序章 佐和山の人形師
「春というものは良いものですな。」
佐和山城下には柔らかな陽光が降り注いでいた。
道端では子どもたちが駆け回り、商人は客を呼び込み、店先には山菜や川魚が並ぶ。
戦乱の世とは思えぬ穏やかな昼であった。
丹羽五郎左衛門長秀は供の兵を従え、町の様子を見て歩く。
「民に笑顔があるうちは、この城も安泰というものよ。」
「今年は米の出来も悪くなさそうにございます。」
「うむ。戦は武士がするもの。民まで疲弊させては国は立ちゆかぬ。」
その時だった。
「長秀様!」
一人の兵が駆け込んでくる。
「町で騒ぎにございます!」
「何事だ。」
「また……あのお方が。」
長秀は思わず苦笑した。
「参るぞ。」
◆
茶屋の前には人だかりができていた。
町人たちは遠巻きに様子を眺めながらも、不思議と怯えた様子はない。
輪の中心には刀を差した浪人が数人。
そして、その前へ立つ小柄な少女。
歳は十三ほど。
黒髪を横で束ね、珍しい仕立ての白い上衣と黒い袴を身につけている。
どこか異国のようでもあり、どこにも属さぬようでもある、不思議な装い。
沢渡ククリ。
今では佐和山で知らぬ者のない少女だった。
何者なのか。
長秀にも未だ説明はできない。
ただ一つ言えるのは、この少女は人智を超えた術を操るということだけだった。
「だからよ。」
浪人が茶屋を指差す。
「団子を一串食ったくらいで、銭を取るとは世知辛ぇ店だな。」
茶屋の娘は頬を押さえていた。
赤く腫れている。
断ったところを打たれたのだろう。
ククリが娘をかばうように前へ出た。
「女の人殴るとか最低。」
「なんだと。」
「金も払わないで食い逃げして、文句まで言うとか恥ずかしくない?」
町人たちからも小さく声が上がる。
「そうだそうだ。」
「トメさんは何も悪くねぇ。」
浪人の一人が柄へ手を掛けた。
「ガキが。後悔させてやる!」
その時。
「待て。」
低い声が響いた。
人垣が左右へ開く。
長秀がゆっくり歩み出る。
浪人が睨みつける。
「何だてめぇ。」
「この小娘の身内か。」
「無礼者!」
供の兵が一歩踏み出す。
「こちらは織田上総介信長様が家臣、近江は佐和山城主、丹羽五郎左衛門長秀様であるぞ!」
浪人たちの顔色が変わる。
「ぐっ……大名だと……!」
「の、信長……」
長秀は静かに浪人たちを見据えた。
「儂に刀を向けるということは。信長様へ刀を向けるということだ。」
「その覚悟があるなら、好きにいたせ。」
誰も刀を抜けない。
浪人は舌打ちし、柄から手を離した。
「……ちっ。」
踵を返す。
これで終わった。
(やれやれ、騒ぎが大きくなる前に止められて幸いよ。)
そう思った矢先だった。
「おい。」
ククリが浪人たちを呼び止める。
「まだトメさんに謝ってないだろ。」
浪人は振り返る。
「黙れ、小娘。」
「人を怪我させといて。」
ククリは肩を鳴らした。
「偉い人が来たから逃げます、はい終わりってのはさぁ。」
乾いた音が響く。
パン、と。
ククリが両手を打ち鳴らす。
その瞬間だった。
浪人たちの足元の土が、ぶるりと震えた。
「あ?」
「……なんだ?」
土が盛り上がる。
地中から泥まみれの手が一本。
いや、二本、三本。
無数の腕が這い出る。
その腕は浪人たちの足首をがっしりと掴んだ。
「うわっ!」
「ヒィッ!?」
さらに土が割れる。
肩が現れ、
胴がせり上がり、
頭が形を成す。
土塊だったものが、みるみる人の姿へ変わっていく。
湿った土が軋み合い、関節がねじれるように動き、最後には人ひとりほどの土人形が地中から這い上がった。
一体。
二体。
三体。
十体近い土人形が、浪人たちを取り囲む。
どれも目も口もない土の顔で、ただ命じられるままに立っていた。
ククリが指を鳴らす。
小気味良い音が鳴り、
「ちょっと虫が良すぎるんじゃないかなァ!」
土人形が一斉に動いた。
逃げようとする浪人の足を掴み、
持ち上げ、
地面へ叩きつける。
別の一体は背中へ飛びつき、
さらに別の一体が拳を振り下ろした。
「ぎゃあっ!」
「た、助け──!」
町人たちから歓声が上がる。
「いいぞククリー!」
「やっちまえ!」
「娘さんの分も頼むぞ!」
誰も驚いてはいなかった。
この町では、この不思議な術もすでに見慣れた光景となっていた。
長秀は肩をすくめる。
(やはりこうなったか……)
「ククリ。程々にせよ。」
「分かってるって!おっ、逃がすかこの野郎!」
そう返事をした次の瞬間、
逃げ出した浪人へ土人形が飛びかかる。
長秀は思わず苦笑した。
──まったく。
この少女は、初めて会った時から何一つ変わっておらぬ。
そう思うと、自然と記憶は数か月前へ遡っていく。
沢渡ククリという少女との、最初の出会いである。




