表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第3話 金木犀のうそ

 文化祭当日。


 劇は、山崎の機転とアドリブもあって、拍手喝采の大成功。

 クラス中が歓喜に沸く中、舞台の隅で「街の人A」を演じた今井の心は、どんよりと冷え切っていた。


 スポットライトの中で笑い合う山崎となつみが、二人の世界がいかに完璧で、自分がいかに不釣り合いかをまざまざと見せつけていた。


 祭りの熱も冷めやらぬ、翌日の放課後。

 山崎は拍子抜けするほどあっけらかんと言った。


「あー、ダメだった。完敗だよ」

「え……なにが?」


「なっちゃんに告ったけどさ、速攻で振られたわ。『好きな人がいるの?』って聞いたら、困った顔して黙り込まれちゃって。ありゃ、オレの入る隙なんて一ミリもねーな」


「振られたのか? お前が?」

「そうだよ。見事に玉砕」


 今井は心臓が口から飛び出しそうになった。「なっちゃん」という呼び方に引っかかったが、それよりも――


「だからさ、今井。次はお前の番だろ。いつまで逃げてんだよ。どうせダメモトなんだしさ、バシッと決めろよ!」


 山崎の言葉は、冷え切っていた今井の心に火を灯した。

 二人が付き合っているというのは、自分の妄想に過ぎなかったのだ。

 もしかすると、山崎ですら届かなかった場所に、自分が届くかもしれない。


 なつみの周囲をぎこちなく往復し、何度も呼びかけるタイミングを逃して、ようやく覚悟を決めた。


「早川さん、ちょっと……いいかな」


 放課後の喧騒の中、今井は人生で一番の勇気を振り絞って彼女を誘った。

 連れてきたのは、駅の近くにある小さな公園だった。

 そこには見事な金木犀の生垣があり、今が盛りとばかりにオレンジ色の小花を咲かせている。

 甘い香りが、今井の緊張をさらに高めた。


「早川さん。俺……君のことが、好きだ。もしよかったら、俺と、つきやっ……付き合って、ください」


 昨夜から何度も練習したはずのセリフは、まるで教科書を朗読するようなひどい棒読みだった。

 顔から火が出そうだったが、これが今の自分の精一杯。

 心臓の音だけが、耳の奥でやけにうるさく鳴り響いている。

 しかし、返ってきたのは、期待していた沈黙ではなかった。


 なつみはひどく狼狽し、今にも泣き出しそうな顔で首を横に振った。

「……ごめんなさい」

「え……?」

 今井は思わず聞き返す。


 なつみは唇を噛みしめ、何かを言おうとして――きつく目を閉じた。

「……付き合えないの。わたしには、そんな資格ないから……」

「資格って?」

「ごめんなさい、言えないの……本当にごめんなさい」


 かすれた声。


 それ以上は、どうしても言葉にならないというように、彼女はただ首を振り続けた。

 今井の胸の奥で、何かがざらりと音を立てた。


(……理由、言わないんだ。資格がないって……心の中に、他の誰かがいるってことじゃん)


 戸惑うように揺れた大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちる。


「……ごめん。困らせるつもりじゃなかったんだ」


 それだけを絞り出し、今井は彼女を一人残して背を向けた。


「終わったな……」

 夕闇が迫る中、一人ブランコに揺られながら、今井は漂ってくる金木犀の香りに、胸が押しつぶされるほどの息苦しさを感じていた。



 公園での告白から数日。

 放課後、教室を出た今井は、階段の踊り場で話し込む二人の声を聞いた。


「……ごめんね、山崎さん。わたし、どうしたらいいかわからなくて……」

「いいって。気にすんな。とりあえず放課後、ゆっくり話聞くからさ」


 山崎の、いつになく優しく、落ち着いた声。

(……俺の告白を断ったこと、相談でもしてるのか?  結局、山崎に頼ってるじゃん……)

 本当の理由すら教えてもらえなかった惨めさと、縋られている山崎への嫉妬が、毒のように全身へ回っていくのを感じた。


 その日の夕刻だった。

 本屋に立ち寄った帰り、駐輪場で今井は見てしまった。

 街灯の下で、山崎となつみが向かい合っている。

 なつみは何度も言葉を飲み込み、そのたびに首を横に振っている。


 山崎は、なつみの言葉を遮るように、何かを言った。

 やがて――

 山崎が、そっとなつみの肩に手を置いた。

 なつみは力が抜けるようにその場に立ち尽くし、そして、ゆっくりと顔を伏せた。


「……なんだよ、それ」


 頭の奥で、何かが弾けた。


「そういうことかよ……俺には言えない理由も、あいつには全部話せるんだ……結局、最初から山崎だったんじゃねえか」


 山崎が去り、一人になったなつみを見て、気づけば今井の足は勝手に動いていた。

 止めようとしても、止められなかった。


「早川さん」


 なつみが、弾かれたように振り向いた。大きな瞳が、今井をまっすぐ捉える。


「今井さん……?」

「……山崎と付き合ってるんだろ」


 問いではなかった。

「えっ……ち、違う」

 唇が震える。声が、形を持てないまま消える。


「俺のこと嫌いならそれでもいいよ。だけど――本当の理由も言わないで、裏では山崎に頼ってて……」

 言葉が喉を焼いた。吐き出すたびに、自分が惨めになる。

「結局、俺って何だったんだよ!」


 長い沈黙。そして、なつみの顔が、みるみる歪んだ。


「――どうすればいいのよっ!わたしのこと、何にもわかってないくせにっ!」

 叫びは途中で砕けた。


 なつみはその場に膝から崩れ落ち、両手で顔を覆った。

 肩が細かく震え、指の隙間から涙がひと粒、またひと粒と床に落ちていく。


 今井は、動けなかった。

 さっきまで自分が立っていた場所が、急に遠くなる。


(――違う)


 言い返せない相手を、追い詰めていた。

 取り返しのつかない感覚だけが、遅れて込み上げてくる。

 足が一歩も出ない。


 それでも次の瞬間、今井は踵を返していた。

 逃げるように自転車に飛び乗る。

 ペダルを踏み込む足に、力が入らない。

 それでも、無理やり回した。


 後ろは、振り返らなかった。



お読みいただきありがとうございます。

次回、第4章は明日の8時に公開予定です。引き続きよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ