Ⅲ(2)恋と呼ぶには
「彼女と出会ったのは十年以上前——私がまだ十五の頃でした。ちょうど次期社長として、父と一緒に取引先を回り始めた時期です」
言葉のはしばしから隠し切れない懐かしさをにじませながら、真込さんは語り始める。
「火口家をご存知ですか?」
そう問われて、千晶さんと蘇芳さんはこくりと頷いた。
「火の魔力をもつ家ですね」
「ええ、そうです。……火口家は特に、真込の家と関係が深いんですよ」
千晶さんと蘇芳さんは、じっと真込さんの次の言葉を待っている。
「真込家の魔力は、それだけでは大した意味を持ちません。別の魔力をもつ第三者がいてはじめて、その力を発揮します」
真込さんの言葉に、室内の空気が少しピリッとしたのがわかった。
「――例えば、この家の廊下にあった真込家製のランタン。あれにはね、火口家の魔力が込められているんですよ」
そう言って、一瞬だけ視線を伏せる真込さん。
「……!」
二人の緊迫加減から、それが真込家――いや、魔法使いの世界において、とても重大な秘密であることが見て取れた。
「その日は父と姉、そして私の姉の三人で、火口家を訪れました。姉の力で初めて自社の商品に火口家の力を宿らせる――いわば姉の『職人デビュー』の日です」
そこで真込さんがひとつ息をついた。
「そこで私は、彼女に――茜さんに出会ったんです」
「……!!」
千晶さんと蘇芳さんの間に走った緊張は、さきほどの比ではなかった。
「火口 茜さん――火口家の次期当主とお伺いしています。……いや、もう当主になられたんだったかな」
「……ええ、先日」
痛みをこらえるような表情を浮かべながら、真込さんは続けた。
「姉と茜さんによる共同作業――姉の初仕事は、成功しました。これで真込家の将来も安泰だと、父はとても喜んで――。でも、まさかこんなことになるなんて、思いもよらなかったでしょうね」
自嘲気味に言う真込さんと、硬い表情を浮かべた千晶さんと蘇芳さん。二人にはこの先彼らがどうなってしまうか、ある程度予測がついているのだろうか。
「僕は、ひと目で茜さんに惹かれた。そして茜さんも、僕のことを憎からず思ってくれた。――彼女の立場ゆえなかなか難しいことだったけれど、僕たちは『掟』を破り、人目を忍んで会うようになりました」
一人称が変わり、語調が少し強くなった。真込さんの瞳の奥からは、悲しみというより憤りに近い感情が垣間見える。
『掟』……。現代においては、少し時代錯誤にも思える言葉だ。
取引先の家の子供同士だから、なかなか恋人同士になれないというやつだろうか……。
そんな風に拙い空想を繰り広げる私を、ちらりと蘇芳さんが横目で見て、言った。
「――『魔力をもつ家の者同士は、決して結ばれてはならない』……だったか。破った者にはそれ相応の罰があると聞くけどな」
罰、という言葉がずしんと辺りの空気を沈みこませる。
蘇芳さんの言葉でようやく合点がいった。なるほど。魔法使いの家系の者同士は、どうやら恋愛自体が禁忌であるらしい。
「その後秘密裏に会っていたことが露見し、大問題になりました。しかし父は、真込家の力でそれを隠蔽し……僕たちは引き裂かれた」
ぎゅっと握りしめられた真込さんの拳は、僅かに震えていた。
「それからひと月も経たないうちのことです。私にも茜さんにも、魔力をもたない家柄から許嫁が選ばれ……そして彼女は当主になった。あっけない幕引きです」
そこまで言ってから、真込さんはふっと視線を上げた。
「『出会わなかった方がいいとは、思わない』――茜さんはそう言って笑ってくれました。それが彼女から僕個人に向けられた、最後の言葉だったんだと思います。……他人から見てみれば、恋と呼べるほど長いものでも、激しいものでもなかったかもしれません」
そう言いながら、真込さんが自分の言葉に傷ついているのがわかる。きっと、彼にとって――そして恐らく茜さんにとっても、これは恋に他ならなかったんだろう。
「来月、彼女の結婚式があります。真込家からは父が出席することになりましたが——家の体裁もあるのでしょう。贈り物をすることだけは許されました」
そこまで言ってから息をつく。すうっと吸って、吐いてを繰り返してから、真込さんは再び口を開いた。
「……愚かでしょう」
漏れ出た声はひどく掠れていた。
「――僕がこの贈り物に込める『想い』は、およそ祝いの席に似つかわしくない。――他の人と……結ばれる彼女に……せめてあの束の間の日々を忘れないで欲しい、だなんて……」
真込さんは、そんな自嘲の言葉で話を締めくくる。広間は耳が痛くなるような沈黙に満たされていた。
千晶さんも蘇芳さんも、何も言わない。肯定も否定もせずただ受けとめるというのは、多分二人に共通したスタンスなのだろう。
「――やはり貴方たちは、信頼に足る人物であるようです」
真込さんは、初めて二人が会った時と同じ感想を抱いたようだった。
「改めてお願いします。彼女への贈り物を、用立ててもらえませんか」
そう言って真込さんは再び頭を下げた。千晶さんと蘇芳さんが顔を見合わせ、こくりと頷く。
「……どうか、顔を上げて下さい」
千晶さんは優しく、まるで泣きじゃくる子供をなだめるような口調で言った。
「そのご依頼、承りました。――どうぞ、おまかせください」
柔らかいのに芯のある声だ。言葉どおりに、全てをまかせてしまいたくなる。
「準備がありますので、このままお待ち頂けますか?」
そう言って千晶さんと、それに続いて蘇芳さんが立ち上がった。
二人はデスク周りの書棚からいくつかの本を手に取り、私達のいるテーブルの上に置くと、足早に廊下の奥へと消えていく。
果たしてどこに向かったのかーー宝石花のある温室だろうか?
大きな広間に真込さんと二人になってしまった私は、内心冷や汗だらけだった。こういう時って何を話したらいいんだろう?
「……そういえば、お名前を聞いていませんでしたね」
焦ってあわてふためく私に、真込さんがそう話しかけてくれた。
「た、立花 リカといいます……!」
少しだけどもりながらも、なんとか自分の名前を名乗る。
「そうですか、立花の……」
真込さんはごく小さな声で私の苗字を復唱する。
「このお店で働いているんですか?」
落ち着いた真込さんの声は、なんだか耳に心地いい。聞かれていないことまでぺらぺら喋ってしまいそうだ。
「アルバイト、なんですけど……! 最近始めたばっかりで、まだあまり店のこともよくわかっていなくて……!」
半笑いのままそう話しながら、『それは言わなくてもいいだろ!』と自分にツッコミをいれる。
お客様相手だから、しっかりしなくちゃいけないのに……!
焦りが焦りを呼んで、頭の中はパニック状態だ。
しかし、目の前の真込さんは相も変わらず落ち着いている。
「あ、あの……っ!」
「もし、貴方が――」
しどろもどろになった私の言葉を遮るようにして、真込さんが切り出した。
意外だ、と思った瞬間に気付く。落ち着いているように見えた真込さんの瞳が、言葉にしきれない感情で絶えず揺らぎ、時には潤んでいることに。
「……もしも貴方が、大切なひとにもう会えないとなったら——どう思いますか? そのひとに……どうしてほしいですか?」
「!」
その問いかけは、まるで乾いた土が水を吸うように、私の中にすーっと染みわたっていった。
無意識に、胸元のスミレをぎゅっと握り込む。
そして湧き上がった想いを、悩みながら一語ずつ言葉にしていった。
「会えなくても――ずっとそのひとのことを想います。そして、できればそばで見守っていて欲しいと……そう、願います」
時折詰まりながらも、最後まできちんと伝えることができた。
「そう……ですか」
真込さんはふっと綻ぶような微笑みを浮かべる。
「すみません、変なことを聞きましたね」
はは、と笑う真込さん。そういえば笑顔らしい笑顔を初めて見た気がする。
「でも……ありがとう」
彼はそう言って短く息を吐いた。
告げられた言葉は、私の胸の奥にじんわりとあたたかい灯をともす。
――ありがとう、って言われたの……いつぶりだろう。
思い出すのはもちろん母さんのことだ。
どんな些細なことをした時だって、「ありがとう」って言ってくれたっけな。
いつもそれを聞くと胸がじんわり熱くなって、くすぐったいような、すごくいい気持ちがした。
――なんかいいな、こういうの……。
今もその時に似た、いい気持ちがする。私は口元をゆるませたまま、真込さんの方を見た。真込さんの口元もまた、同じように笑んでいる。
「お待たせしました」
そう言って、千晶さんと蘇芳さんが戻って来た。
白い手袋をはめた二人の手には、ベロア素材のジュエリートレイに、トランクのようなケースが二つ。
持ってきたものを机の上に置いて、千晶さんは言った。
「――それでは、始めましょうか」
合図のようなその言葉に、私は何が始まるのかまるでわからないまま、ただただこくりと頷いた。




