第3話 金木犀のうそ
文化祭当日。
劇は、山崎の機転とアドリブもあって、拍手喝采の大成功。
クラス中が歓喜に沸く中、舞台の隅で「街の人A」を演じた今井の心は、どんよりと冷え切っていた。
スポットライトの中で笑い合う山崎となつみが、二人の世界がいかに完璧で、自分がいかに不釣り合いかをまざまざと見せつけていた。
祭りの熱も冷めやらぬ、翌日の放課後。
山崎は拍子抜けするほどあっけらかんと言った。
「あー、ダメだった。完敗だよ」
「え……なにが?」
「なっちゃんに告ったけどさ、速攻で振られたわ。『好きな人がいるの?』って聞いたら、困った顔して黙り込まれちゃって。ありゃ、オレの入る隙なんて一ミリもねーな」
「振られたのか? お前が?」
「そうだよ。見事に玉砕」
今井は心臓が口から飛び出しそうになった。「なっちゃん」という呼び方に引っかかったが、それよりも――
「だからさ、今井。次はお前の番だろ。いつまで逃げてんだよ。どうせダメモトなんだしさ、バシッと決めろよ!」
山崎の言葉は、冷え切っていた今井の心に火を灯した。
二人が付き合っているというのは、自分の妄想に過ぎなかったのだ。
もしかすると、山崎ですら届かなかった場所に、自分が届くかもしれない。
なつみの周囲をぎこちなく往復し、何度も呼びかけるタイミングを逃して、ようやく覚悟を決めた。
「早川さん、ちょっと……いいかな」
放課後の喧騒の中、今井は人生で一番の勇気を振り絞って彼女を誘った。
連れてきたのは、駅の近くにある小さな公園だった。
そこには見事な金木犀の生垣があり、今が盛りとばかりにオレンジ色の小花を咲かせている。
甘い香りが、今井の緊張をさらに高めた。
「早川さん。俺……君のことが、好きだ。もしよかったら、俺と、つきやっ……付き合って、ください」
昨夜から何度も練習したはずのセリフは、まるで教科書を朗読するようなひどい棒読みだった。
顔から火が出そうだったが、これが今の自分の精一杯。
心臓の音だけが、耳の奥でやけにうるさく鳴り響いている。
しかし、返ってきたのは、期待していた沈黙ではなかった。
なつみはひどく狼狽し、今にも泣き出しそうな顔で首を横に振った。
「……ごめんなさい」
「え……?」
今井は思わず聞き返す。
なつみは唇を噛みしめ、何かを言おうとして――きつく目を閉じた。
「……付き合えないの。わたしには、そんな資格ないから……」
「資格って?」
「ごめんなさい、言えないの……本当にごめんなさい」
かすれた声。
それ以上は、どうしても言葉にならないというように、彼女はただ首を振り続けた。
今井の胸の奥で、何かがざらりと音を立てた。
(……理由、言わないんだ。資格がないって……心の中に、他の誰かがいるってことじゃん)
戸惑うように揺れた大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「……ごめん。困らせるつもりじゃなかったんだ」
それだけを絞り出し、今井は彼女を一人残して背を向けた。
「終わったな……」
夕闇が迫る中、一人ブランコに揺られながら、今井は漂ってくる金木犀の香りに、胸が押しつぶされるほどの息苦しさを感じていた。
公園での告白から数日。
放課後、教室を出た今井は、階段の踊り場で話し込む二人の声を聞いた。
「……ごめんね、山崎さん。わたし、どうしたらいいかわからなくて……」
「いいって。気にすんな。とりあえず放課後、ゆっくり話聞くからさ」
山崎の、いつになく優しく、落ち着いた声。
(……俺の告白を断ったこと、相談でもしてるのか? 結局、山崎に頼ってるじゃん……)
本当の理由すら教えてもらえなかった惨めさと、縋られている山崎への嫉妬が、毒のように全身へ回っていくのを感じた。
その日の夕刻だった。
本屋に立ち寄った帰り、駐輪場で今井は見てしまった。
街灯の下で、山崎となつみが向かい合っている。
なつみは何度も言葉を飲み込み、そのたびに首を横に振っている。
山崎は、なつみの言葉を遮るように、何かを言った。
やがて――
山崎が、そっとなつみの肩に手を置いた。
なつみは力が抜けるようにその場に立ち尽くし、そして、ゆっくりと顔を伏せた。
「……なんだよ、それ」
頭の奥で、何かが弾けた。
「そういうことかよ……俺には言えない理由も、あいつには全部話せるんだ……結局、最初から山崎だったんじゃねえか」
山崎が去り、一人になったなつみを見て、気づけば今井の足は勝手に動いていた。
止めようとしても、止められなかった。
「早川さん」
なつみが、弾かれたように振り向いた。大きな瞳が、今井をまっすぐ捉える。
「今井さん……?」
「……山崎と付き合ってるんだろ」
問いではなかった。
「えっ……ち、違う」
唇が震える。声が、形を持てないまま消える。
「俺のこと嫌いならそれでもいいよ。だけど――本当の理由も言わないで、裏では山崎に頼ってて……」
言葉が喉を焼いた。吐き出すたびに、自分が惨めになる。
「結局、俺って何だったんだよ!」
長い沈黙。そして、なつみの顔が、みるみる歪んだ。
「――どうすればいいのよっ!わたしのこと、何にもわかってないくせにっ!」
叫びは途中で砕けた。
なつみはその場に膝から崩れ落ち、両手で顔を覆った。
肩が細かく震え、指の隙間から涙がひと粒、またひと粒と床に落ちていく。
今井は、動けなかった。
さっきまで自分が立っていた場所が、急に遠くなる。
(――違う)
言い返せない相手を、追い詰めていた。
取り返しのつかない感覚だけが、遅れて込み上げてくる。
足が一歩も出ない。
それでも次の瞬間、今井は踵を返していた。
逃げるように自転車に飛び乗る。
ペダルを踏み込む足に、力が入らない。
それでも、無理やり回した。
後ろは、振り返らなかった。
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次回、第4章は明日の8時に公開予定です。引き続きよろしくお願いいたします。




