第20話 浅井長政の受難
小谷城。
北近江を見下ろす天守にて。
浅井長政は報告書へ目を通していた。
目の前には重臣たち。
そして。
天守の柱へ寄りかかるようにして座る少女。
藤宮サキ。
鎖の少女。
突如現れ、小谷城を単独で制圧した怪物である。
幸いというべきか。
今のところ浅井家へ敵意は見せていない。
むしろ勝手に居座っているだけだ。
しかし長政は知っている。
この少女は味方ではない。
ただ今は機嫌が良いから暴れていないだけだ。
そんな中。
廊下から慌ただしい足音が響いた。
「申し上げます!」
伝令だった。
息を切らしている。
ただ事ではない。
長政は顔を上げた。
「申せ。」
「比叡山にございます!」
その一言で部屋の空気が変わった。
長政の背筋が伸びる。
比叡山。
浅井家にとって極めて重要な存在。
朝倉との連絡。
織田への牽制。
そして何より。
信長が容易に手を出せぬ後ろ盾。
もしここが失われれば。
浅井家はさらに苦しい立場へ追い込まれる。
長政は静かに尋ねた。
「織田が動いたか。」
「はっ!」
伝令が頷く。
「比叡山、陥落にございます!」
部屋がざわつく。
重臣たちの顔色が変わる。
長政は拳を握った。
ついに来たか。
信長は決断したのか。
比叡山焼き討ち。
それは単なる軍事行動ではない。
今後の天下へ向けた意思表示。
寺社であろうと敵対すれば討つ。
そう天下へ示したことになる。
長政は思考を巡らせる。
比叡山が失われれば。
朝倉との連携は悪化する。
近江南部への圧力も増す。
何より。
織田軍がその兵力を他へ向けられる。
浅井にとっては最悪に近い報せだった。
「被害は。」
長政が問う。
「どの程度だ。」
伝令は困惑した顔をした。
「それが……。」
「申せ。」
「死者は……ほぼ無しとのこと。」
沈黙。
誰も理解できなかった。
長政も眉をひそめる。
「何だと。」
「土人形の大軍が突如出現し、山内を制圧。僧兵は拘束。女子供は保護。寺社の焼失もほぼ無し。山門首脳部も生け捕りとの由。」
長政は絶句した。
重臣たちも同じだった。
意味が分からない。
戦である。
戦とは死ぬものだ。
負ければなおさら。
だが。
死者がいない?
比叡山が落ちたのに?
土人形の大軍?
「……何を言っておる。」
長政が呟く。
「土人形の大軍?何を言っておるのだ?それらが比叡山を落としたと?」
その時だった。
後ろから笑い声が聞こえた。
「ハ。」
一度。
「ハハ。」
二度。
「ハハハハハハハ!」
全員が振り返る。
サキだった。
目を輝かせている。
心底楽しそうだった。
「人形!?」
立ち上がる。
「ハハハハハ!」
肩を震わせながら笑う。
「間違いねぇ!」
重臣たちが身構える。
嫌な予感しかしない。
サキは笑いながら叫んだ。
「ククリだ!沢渡ククリ!」
さらに笑う。
「無限傀儡!クラウンパペッター!ドールマスター!」
「アイツも来てたのかハハハハハ!」
長政は顔をしかめる。
初めて聞く名だ。
だが。
この少女がここまで感情を露わにする相手。
ろくでもない予感しかしなかった。
サキが勢いよく振り返った。
「長政ァ!」
「……何でしょうか。」
「信長を攻めろ!」
部屋が静まり返る。
長政は思わず額を押さえた。
「……無茶を申さないで頂きたい。今比叡山を失ったばかり。こちらの防備を固めねばなりません。兵糧の問題や朝倉との連携もある、何より織田軍は今勝利の直後。」
長政は指を折りながら説明する。
「今攻めればこちらが不利――」
「知るかボケ!」
一蹴だった。
サキは鎖を鳴らす。
がしゃり。
不穏な音が響く。
「ククリがいるんだぞ!?」
満面の笑み。
完全に目が輝いている。
「面白くなってきたじゃねぇか!ただのサムライ相手なんてつまんねえと思ってたんだ、ハハッハハハハ、待ってな沢渡ククリィ!!」
長政は天を仰いだ。
比叡山陥落。
それだけでも頭が痛い。
だが今。
それ以上の頭痛の種が目の前で笑っていた。
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比叡山をわずか半日で無血制圧したククリ。その報告に明智光秀の常識は完全に崩壊する。信長は功績を認めながらも、その力が織田軍そのものを壊しかねないと判断し、ククリを戦場から遠ざける決断を下す。そして光秀は、岐阜城にはなお二人の「怪物」がいることを思い知る。
次回「明智光秀、絶叫す」
常識は、音もなく崩れ去っていく。
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