第15話 徳川家康と龍の卵
三河を治める徳川家康は、近年その居城を岡崎から遠江・浜松城へ移していた。
武田との戦いを見据えた前線の城であり、まだ築かれて間もないその城では、日々城郭の普請や城下町の整備が続けられている。
春の陽が障子越しに差し込む。
浜松城の一室には、奇妙なものが据えられていた。
卵、である。
高さは三尺《1メートル》ほど。
大人が両腕で抱えてなお余るほどの大きな卵である。
白とも灰ともつかぬ殻には、ところどころ橙色の筋が浮かび上がり、近づけば、どくん、どくん、と確かな脈動まで伝わってくる。
徳川家康は腕を組み、その卵を見下ろしていた。
「さて。」
周りの家臣も、興味深げに覗き込む。
「何であろうな、これは。」
家臣たちも卵を囲み、口々に言う。
「これほどの大きさなら蛇ではありますまい。」
「鳥にしても大きすぎます。」
「南蛮には、このような獣がおるのでしょうか。」
「海の化け物では。」
「いや、亀ではありますまいか。」
議論は尽きない。
しかし誰一人として答えは持っていなかった。
何より、この卵は三日前、夜が明けると家康の屋敷の庭に忽然と現れていたのである。
持ち上げようにも、大人数人がかりでようやく動かせるほど重い。
割ろうという意見も出たが、中で生き物が動いている以上、それも憚られた。
家康は卵へ近づき、軽く殻へ触れる。
どくん。
また脈打った。
「おそらく、もう間もなくであろうな。」
「はっ。そのようですな。」
「……もしや。」
家康は少し笑う。
「龍の卵ではあるまいな。」
部屋の空気が少しだけ和らぐ。
「はは、孵った暁には殿は龍の親ということになりますな。」
「いやいや、将来の天下人となる殿にふさわしき肩書ではないか?」
家康も苦く笑った。
「ふっ、まさかな。」
その時だった。
──ぴし。
静かな音が響く。
全員の視線が卵へ集まる。
「……。」
殻に一本の亀裂が走っていた。
「割れるぞ!」
家臣が叫ぶ。
ぴし、ぴし、ぴしっ。
次々に亀裂が広がり、
やがて。
ぱきん。
殻の上半分が内側から押し開かれた。
湯気のような白い息が立ち上る。
その中から、小さな手が伸びる。
続いて、もう片方の手。
そしてゆっくりと、一人の赤子が姿を現した。
「……馬鹿な……!?」
誰かが呟く。
確かに人の子であった。
丸い頬。
小さな指。
産まれたばかりとは思えぬほど整った顔立ち。
しかし。
肩。
腕。
頬。
首筋。
身体のあちこちには、夕日に照らされたような橙色の鱗が細かく生えていた。
「な……。」
「物の怪、物の怪であるぞ……!」
「なんと奇怪な……」
誰も言葉を続けられない。
赤子は静かに目を閉じたまま、小さく息をしている。
やがて。
ゆっくりと瞼が開いた。
澄んだ瞳が辺りを見回す。
家臣たちは思わず身構えた。
その視線が。
まっすぐ家康を捉える。
しばらく見つめ合う。
そして。
赤子は、ふわりと笑った。
親を見つけた雛のように。
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異変はついに越後・上杉家へも及ぶ。春日山城に現れた一人の少女は、奇怪な力だけでなく、その常識そのものが周囲の理解を超えていた。戦も政も数々の修羅場も乗り越えてきた上杉謙信と重臣たちだったが、目の前の少女だけは何一つ予測できない。戦国の名将たちを、かつてない困惑が包み込む。
次回「上杉謙信と血抜き少女」
その少女は、誰よりも自分を傷つけていた。
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