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宝石花店アリーヴェデルチ —決して枯れない想いを、貴方へ—  作者: あだがわ にな


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Ⅱ(1)最初の仕事

 目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは見慣れた天井だ。

 寝ぼけまなこで何度か瞬きを繰り返した後で、時計を確認する。現在八時二十五分。

 果たしてどっちの八時だろう、と思考しだしてすぐに、カーテンの隙間から日が差していることに気付く。

 ――朝だ。

 目を覚ました私はのそのそと布団から這い出し、裸足のままでリビングへと向かう。

 葬儀をはじめとした様々な『やるべきこと』のほとんどは、叔父である桐人さんが段取ってくれた。

 儀式の類がひと段落した今、1DKの自宅に設置された祭壇には、白い布に包まれた骨壺が鎮座している。

 なんだか自分の家じゃないみたいだ。空気がいやに冷たいし、どうしてか急に広くなったような感じがする。

 なのに不思議なもので、ひとりぼっちになっても夜は眠くなるし、空腹を感じるし、何事もなかったかのように朝はやってくるのだ。

 そんな中で、『やるべきことがある』というのは、今の自分をこの世界に繋ぎとめるために非常に有効な口実となった。

 そう、今の私にはやるべきことと……行くべき場所がある。

 ——胸元に手をやれば、私はすぐに『それ』に触れることができた。

 冷たいはずなのに、ほんのりと温かいような感覚。

 母さんの遺したスミレの花は、今私の手の中でアメジストのようにきらきらと光り輝いている。

「……おはよ」

 俯き加減で小さく言えば、少しだけ心が軽くなるのを感じた。

 ゆっくりと身体を起こし、強張った肩をポキポキと鳴らす。

 洗面所で顔を洗ってから、クローゼットに手をかけた。

 着古したTシャツを手に取りかけて、やめる。

 宝石花店……一応、花屋といっていいのだろうか、と思考をめぐらせながら、私服の中で数少ない襟つきのシャツに袖を通した。

 これで少しはそれっぽく見えるだろうか。

 下は無難に七分丈のパンツにした。まだ勝手がわからないので、一応デニムは避けておく。

 それにしても未だに信じられない。自分が本当に、あそこでアルバイトをすることになったなんて。

 洗面所で歯を磨いて、顎先までのボブに軽くブラシを通してから、スマホの時計を確認する。

 今家を出れば、おそらく十分前には着くはずだ。

 本当はもう五分早く起きたかった。ばたばたとショルダーバッグの紐をつかみ、スニーカーをひっかけて家を出る。

 がちゃん、と鍵をかけた音が、やけに重く響いた気がした。


 ◆


「……来たな」

「お、おはようございます!」

 屋敷の前で出迎えてくれたのは蘇芳さんだった。

 私の姿をみとめると、そのまますたすたと門の向こう側に向かって歩き出す。

 昨日と同じく自分で閉まる門扉や、勝手についたり消えたりするランタンに気をとられながらも、蘇芳さんに続いて屋敷の奥へと進んでいった。

 そして大きな木の扉の前までたどり着いた時、傍らにひっそりと小さな立て看板があることに気付く。

 筆記体が達筆すぎて読みづらいが——おそらくは『|Arrivederciアリーヴェデルチ』と書いてあるのだろう。昨日千晶さんから聞いた、この店の名前だ。

 調べたところ、イタリア語で「さようなら」という意味らしい。花屋の名前としてふさわしいかは少し疑問だ。

 そもそも家の中に看板を立てて、集客効果があるのだろうか?

 昨日千晶さんは、「自分たちの目的はお金を稼ぐことではない」と言っていた。

 ではこの店は一体なんのために——誰のために存在しているのだろう。謎は深まるばかりだ。

 ギィッと開いた扉の向こう側に、千晶さんはいなかった。

 蘇芳さんは勝手知ったる様子で部屋の奥まで歩いていく。

 昨日は気づかなかったけれど、大きなテーブルが置かれた広間の奥に書斎のようなスペースがあった。

 壁面をびっちりと埋める本棚に囲まれて、アンティーク調のデスクが、間隔をあけながら横に二つ並んでいる。 

 そのうちの一つに背負っていたリュックをおろして、蘇芳さんは言った。

「荷物はここな」

「は、はい」

 言われるがままに貴重品を入れたショルダーバッグをデスクの上に置いてから尋ねる。

「……千晶さんは……?」

「あいつは今日一限あるからな」

 蘇芳さんはそう答えながら、リュックからノートパソコンとマウスを取り出す。

 そういえば、昨日大学がどうとか言っていた気がする。

「蘇芳さんと千晶さんは、大学生……なんですか?」

「ああ。俺が一年、あいつが三年」

 蘇芳さんは淡々と答えながら、デスクに据え付けられた椅子に腰かけ、パソコンを立ち上げた。

 ケースにおさめられていたアルミフレームのメガネをかけると、真剣な表情でモニターに視線を注ぐ。

「じゃあ、二つ違い?」

 質問を重ねる私に、蘇芳さんはすぐに答えてくれた。

「や、おれは十八、あいつは二十二だから四つ違い」

 なんてことのないように告げられた言葉に目をむく。

「えっ⁉」

「――どこに驚いてんだ」

 クッと可笑しそうに笑った表情は、言われてみれば年相応に見えなくもないけれど――。

「……蘇芳さん、大人っぽいですね」

「『っぽい』は余計だ」

 パソコンを操作しながらニヒルに片口角を上げる横顔は、とうてい十八歳には見えない。これで私と二歳しか違わないなんて……ちょっと時空が歪んでいる気がする。

「――んじゃあ、さっそくひと仕事してもらうかな」

 蘇芳さんは椅子に座ったまま、視線をこちらに向けて言った。

「はい!」

 やる気だけは充分な私は、ぐっと拳を握って蘇芳さんの次の言葉を待つ。

「この部屋の宝石花を、中庭に運んでもらう」

 その言葉に、私は改めてだだっ広いこの部屋をぐるっと見回した。

 壁から吊るされているもの、棚の上に置かれているもの、それら全てを合わせると——百は下らないだろう。

「えっと……中庭って……」

「んなに遠くはない」

 返って来た言葉に、ほっと胸を撫でおろしたのもつかの間。

「そこの廊下を真っすぐ……せいぜい百メートルってとこだろ」

 蘇芳さんの言葉に耳を疑う。

 百メートル先の中庭まで、一体何往復すればいいのだろう。

「ほら、早くしないと陽がかげっちまう。――頼んだぜ。期待の新人」

 蘇芳さんはそう言ったきり、再びモニターに視線を向けてしまう。

「……っ、わかりました……!」

 私は数秒の沈黙で覚悟を決めると、もう一度室内を見回す。

 まずは手に取りやすそうな位置のものから。

 どれくらい壊れやすいのかわからないから、とにかく慎重に。

「私、まずは中庭の場所を確認してきます!」

 シャツの袖をまくりながら、そう言って小走りで広間を飛び出した。

「転ぶなよ」

 まるで子供を心配するみたいな蘇芳さんの声が背中の方から聞こえる。

「いてっ!」

 その瞬間に、まるで漫画みたいに転ぶところまでがワンセットだ。

 しかし私はすぐに起き上がり、再び長い廊下をひた走る。

「……みててね。ちゃんと、がんばるから」

 小さな宣誓は、少しだけ廊下に響いて、ひっそりと消えていく。

 それでよかった。私と私の手の中のスミレにだけ届いていれば、それで。

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