第1話 沢渡ククリ
元亀二年(1571年)。
近江国は佐和山城。
丹羽五郎左衛門長秀は執務の最中だった。
佐和山城は琵琶湖東岸を見渡す要地にある。信長が近江を制して以降、この地は京と岐阜を結ぶ重要な拠点となった。長秀はその守りを任されている。
戦働きだけではない。
年貢の管理、兵糧の備蓄、近隣国人との交渉、寺社との折衝。
重臣とは戦場で槍を振るうだけの役目ではなかった。
そんな最中、家臣が慌ただしく駆け込んできた。
「殿、ご報告申し上げます。」
声の調子だけで異常事態だと分かる。
長秀は筆を置いた。
「何事だ。」
「城門にて騒ぎが発生しております。」
「賊か。」
「いえ……若い娘にございます。」
長秀は眉をひそめた。
娘。
それだけでは何も分からない。
だが続く報告はさらに理解し難かった。
「その娘が連れている人形により、兵が十数人制圧されました。」
「人形だと。」
「は。」
「からくりか。」
「いえ。自ら動いているようにしか見えませぬ。」
長秀はしばし沈黙した。
戦国の世に怪異の噂は珍しくない。
だが実際に目の前へ現れた例は少ない。
まして城門を突破するほどの存在となれば尚更だった。
その時だった。
廊下の向こうから怒声が響いた。
「だから会わせろって言ってるじゃん!」
「黙れ!」
「偉い人なんでしょ!?」
「無礼者!」
「案内してくれたのそっちじゃん!」
「案内などしておらぬ!」
声は遠慮なく近付いてくる。
やがて襖が勢いよく開かれた。
まず目に入ったのは木人だった。
人と同じほどの背丈。
木でできているにも関わらず、不自然なほど静かに立っている。
五体。
兵たちは距離を取っている。
その様子だけで十分だった。
報告は真実らしい。
その中央に立つ者へ視線を移す。
背丈は低い。
長秀は正確な数字など知る由もないが、武家の女子としても小柄な部類だろうと思った。
まだ成長の途中なのか、それとも元よりそうした体格なのか。
少なくとも力で兵を制圧するような人間には見えない。
髪は黒。
珍しいことではない。
だが結い方が見慣れなかった。
髪の大半は短く整えられているのに、片側だけ束ねられている。
結い上げるでもなく、垂らすでもない。
武家の娘とも町娘とも違う。
何らかの異国の風習にしか思えなかった。
顔立ちは年相応に幼い。
目はよく動く。
城へ押し入った人間とは思えぬほど警戒心が薄く、周囲をきょろきょろと見回していた。
しかし一方で、兵に囲まれても全く怯えていない。
それが長秀には不気味だった。
服装も異様だった。
生地そのものは見たことがない。
絹でも麻でもない。
そして手。
そこにも違和感があった。
手袋をしている。
それ自体は珍しくない。
鷹匠や職人などが使うことはある。
だが彼女のものは違った。
指先だけが出ている。
掌と手の甲を覆いながら、指だけが露出しているのだ。
総じて。
知識の中に当てはまるものが何一つない。
奇怪な女子である。
少女は長秀を見つけると顔を明るくした。
「お。」
まるで知人を見つけたような反応だった。
「たぶん偉い人。」
長秀は即座に表情を消した。
内心では警戒している。
だが城主が狼狽する姿を家臣に見せるわけにはいかない。
特に今は。
目の前の者が得体の知れない存在だからこそ。
「儂は丹羽五郎左衛門長秀。この佐和山城の城主である。」
「へぇ。」
反応は薄い。
長秀の名を知らない。
それ自体は不自然ではない。
だが敬意も畏れも感じられない。
まるでただの名前として聞き流している。
「お主は。」
「沢渡ククリ。」
そこで少女は続けた。
「十三歳。」
長秀はわずかに驚いた。
見た目が若いことは分かっていた。
だが十三とは思わなかった。
元服もしていない年齢だ。
武家ならようやく将来の縁談が話題に上る頃。
農家なら働き手として扱われる頃。
そんな年頃の娘が兵十数人を制圧したという。
理解が追い付かない。
「何者だ。どこから来た。」
「それが分からん。」
「分からぬ?」
「気付いたら道端にいた。」
長秀は黙って続きを促す。
「知らない場所だったし、聞いても誰もまともに答えてくれないし、だからこの辺で一番偉い人なら何か知ってるかなって。」
その理屈だけは妙に筋が通っていた。
「どこの者だ。」
「日本。」
長秀は少し眉をひそめた。
「それは分かっておる。言葉も通じておるしな。」
「え?」
「ここも日本だ。」
今度はククリが固まった。
「関東?」
「どこだそれは。」
「東京とか……あー、江戸?」
「武蔵国の江戸か。ここでは無いが。」
「じゃあ近畿?」
「きんき?」
「京都とか大阪とかの辺り。」
「京なら近い。ここは近江国だ。」
「おうみ?あーなんも分かんね〜地理知らね〜っていうかタイムスリップじゃね?くっそ異世界転生のがまだマシだったな〜。」
ククリはしばらく唸り、
「あー、外から見えた湖って琵琶湖?」
「ああ、確かにあれは琵琶湖だが。」
「じゃあ滋賀県かー。」
「しがけん?」
「滋賀県。あー、県ってまだ無いんだっけ?あーややこし!社会の授業聞いとくんだったー!」
長秀は違和感を覚える。
娘が挙げる地名も、出てくる単語も心当たりが無い。
南蛮の言葉を並べている様子でもない。
少女は本気で混乱していた。
その反応を見て長秀の背筋に寒気が走る。
嘘をつく者の顔ではない。
本当に驚いている。
まるでこちらが常識外れであるかのように。
異国人か。
妖術使いか。
あるいは本当に別の何かか。
分からない。
分からないことが恐ろしかった。
だが恐怖を顔に出すことは許されない。
家臣たちが見ている。
兵たちが見ている。
城主が得体の知れぬ娘に怯えれば、それだけで城の秩序は揺らぐ。
長秀は立ち上がった。
「沢渡ククリ。」
「なに?」
「お前は正体不明だ。」
「うん。」
「兵を傷つけた。」
「死んでないよ。」
「問題はそこではない。」
刀を抜く。
周囲が静まり返った。
長秀自身も理解していた。
これは処断ではない。
試しだ。
目の前の存在がどれほど危険なのか。
知らねばならない。
踏み込む。
戦場で幾度も敵を討った一撃。
だが。
木人が動いた。
あまりにも自然だった。
最初からそこにいたように割り込む。
刀は掌で受け止められた。
鋼が木へ食い込む。
だが、それ以上進まない。
長秀は力を込める。
動かない。
岩を斬ろうとしているようだった。
次の瞬間。
木人が軽く腕を振る。
それだけで刀が逸らされた。
長秀は一歩退く。
家臣たちがざわめいた。
長秀自身も理解した。
勝てない。
少なくともこの場では。
戦場で感じる死の気配。
それに近いものが胸を過った。
だが長秀は刀を納める。
「なるほど。」
それだけ言った。
少女は首を傾げる。
「終わり?」
「終わりだ。」
「良かった。」
「怒らぬのか。」
少女は不思議そうな顔をした。
「なんで?」
「今、お主を斬ろうとした。」
「そりゃするでしょ。」
あっさりした返答だった。
「知らない奴が自分ちに押し入ったんだし。正当防衛?」
まるで当然のことのように言う。
十三歳の娘らしくない。
だが悪意も感じない。
長秀は改めて厄介な相手だと思った。
「それで。」
長秀は腰を下ろす。
「何を聞きたい。」
ククリは真面目な顔になった。
「今、何年?」
「元亀二年。」
「げんき?」
「元亀二年だ。」
少女はしばらく考え込む。
「それって西暦だと何年?」
「せいれきとは何だ。」
沈黙。
少女は頭を抱えた。
「いや当時の年号なんて知らんよマジで……あっ、そうだ。」
そして何かを思い付いたように顔を上げる。
「信長って知ってる?」
空気が変わった。
家臣たちの視線が少女へ集まる。
長秀は目を細めた。
「信長様、織田上総介様は我が主君である。」
「おー!マジ!?あんた信長の部下なの!?」
「一体何者なのだお主は……?」
次は長秀が頭を抱える。
一つだけ確かなことがある。
この少女は狂人ではない。
もっと厄介だ。
自分たちとは根本から違う世界の理屈で生きている。
長秀は静かに息を吐いた。
「沢渡ククリ。」
「なに?」
「しばらくは城に泊まれ。」
「お。」
「部屋を与える。」
「やった。」
「ただし監視は付ける。」
「まあいいよ。」
長秀は頷いた。
まずは観察だ。
情報を集める。
正体を探る。
敵に回すには危険すぎる。
だが無条件に受け入れるには異質すぎる。
十三歳の娘一人に、これほど頭を悩まされる日が来るとは思わなかった。
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佐和山城に身を寄せた謎の少女・沢渡ククリ。奇妙な言動に周囲は戸惑いながらも、長秀は彼女の正体を探ろうと問いかける。しかし返ってくるのは聞き慣れぬ言葉ばかり。「魔法少女」「未来人」――理解を超えた存在を前に、長秀の苦悩は深まっていく。
次回「まほうしょうじょ」
異質な少女との対話が始まる。
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