第18話 お仕事ですよククリさん
翌日。
岐阜城。
金華山を登りながら、丹羽長秀は思わず空を見上げた。
昨日の出来事を思い返しても未だに頭が追いつかない。
未来人。
異能。
魔法少女。
撃鉄教。
協会。
どれも常識外れだ。
だがもっと困るのは、それらが確かに存在しているという事実だった。
長秀はため息をつく。
戦であれば分かる。
政であれば分かる。
だがあの少女たちは、理解できぬまま理解せねばならぬ類の存在だった。
城へ入り、広間へ向かう。
そこで長秀は思わず足を止めた。
信長が笑っていた。
しかも上機嫌である。
問題はその理由だった。
「はははは!よいぞククリ!もう少し右だ!」
「へいへーい。」
広間の中央。
信長は椅子に座っている。
いや。
正確には椅子ではない。
人形だった。
木製の人形が四体。
それぞれが肩を組み合うようにして台座を作り、その上に信長が胡座をかいている。
さらに人形たちは器用に歩いていた。
信長を乗せたまま。
まるで輿だ。
「どうですかぁノブ様。乗り心地。」
「悪くない!馬より遅いが城の中では快適よ!」
「だろー?」
ククリは得意げだった。
長秀は思わず目を閉じた。
何をしておるのだこの方は。
信長が長秀に気付く。
「おお五郎左!」
「はっ。」
「見よ。」
信長は満面の笑みを浮かべた。
「歩く椅子だ。」
「見れば分かります。」
「便利だぞ。」
「まぁ……そのようですな。」
信長は楽しそうだった。
その姿を見ていると昨日の重苦しい話が嘘のようである。
ふと外を見る。
庭では柴田勝家が座っていた。
その前には天音とエリ。
野点の席が設けられている。
勝家が何やら説明し、二人が真剣に聞いていた。
天音はともかく。
エリまで真面目に聞いているのが少し意外だった。
「そうではない。」
勝家の声が聞こえる。
「茶を立てる事そのものではなく、相手をもてなす心が肝要なのだ。」
「へぇ。」
エリが頷く。
「なるほど。」
天音も感心した様子だった。
「ならば形式より相手への気遣いを優先するべきなのですね。」
「そうだ。」
勝家は満足そうに頷いた。
長秀は少々驚く。
昨日まで異国の怪異のように思えた少女たちが、こうして茶の作法を学んでいる。
奇妙な光景だった。
だが悪くはない。
少なくとも争っているよりは遥かに良い。
信長も同じ事を考えたのか、小さく笑った。
「権六も存外世話好きよな。」
「年長者ですのでな。」
長秀も頷く。
「案外あの二人も素直です。」
「天音は頭が良い。」
信長は言った。
「エリは見ておる。」
「見ておる?」
「うむ。あれは他人をよく見ておる。」
長秀も納得した。
確かに昨日の会話でもそうだった。
ククリは考える前に動く。
天音は考え過ぎる。
エリはまず観察する。
三人とも全く違う。
だからこそ妙な均衡が取れているのかもしれなかった。
やがて茶会もひと段落する。
勝家が席を立ち、天音たちもこちらへ戻ってきた。
信長は待っていたように手を叩く。
「さて。」
その目が楽しげに細められる。
「昨日は途中になったな。」
天音が嫌そうな顔をした。
「今日は私はあんまり喋りたくありませんけど。喉を傷めかねませんので。」
「構わぬ構わぬ、今日は協会とやらの話を聞きたいのでな。」
「え?それってもしかして私に言ってる?……あ、言ってます?」
ククリが嫌そうに聞く。
その言葉に広間が少し和む。
長秀も思わず苦笑した。
だがその時だった。
廊下から足音が響く。
速い。
ただならぬ速さだった。
次の瞬間。
一人の伝令が飛び込んでくる。
息を切らし、膝をつく。
「申し上げます!」
その声だけで長秀は悟った。
良い報せではない。
広間の空気が変わる。
先ほどまで笑っていた信長の表情が消えた。
ただ一瞬で。
戦場の織田信長の顔になる。
「申せ。」
低い声。
長秀は無意識に背筋を伸ばす。
何かが起きた。
その予感だけは確かだった。
伝令が平伏したまま口を開く。
「申し上げます。明智十兵衛殿より急使にございます。比叡山との談判、再三にわたり降伏と引き渡しを求めども、山門衆なお応ぜず。これ以上の交渉、叶う見込み薄しとの由。今後の御指図を賜りたく。」
明智光秀。
織田家中では十兵衛の名で知られる武将である。
元は美濃の土岐氏に連なる家柄とも言われ、諸国を流浪した後に信長へ仕えた。
学問に通じ、朝廷や寺社との折衝にも明るい。
武辺一辺倒の者が少なくない織田家において、文と武を兼ね備えた数少ない人物。
長秀もまた彼を高く評価している。
理を解する男だ。
無論、癖はある。
時折考えすぎるきらいもある。
だが少なくとも軽々しく物事を判断する人間ではない。
その光秀が「これ以上は無理」と言うのであれば、本当に手立ては尽きたのだろう。
部屋の空気が変わった。
先ほどまで笑っていた信長の顔から表情が消える。
静かだった。
だが長秀は知っている。
この顔の時が最も危険だ。
信長はゆっくり立ち上がった。
窓の向こう。
遠く南西を見やる。
そこには比叡山がある。
幾度も警告した。
幾度も使者を送った。
それでも山門は変わらない。
信長は短く言った。
「権六。」
勝家が顔を上げる。
「はっ。」
「仕度をせよ。」
声に迷いは無い。
「比叡山へ向かう。」
その瞬間。
長秀と勝家が顔を見合わせた。
来た。
最悪の決断である。
「お待ち下され。」
勝家が珍しく即座に異を唱えた。
「比叡山は天下第一の霊場。武力を向ければ諸国の反発を招きましょう。」
「左様にございます。」
長秀も続く。
「朝倉、浅井のみならず、一向宗や各地の寺社勢力まで敵に回す恐れがあります。」
信長は振り返らない。
黙って聞いている。
だからこそ長秀は続けた。
「今しばらく交渉を――」
「五郎左。」
信長が遮った。
その声は妙に静かだった。
「では聞こう。」
振り返る。
その目は冷たい。
「比叡山を放置して何が起こる。」
長秀が口を閉ざす。
信長は続ける。
「浅井を匿う。朝倉を匿う。儂に敵する者を匿う。それでいて山門の名を盾に攻められぬと思うておる。」
一歩。
信長が歩く。
「今見逃せばどうなる。次もやる。その次もやる。」
信長の声は徐々に熱を帯びていく。
「そして諸国の寺社は学ぶ。織田信長は寺社を攻めぬと。」
「敵を匿おうが。兵を出そうが。謀を巡らそうが。経を唱えておれば許されると。」
勝家が眉をひそめる。
だが反論できない。
信長は続けた。
「権六。」
「は。」
「儂が比叡山を恐れて退けば何が起こる。」
勝家は答えられなかった。
信長自身が答える。
「天下の諸侯が儂を侮る。寺社が儂を侮る。敵が増える。」
長秀は黙った。
確かにその通りだった。
比叡山への攻撃には大きな代償がある。
しかし放置にもまた代償がある。
しかもそれは今後何年も続く。
信長は言った。
「儂は坊主を憎んでおるのではない。敵を匿う者を討つ。それだけよ。」
部屋に沈黙が落ちた。
勝家も。
長秀も。
反論できなかった。
論としては通っている。
だからこそ厄介だった。
信長は再び伝令へ向く。
「光秀に伝えよ。軍を動かす。」
その時だった。
今まで黙っていた天音が口を開いた。
「なるほど。」
全員の視線が向く。
天音は静かに茶碗を置く。
そして信長を見る。
「つまり信長様は。」
少し考える。
言葉を選ぶ。
「比叡山を焼きたいのではなく。見せしめにしたいのですね。」
部屋の空気が再び変わった。
信長が視線を向ける。
「天音よ、何が言いたい。」
その目は鋭い。
だが天音は怯まなかった。
むしろ少しだけ考えるように言葉を続ける。
「では一つ聞かせて下さい。」
「ほう。」
「罪のない女子供も殺すのですか。」
ゾッと。空気が冷える。
勝家が眉をひそめる。
長秀も思わず天音を見る。
ずいぶん踏み込む。
会ったばかりの相手に向ける言葉ではない。
だが当の天音は真顔だった。
信長はしばらく彼女を見ていた。
そして。
「未来の儂はそうしたと?」
天音が肩を竦める。
「それは秘密です。」
「都合が良いな。」
「未来人の特権です。」
どちらも笑わない。
だが不思議と険悪でもなかった。
信長は腕を組む。
天音も視線を逸らさない。
やがて天音が再び口を開いた。
「これは純粋な疑問ですが。」
「申せ。」
「信長様は罪もない子らを殺したいとお思いですか。」
静寂。
誰も口を挟まない。
「避けられる手段があるなら避けたいですか。」
長秀は信長を見た。
答えは分かっている。
信長は残忍と言われることもある。
だが少なくとも、殺戮そのものを楽しむ男ではない。
信長はゆっくり答えた。
「当然の事を申すな。何を言いたいのだ。」
天音は小さく息を吐く。
そして。
ようやく口元に笑みを浮かべた。
「だ、そうですよ。」
全員の視線が動く。
天音の視線の先。
そこには。
先ほどから畳の上に寝転がっていたククリがいた。
「ククリさん。」
「んあ?」
寝ぼけたような返事だった。
エリと二人そろって寝ころび天井を見ていたククリがようやく顔を上げる。
信長。
勝家。
長秀。
天音。
エリ。
全員の視線が集まる中。
本人だけが状況を理解していない顔をしていた。
ククリが身体を起こす。
寝癖のついた頭を掻きながら周囲を見回した。
「なんだよ。」
天音は頷いた。
「先ほどから比叡山を焼く焼かないという話をしていましたが、どうせ理解していないでしょう。」
「してない。」
即答だった。
長秀は頭を抱えたくなった。
天音は慣れた様子で説明を始める。
「ではククリさんにも分かるように言います。」
「うむ。」
「まず比叡山というのは、大きなお寺です。」
「ほう。」
「そして今、そのお寺が信長様の敵と仲良くしています。」
「敵。なんかさっき言ってたあざいとかあさくら?」
「そうです。意外と聞いてましたね?」
「ふふん。」
ククリは意外と真面目に聞いていた。
天音は続ける。
「例えばですよ。ククリさんが誰かと喧嘩しているとします。」
「うん。」
「その相手が毎回同じ家に逃げ込みます。」
「うん。」
「で、その家の人は毎回匿います。」
「うん。」
「さらにその家から石を投げてきます。」
「は?」
ククリの顔が険しくなる。
「ムカつくな。」
「ですよね。」
天音は頷く。
「でもその家は町中から『良い人の家だから壊しちゃ駄目』と言われています。」
「えぇ。」
「だから信長様は困っています。」
ククリは考え込む。
「つまり。敵を匿ってる奴らをどうにかしたい。」
「その通りです。」
「じゃあ潰せば良いじゃん。」
天音はため息をつく。
「だからそう簡単ではないんです。」
「なんで?」
「その家には悪い人だけじゃなくて普通の人も住んでるからです。」
ククリが黙る。
「お坊さん。子供。家族。別に戦ってない人もいる。」
「なるほど。」
「だから潰すと信長様は助かるが、関係ない人も死ぬ。」
「ふーん。」
ククリは腕を組む。
天音はさらに続けた。
「逆に放置すると敵が助かる。他の寺も真似する。だから信長様も困ってる。」
ククリはしばらく考えていた。
本当に考えていた。
その様子に長秀は少し驚く。
普段は何も考えていないように見えるが、理解しようとはしているらしい。
やがてククリが口を開く。
「つまり。」
「はい。」
「悪い奴は捕まえたい。」
「はい。」
「でも関係ない奴は死なせたくない。」
「そうです。」
天音は信長を見る。
「少なくとも私はそう解釈しました。」
信長は否定しない。
それだけで十分だった。
「私には答えがありません。」
天音は肩を竦める。
「政治も。宗教も。軍事も。全部面倒です。」
そう言って。
ククリを指差した。
「ですが。この部屋にはその全部を考えなくても解決できそうな人がいる。」
全員の視線が集まる。
ククリはぽかんとしていた。
天音は続ける。
「信長様は女子供を殺したいわけではない。」
「避けられるなら避けたい。」
「でも方法が無いから困っている。」
そして。
にやりと笑った。
「だ、そうですよ。人形師殿。」
ククリは数秒考えた。
一秒。
二秒。
三秒。
「あー。」
ようやく理解した顔になる。
全員が次の言葉を待つ。
ククリは当然のように言った。
「つまり比叡山をボコれば良いの?」
部屋が静まり返る。
ククリはさらに続けた。
「私なら出来るぞ。誰も殺さず、全員まとめてシバいてやる。」
今度は信長の方が黙り込んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
比叡山焼き討ち。その歴史を変えるため、沢渡ククリが動き出す。誰も殺さず、寺も焼かず、比叡山の制圧を開始する。槍も矢も通じない軍勢。戦国の常識ではあり得ない戦が始まる。
次回「比叡山焼き討ちキャンセル」
数でゴリ押し。それが人形師の仕事。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




