叫んでいた。
見てはいけない。
これは人の業ではない。
「おい!」
サキが兵へ向かって叫ぶ。
「長政にちゃんと言っとけよ!」
そして両手で鎖を握った。
「オレ様の活躍をよォ!!」
引く。
ただそれだけだった。
力任せに。
何の技もなく。
ただ引っ張る。
次の瞬間。
横山城の中央から。
ばきん。
という乾いた音が響いた。
秀吉は目を見開く。
城が。
切れている。
天守の屋根。
櫓の柱。
梁。
石垣の上に築かれた構造物。
その全てへ斜めに走る一本の線。
鎖が通った場所だけが。
綺麗に断ち切られていた。
まるで巨大な刀で城そのものを斬り裂いたかのように。
遅れて。
破壊が始まる。
天守がずれる。
櫓が傾く。
梁が支えを失う。
兵たちの悲鳴が風に乗る。
そして。
城が自ら崩れ始めた。
轟音。
地鳴り。
叫喚。
上半分を失った天守が横倒しになる。
瓦が空へ舞う。
木材が砕ける。
砂煙が立ち昇る。
支えを失った建物が次々と崩落していく。
まるで童が戯れに積んだ木細工を蹴り飛ばすように。
横山城が。
仮とはいえ。
己が信長という傑物から認められ任された城が。
たった一度鎖を引いただけで瓦解していく。
兵は腰を抜かした。
秀吉は声も出ない。
戦を知っている。
攻城戦も知っている。
城とは何かも知っている。
だからこそ理解できる。
こんな壊れ方はしない。
城は攻め落とすものだ。
包囲するものだ。
兵糧を絶つものだ。
何百何千という兵が命を懸けて奪うものだ。
それを。この少女は。
荷車を解体するような気軽さで破壊した。
土煙の向こう。
横山城だった場所を眺めながら。
サキは満足そうに頷いた。
「うん。」
仕事を終えた職人のような顔だった。
「よし。」
秀吉は何も言えなかった。
ただ崩壊した横山城を見つめる。
自分が先程までいた場所。
自分が守るはずだった城。
それが消えている。
そして。
その隣では。
少女が次はどちらへ向かおうか考えるように空を見上げていた。
その横顔は楽しげですらあった。
「終わり!んじゃ案内頼むな?」
秀吉は初めて思う。
織田信長だの。
浅井長政だの。
武田信玄だの。
そんな『小物』を己は日々恐れていたのかと。
今この瞬間。
最も恐ろしいのは。
天下人でも大名でもなく。
この少女だ。
藤宮サキを名乗る、怪物だ。
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鎖の怪物・サキに捕らえられた秀吉は、尾張への案内役として奇妙な旅を続ける。機嫌を損ねぬよう会話を重ねる中、思いもよらぬ言葉に胸をざわつかせる秀吉。やがて二人の前に佐和山城が姿を現すが、その到着は新たな波乱の始まりに過ぎなかった。
次回「秀吉、空を飛ぶ」
運命は、時に人を試す。
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