第23話 浅井長政の受難2
小谷城は重苦しい空気に包まれていた。
兵たちは戦支度に追われている。
槍の穂先を磨く者。
兵糧を荷車へ積む者。
馬を整える者。
誰もが忙しく働いていた。
しかし城内に漂う緊張の原因は織田軍だけではない。
藤宮サキ。
その存在そのものだった。
城を単独で制圧した少女。
鎖を操り、武士たちを虫のようにねじ伏せた怪物。
彼女が機嫌を損ねれば何が起こるか分からない。
だから家臣たちは目を合わせない。
廊下ですれ違えば頭を下げる。
まるで主君以上に恐れられている。
その張本人は天守の窓から城下を眺めていた。
そして苛立っていた。
「遅ぇ。」
ぼそりと呟く。
「何がですか。」
長政が尋ねる。
サキは振り返らない。
「全部だよ。出陣も準備も話し合いも。」
長政は困ったように釈明する。
「戦とはそういうものです。」
「だからそれが遅いって言ってんだよ。」
サキは窓枠を指で叩いた。
「信長を攻めるんだろ?なら行けばいいじゃねぇか。」
「行けば済む話ではないのです。」
長政は静かに答える。
「兵を集めねばならぬ。兵糧も要る。指揮系統の確認も必要で」
「知らん。面倒クセェ話すんな。」
即答だった。
長政は額を押さえた。
会話が噛み合わない。
この少女は軍を率いたことがない。
率いる必要もないのだろう。
一人で軍勢以上なのだから。
長政は窓の外へ目を向けた。
もし。
本当にもし。
サキが織田軍へ突撃したらどうなるか。
おそらく前線は崩壊する。
並の武将では止められない。
兵数など意味を失う。
囲まれたところで意味はない。
この怪物は包囲ごと蹂躙する。
もし信長が討たれたら。
織田家は割れる。
近江は戦場になる。
朝倉も武田も動くだろう。
天下はさらに乱れる。
そしてサキ自身はそんなことに興味がない。
ただククリとやらと戦いたいだけだ。
ククリ。
サキが言うには比叡山を数刻で落とした土人形の主。
そしておそらくは、サキと同等の怪物。
長政はため息を吐いた。
「サキ様は簡単に戦を考えすぎです。」
「お前らが難しく考えすぎなんだよ。」
サキは振り返った。
「結局敵倒せば終わりだろ?」
「いいえ。それだけではございません。」
長政は即答した。
「戦の後にも人は生きる。戦後の処理も必ず必要に」
「だから?」
「だから戦う前から戦った後のことまで考えてですな」
「知らん。後のことまで考えてられっか。」
再び即答。
長政はもう笑うしか無かった。
ここまで来ると清々しい。
その時。
廊下から静かな足音が聞こえた。
お市の方。
織田信長の実妹。
政略結婚によって浅井家へ嫁いだ女性であり、長政にとっては妻である。
当初こそ織田との同盟の証として迎えられたが、今ではそうした立場を越えて家族となっていた。
三人の娘にも恵まれた。
茶々。
初。
江。
いずれもまだ幼い。
長政にとって城へ帰る理由の一つである。
彼女が部屋へ入った瞬間、周囲の空気が固まった。
家臣たちは緊張する。
サキと関わってほしくない。
誰もがそう思った。
だが。
お市は普通に歩み寄った。
「また困らせておられるのですか、サキ様。」
柔らかな声だった。
家臣たちが青ざめる。
長政ですら少し身構えた。
しかしお市は気にしない。
サキを見る。
真っ直ぐに。
恐れもなく。
媚びもなく。
サキは眉をひそめた。
「なんだよ。」
「皆準備をしております。少し待たれてはいかがですか?」
「待てねぇ。」
「何故です?」
「ククリがいるから。」
あまりにも率直だった。
お市は一瞬だけ目を丸くした。
だが笑う。
「それだけですか。」
「それだけだ。他の事に興味なんかねぇよ。」
サキは苛立ったように立ち上がる。
「ていうかお前生意気だな?姫様だからってオレが加減するとでも?」
一歩前へ出る。
家臣たちが息を呑む。
サキの手が持ち上がった。
じゃらりと鎖が鳴る。
長政は反射的に動く。
お市の前へ立つ。
「殿!」
家臣たちの声。
だが長政は退かない。
もし振るわれるなら。
まず自分が受ける。
主として当然だった。
サキはその様子を見ていた。
数秒。
そして。
「チッ。あーもう。」
露骨にやる気を失った。
「そういうのやられると殴りづれぇ。」
長政は内心で安堵する。
その時。
お市が小さく首を傾げた。
「そんなに待ちきれないのでしたら。」
穏やかな声だった。
「お一人で行けば良いのではありませんか?」
部屋が静まり返る。
長政も。
家臣も。
サキも。
全員が固まった。
サキの目が見開く。
「……それもそうだな?」
次の瞬間。
満面の笑みになった。
長政は嫌な予感しかしなかった。
「サキ様?」
立ち上がる。
しかし遅い。
サキは既に出口へ向かっていた。
「そうだよ!なんでわざわざ待ってたんだオレ!」
勢いよく襖を開ける。
廊下へ飛び出す。
「おい道わかるやつ誰だ!」
城中に響く大声。
「信長の城まで案内しろ!」
兵たちが凍り付く。
家臣たちが顔を見合わせる。
誰も名乗り出ない。
当たり前である。
だがサキは気にしない。
「おいそこのテメェ!案内しろ!」
「ヒッ、そ、それがしですかぁ!?」
「それがしってなんだよ菓子か?いいから行くぞオラ!」
サキはたまたま近くにいた不運な兵を引き摺りながら言った。
「長政ァ!ちゃんと軍連れてこいよ!オレが信長殺すまでに着かなかったらお仕置きだからなァ!!」
そう言い残し。
飛び出していった。
静寂。
長政はゆっくりと腰を下ろした。
お市も苦笑している。
「……。」
「……。」
しばらく沈黙。
やがて長政が呟いた。
「市。」
「はい。」
「そなた、肝が据わり過ぎではないか。」
お市は不思議そうな顔をした。
「そうでしょうか?あれは子供なだけですよ。」
「あんな凶暴な子供がいるものか。」
「いいえ。あの子はただの子供です。少々不可思議な力を持っていますが、ただの我儘な童ですよ。」
長政は遠くを見る。
怪物を諌め。
怪物を追い出した。
もしかすると。
この城で最も恐ろしいのは
あの少女ではなく。
自分の妻なのかもしれなかった。
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浅井家の戦支度を警戒しながら、横山城で前線を預かる木下秀吉。比叡山陥落の真相も掴めぬまま、戦況の変化に思考を巡らせていた。一方、小谷城を飛び出した藤宮サキは、ククリを探すため近江を突き進む。その目に入った障害物、横山城。
次回「秀吉ゲットだぜ」
少女の気まぐれが未来を壊す。
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