Ⅲ(1)まずはお茶でも
初出勤の日から三日経ったが、私の業務内容に大きな変化はみられなかった。
蘇芳さんは私を雇うと決めた時に『人手が足りない』と言っていたけれど……それは本当だったのだろうか?
棚の上の宝石花をトレイにのせながら、デスクに向かっている二人を盗み見る。
机いっぱいに本を広げている千晶さんに、パソコンとにらめっこしている蘇芳さん。
二人とも真剣そのものの表情だ。きっと何かに没頭しているのだろう。
しかし眼鏡をかけた蘇芳さんが、ふいっと視線をこちらに向けた。慌てて作業に戻ろうとすると、予想外の声をかけられる。
「茶の用意、頼めるか」
「へっ?」
びっくりしておかしな声が出てしまった。
二人はいつも自分で飲み物を準備しているようだったから、こういうことを依頼されたのは初めてだ。
「千晶」
蘇芳さんは傍らに視線をやりながら、千晶さんに呼びかける。
「うん、まかせて」
それに応えて、千晶さんがゆっくりと立ち上がった。
身構える私を安心させるように微笑んでから、ゆっくりと歩きだす。
「こっち、いいかな?」
「は、はい……!」
促す言葉に慌てて頷いて、千晶さんの後を追いかけた。
向かった先は、広間にあるこれまでに開けたことのない扉の前だ。どこにつながっているのか、以前から気になっていた。
「どうぞ」
千晶さんはそう言って、ひと足先に扉を開け、中に入る。
そこはこじんまりとした、簡易なキッチンのようだった。
しかしコンロがなく、電気ポットの類も見当たらない。
ここで本当にお茶を淹れるのかと疑問に思ったが、流し台の横にある戸棚には、あの日私の前にも置かれた花柄のティーセットがしまわれている。
「そっか。立花さん、ここは初めてか」
千晶さんはそう言ってくすりと笑う。
「なら、ちょっとびっくりするかもね」
流れるような仕草で、戸棚からティーポットと銀のスプーンを取り出した。
すると何を思ったのか、スプーンの先でティーポットのふたをチン、と叩く。
「さわってごらん」
千晶さんはそう言って悪戯っぽく笑った。
私は恐る恐る、ティーポットに向かって手を伸ばす。
そして、カップと揃いの花柄に触れた瞬間、驚きに目を見開いた。
「こ、これっ……!」
「あったかいでしょ?」
そう。さっき取り出したばかりで何もしていないはずのティーポットが、ほんのりとあたたかいのだ。人肌よりも少し高い温度だと思う。
「……ど、どういう仕組みなんですか……?」
恐る恐る聞いてみると、千晶さんが教えてくれた。
「魔法使いの家系に、真込家、って家があってね。そこの魔法使いが手掛けた品だよ」
説明しながら、千晶さんは戸棚から透明な容器を取り出す。中に入っているのは茶葉のようだ。
「使い手の『魔力の源泉』に反応してるから、一般の人にとってはただのポットなんだけどね。僕たちにはすごく便利で」
銀のスプーンでさらさらとポットに茶葉を入れると、今度はティーポットの取っ手をスプーンでチン、と叩く。
「――中を見てごらん?」
そう言われて、恐る恐るティーポットのふたを開けた。
「……!」
瞬間、ポットからふわっと湯気がたちのぼる。ついで、鼻先をくすぐるハーブの匂い。
「これっ……! お湯が……!」
「すごいよねぇ」
私にとっては「すごい」どころの騒ぎではないのだが、のほほんとした口調で言う千晶さんにとっては、まぎれもなくこれが日常なのだろう。
「――もしかして、この家の門とか、ランタンとかも……」
「うん。真込家のものだよ」
なるほど、これで合点がいった。
千晶さんの魔法でも蘇芳さんの魔法でも門を開けたりランタンをつけたりすることはできないはずだし、前々から不思議に思っていたのだ。
「今の当主さんがすごくやり手でね。通販なんかもやってて、僕たちもよく使ってるんだ」
そんな話を聞いているうちに、気づいたらおぼんの上にティーセットが一式用意されていた。
私なんにもしてないじゃん……と自分の役立たずぶりに少し落ち込んだけれど、このティーポットが魔法のアイテムならどのみち自分の出る幕はないはずだ。
「それじゃあ行こうか。“お客様”がお待ちだ」
千晶さんの唐突な声かけに、思わず耳を疑った。
「へっ?」
間抜けな声をあげた私に微笑みかけながら、千晶さんはティーセットを手にゆっくりと歩きだす。
手がふさがっている千晶さんのかわりに、慌ててドアを開けた。
すると広間のテーブル――私が千晶さんたちと出会った時にお茶をしたあのテーブルだ――を挟んで、蘇芳さんと……見知らぬ男性が一人、向かい合わせに座っている。
「いらっしゃいませ」
千晶さんのその一言で、一気に背筋が伸びた。
この人は――もしかして……!!
一礼した後、流れるような仕草で男性の前にカップを置く千晶さん。
「ようこそ、宝石花店アリーヴェデルチへ。店主の宝 千晶です」
千晶さんのその一言によって、私の『もしかして』が確信に変わった。
このひとは……私がここに勤めだしてから、初めてのお客様だ!
◆
アンティークのテーブルを挟んで、男性の向かいに千晶さん、その両脇に蘇芳さんと私が座っている。
「このたびは、時間を作って頂きありがとうございます」
そう言って男性は座ったまま一礼する。
皺の無いスーツ姿でネクタイを締めた姿はいかにも真面目そうだ。しゃんと伸びた背筋や所作のはしばしから、なんとなく育ちの良さのようなものが感じられる。
「私、真込 司郎と申します」
「!」
その名字はついさっき聞いたところだ。
真込さんは、私達一人ずつに、同じ仕草で名刺を差し出した。
慌てて受け取り、ぺこっと頭を下げる。
名前の左上に、『株式会社 真込商店 副社長』の文字がある。
――こんな立派な肩書を背負っている人に会うのは初めてだ。私なんかとはきっと、住む世界自体が違うんだろう。
「この店には、《決して枯れない花がある》と聞きました」
そう言う間込さんの声は、初対面の私にもわかるくらい憔悴していた。
「それを……売って頂きたい。代金は、言い値でお支払いします」
机の天板に額がつきそうなくらいに頭を下げて言うものだから、私はもちろん、千晶さんも、蘇芳さんですら驚いていた。
「顔を上げて下さい」
千晶さんは穏やかな声で言う。
「何か事情がおありなのでしょう?」
柔らかい問いかけに、真込さんが頷いた。
「――贈り物を……探しているんです」
そう切り出した声は硬く、言葉全体が深い悲しみに包まれている。
「これからあのひとに何があっても、一生残り続けるような――そういうものを探しているうちに、この店にたどり着きました」
机の上できゅっと握りしめられた真込さんの拳。
うなだれたその姿に、私はなんとなく、この店に初めて来た時の自分を思い出す。
「……最初に連絡をもらった時は、正直驚いた。まさか真込商店の次期社長殿が、うちの商品をご所望とはな」
次期社長……いわゆる跡取り息子というやつだろうか。私が住んでいるのとは全然違う世界の話だ。
「一生残り続ける贈り物……ですね。承知致しました」
千晶さんはそう言って、柔らかく微笑む。優しい朝の光みたいな、見ている人を心から安心させる笑顔だ。
「――貴方と、その贈り物をお渡しする方について教えて下さい。もちろん、お話し頂ける範囲の内容で構いません」
まっすぐな千晶さんの視線と、真込さんの視線がぶつかる。
すると不思議なことに、ほんの少しだけ真込さんを覆っていた悲壮な空気が薄くなった……ような気がした。
「貴方の口から、貴方の言葉で。……聞かせて頂けますか?」
千晶さんの問いかけに、真込さんがこくりと頷く。
「――では、まずはお茶を一口どうぞ」
真込さんは促されるままティーカップを手にとり、一口ハーブティーを口に含んだ。
それを飲み込んで、ふーっと大きく息をついてから、真込さんは再び私達三人に視線を向ける。
「……少し、長い話になりますが」
そう前置きしてから、間込さんはゆっくりと話し始めた。
彼と、彼の大切な『あのひと』の、出会いと別れの物語を――。




