Ⅴ(4)追想
私たちが広間に戻ると、千晶さんは自分のデスクで、薄暗い中無心に何かを読みふけっていた。
「千晶さ……」
戻りました、と挨拶しようとしたのを、蘇芳さんが遮る。
「ほっとけ」
言葉の内容に反して、とても柔らかい口調だった。
確かにお邪魔をしてはいけない、と思い直した私は、なるべく物音をたてないようにテーブルの上のカップを片付ける。
「……あ! ごめん……戻ってたんだ」
千晶さんが私達に気付いたのは、全てのカップを運び終わった後だった。
一瞬何かを言いたげな間があったが、千晶さんは私に「どうだった?」とは聞かなかった。
ただ「片付けありがとうね」とだけ言って微笑むと、ゆっくりこちらに向かって歩いてくる。
その笑顔も立ち居振る舞いも、いつもと変わらない様子に見えた。やっぱり別れ際の違和感は気のせいだったんだろうか……。
「お前、もう帰って休め」
突然、蘇芳さんがぴしゃりとそう言い放った。赤みがかった瞳は、まっすぐに千晶さんの方を見ている。
「いや、大丈夫……」
「んな顔しといてよく言う」
反論しようとする千晶さんの言葉尻を遮る蘇芳さん。
「……そんなにひどい?」
千晶さんの問いに、淡々とこう返した。
「さっきよりはマシだけどな」
なるほど。『私にもわかるほど取り乱していた』のが、『蘇芳さんにしかわからないぐらい取り繕った状態』になっただけだったのか。
「お前の『大丈夫』ほどあてにならんもんはない」
「……」
蘇芳さんの言葉に、千晶さんはぐっと押し黙ってしまった。
休みたくないのか、休めない理由があるのか――しばらく下を向きながら考え込んだ後、少しだけ視線を上向けて千晶さんは言う。
「……わかった。今日は帰るよ」
「それでいい」
しぶしぶといった感じで提案を受け入れる千晶さん。頑なな蘇芳さんに根負けしたんだろう。
「まったく、君ってやつは……」
千晶さんがこんな風にぶつぶつ言っているのは珍しい。少なくとも私にとっては初めて見る光景だ。
自分のデスクに戻った千晶さんは、のろのろと荷物をまとめ始めた。
「じゃあ……ごめんね。お先に」
リュックを背負った千晶さんが、軽くこちらに向かって頭を下げる。
「さっさと風呂入ってメシ食って寝ろ」
そう言う蘇芳さんの方が確か年下だったはずなのに、千晶さんは「はいはい」と、まるで思春期の子供みたいな返事をした。
廊下の向こうに消えていく後ろ姿を見送った後、今度は蘇芳さんがこちらを向く。
「お前も今日はあがりな」
「えっ! ……でも……」
「でもじゃねぇよ。『疲れた』って顔に書いてある」
蘇芳さんは本当にひとをよく見ていると思う。
そりゃあ確かに、今日はちょっと色々なことがありすぎた。一人店番からの急な来客からの魔力覚醒。とても一日に起きていい出来事じゃない。
加えて、命の危機が迫っているかもしれないと言われてしまっては、正直頭も心のキャパオーバー状態だった。
「……」
それでも、気が進まない。
もしも今の私に……将来の自分や、この店のためにできることが、一つでもあるのなら……。
「生き急いでんなよ」
まるで私の考えを呼んでいるかのように、蘇芳さんは言った。
「やり残したことがあんなら、次来た時やりゃあいい。……今は休んどけ」
そう言うと、廊下の方に向かってゆっくり歩きだす。時計を見てハッとした。もう宝石花を中にしまう時間だ。
「わ、私も……っ!」
「いらねぇ。とっとと帰って風呂入ってメシ食って寝ろ」
そう言い残して、蘇芳さんは行ってしまった。恐らくは中庭に。
申し訳ないことをした、と思いつつ、私はとぼとぼとデスクのある書斎スペースに向かう。
自分用のスペースとして使わせてもらっている棚からバッグを取り出し、肩にかけた。
頭がぼーっとしてうまく働かない。こういう時は、どうやって過ごしたらいいんだっけ。
――母さんだったら、何て言うかな。
胸元のスミレをぎゅっと握りながら、廊下に向かって歩き出したその時。
ぼんやりとした白い光が視界に入った。
柔らかくて、触れたらあたたかいんじゃないかと思うような光……。
出所を探すように辺りを見回すと、それは千晶さんのデスクの上に置かれた――。
「さっきの……」
千晶さんが手にしていた手帳のような何かだ。淡い黄色の背はただでさえ目立つのに……それが光っているとなったら、嫌でも目をひく。
私は気づけば、無意識のうちに千晶さんのデスクへ歩み寄っていた。
見つめているうちに、近づく私に呼応するように光がだんだん強くなる。
やがて吸い寄せられるように、私の指先がパステルイエローのそれに触れた。
瞬間、やわらかかった光が急に強く、鮮烈なものになる。
ぱあっと瞬く間に広がったそれは、すぐに右手だけではなく私の全身を覆うほどに大きくなった。
――この、白い、光は……。
感じた既視感の正体はわからない。
けれど全身からゆっくりと力が抜けていき、私はもうその白い光に身を委ねるよりほかない。
――なんだか……すごく……あったかい……。
すうっと意識が遠くなっていく感覚は、眠りに落ちる前のそれに似ていた。
◆
最初は、夢をみているのだと思った。
上空らしきところから、人々の生活を見下ろしている。
こういう俯瞰形式の夢ってたまにみるよね、というのが最初の感想だ。
しかし、徐々にそれが間違いなのだと気づく。それは、彼女が『彼』に出会った頃からだった。
彼女――この夢のようなものの主人公らしきひと――は、みもざさんというらしい。
私と同じ草花の家系に生まれたみもざさんは、類まれなる魔力の持ち主だった。
五歳で魔法が使えるようになってからしばらくは、彼女の歩く道が軒並みお花畑に変わってしまうくらいの力。
それは微笑ましい光景ではあるけれど……今の私は、みもざさんの魔力が彼女自身を傷つける刃になりうることを知っていた。
やはりというかなんというか、みもざさんはいつも、ともすれば暴走しかねない魔力と戦っていた。
何度も何度も体調を崩しながらも成長した彼女は、やがて大学に合格。
植物学を専攻するべく生物学科に入学したのも、園芸サークルに入ったのも、草花の力と共に生きていくためだ。
魔力の暴走を防ぐために、みもざさんはこっそりと、サークルの温室でたくさんの花を咲かせていた。
どうやら草花の力は、切り花だけではなく土に根付いた花をも咲かせることができるらしい。
学校もサークルも、みもざさんにとっては居心地のいい場所だったみたいだ。
いつも彼女は笑顔だった。優しく綻ぶミモザの花のように。
――その日もみもざさんは、誰もいない温室で、人知れず花を咲かせていた。
ぽうっと白い光が灯ったのと合わせて、みもざさんはいつも目をつぶる。だから気付かなかった。彼が温室に入って来たことに。
「――……」
温室の入り口に呆然と立ち尽くしている彼は、私の知っているそのひとよりも幾分若い――いや、幼いと言った方がいいだろうか。
しかし、栗色の癖毛に色素の薄い瞳、そして綺麗に整ったお人形のような顔立ちは――。
「……宝、くん……」
目を開けたみもざさんが、呆然と呟く。
その名前を聞いて私は確信を深めた。これは千晶さんだ。もしかしたら今より幾分か前の。
「……花崎さん……」
千晶さんは、みもざさんのことをそう呼んだ。これも何度も聞いた苗字だ。強すぎる魔力。草花の力。みもざさんの姿に、赤い瞳をしたあのひとの面影が重なる。
千晶さんはまず、自身の身の上を隠すことなく語ってみせた。
宝化の力をもつ魔法使いの家系出身であること。そして、世にも珍しいとされる男性の魔法使いであること。
するとみもざさんは目を丸くして言う。
実は自分の弟も、男性でありながら、強大な魔力をもつ魔法使いなのだと――。
私はすぐに確信した。
その弟というのは、きっと蘇芳さんだ。
ということは、みもざさんは浅葱さんの娘さん、ということになる。
いくつもの共通点をもつ二人は、すぐに打ち解け、距離を縮めた。
「……こんにちは、花崎さん」
「宝くん、今日は遅かったねぇ」
約束らしい約束をしなくても、いつしか自然に温室で顔を合わせる時間が増えていく。
「今日は何を咲かせてほしい?」
「それじゃあ……マーガレットとかどう?」
「いいねぇ。見ごろだものねぇ」
千晶さんがリクエストした花を、みもざさんが咲かせる。
それを二人で見ては、ああでもないこうでもないと言葉を交わす。
浅葱さんゆずりの色素の薄いウエーブヘアは、あどけない顔立ちとあいまって、まるで物語の中のお姫様みたいに見える。
千晶さんと並んでいると、それこそ絵本の中から抜け出てきたような――。
……お似合いだなぁ……。
自然にそう思っていた。何も『絵になるから』というだけではない。
それぞれが、相手を見ている時に見せる慈しみのこもった瞳――それはもはや恋ですらなく、愛するひとを見つめる時の目だ。
相手にできるだけ長く、健やかに笑っていて欲しいと、ただそれだけを願っていなければできない眼差し。
私は傍観者ながらに、この時がずっと続けばいいと願っていた。
――しかし幸福とは、永遠に続かないから幸福と定義されるもので。
木々の緑も色濃くなってきたある日……みもざさんは自分が咲かせたシロツメクサで花冠を作っていた。
どうやらみもざさんは、あまり器用な方ではないらしい。できあがったのは、少しいびつな花冠だ。
「……あげる。あんまりキレイじゃないけど」
みもざさんはそう言って、千晶さんの頭にぽすんと花冠をかぶせた。
千晶さんは一瞬驚いた顔をすると……少し考えた後、口を開く。
「――今日は、いつもと違うことをしてみてもいいかな?」
みもざさんがこくりと頷いたのを確認してから、千晶さんは頭の上の花冠を手に取り、大きく深呼吸する。
千晶さんが目を閉じるのに合わせて、ぽうっと灯る白い光――私はこの光景を何度も見たことがあった。
千晶さんの手の中で、白い球体状になった光は、徐々に形を変えながら薄れていく。
そして現れたのは、花冠の形をした、シロツメクサの宝石花だった。
「――……」
みもざさんは、宝石花を見つめたまま言葉を失っている。
「――よかった、成功した」
千晶さんはそう言ってはにかむように笑うと、宝石花の花冠をみもざさんの頭の上にのせる。
「……うん。やっぱりよく似合う」
みもざさんの鮮やかに赤らんだ頬から、千晶さんにも熱が伝播しているのが見ていてわかる。
それは恐らく、明確な恋の始まる合図だったんだと思う。
それからも逢瀬を重ねた二人は、長い時を共にした。
花を宝石化する魔法は難しく、成功率が低いため、何度も練習を重ねたのだと言う千晶さん。
「僕は君みたいに上手にできないから」
「……でも、宝くんの魔法はきれいだよ。私のよりもずっと、ずっと」
みもざさんが咲かせた花を、千晶さんが宝石花にする。
成功率は五分五分くらい。半分の確率で、花は石ころに変わってしまう。
それでも二人はそれを辞めなかった。二人で同じ時間を過ごすことこそが、本当の目的だったから。
しかし、時が経つにつれだんだんとみもざさんが温室を訪れる機会が減っていく。
いや、大学に登校すること自体が少なくなっているのだ。
みもざさんは体調を崩すことが増え、次第にベッドで過ごす時間が長くなった。
「――なんかあったのか」
力なく横たわるみもざさんに尋ねているのは、多分蘇芳さんだと思う。少し顔つきが幼いけれど、受ける印象は変わらない。
「……何も……何もないよ。……だから、心配しないで……」
みもざさんの声はひどく弱々しく、それを聞いた蘇芳さんがより強い不安を感じているだろうことは明らかだった。
眉をひそめながら蘇芳さんは、室内を見回す。
みもざさんの自室であろうそこには、所せましと並べられた宝石花と——宝石花になりそこなった失敗作たち。
そしてベッドサイドの一番近いところには、きらきらと輝くシロツメクサの宝石花がそっと置かれている。
それらの一つ一つをじっと見つめてから、蘇芳さんはみもざさんの部屋を後にした。
とたんみもざさんは大きくせき込み、ぜぇぜぇと呼吸を荒くする。
「――……宝、くん……」
小さく掠れた声で、みもざさんは千晶さんのことを呼んでいた。
けれど、それが千晶さんに届くことはない。
その晩、みもざさんの体調は急激に悪化した。胸をかきむしるようにしながら、ベッドの上で苦しむ姿はとても見ていられない。
ベッドサイドには、浅葱さんと蘇芳さんの姿もあった。
二人が懸命に声をかける中、不意にみもざさんのお腹の辺りに、白い光の玉が生まれる。魔力のこもった、強い光だ。
少しずつ大きく、鮮烈になっていった光は、やがてみもざさんの体全体を飲み込む。
――だめだ、このままだと……!
届かないとわかっていながらも、手を伸ばさずにはいられなかった。
光の玉は限界まで膨らんだかと思うと、勢いよくパチンとはじける。
急な閃光に、思わず目を閉じた。
そして次に目を開けた時、眼前に広がっていたのは――ベッド一面に咲き乱れるミモザの花だった。
その中でみもざさんが、とても幸せそうに眠っている。――いや、あの真っ白い顔は、おそらくもう……。
浅葱さんも蘇芳さんも、懸命にみもざさんの名前を呼んだり、身体をゆすったりしている。けれどみもざさんはもう帰ってこない。それはもう、きっとみんなわかっている。
――あれが、魔力の暴走……。
何の根拠もないはずなのに、気が付けばそう確信していた。
頭の中にはみもざさんを食らった光の鮮烈な白が、今でも焼き付いている。
気付けば私は、再び光の中にいた。
薄もやのような、ぼんやりとした弱々しい光だ。
「ミモザの花言葉って、知ってる?」
遠くから響く、やたらとエコーがかかった不明瞭な声。
みもざさんだ。
知らない、と答えるために、ゆるく首を振る。
するとまたしても、こんな声が聞こえた。
「『感謝』『友情』『優雅』。そして……『密かな愛』」
声はだんだんと遠ざかり、その内容も聞き取りづらくなっていく。
「お願い、あのひとに伝えて……。もう、泣かなくていいんだよ、って……」
最後の言葉は、声というより音と言った方がいいくらい判然としなかった。
けれど不思議となんて言っているのかわかる。そして『あのひと』というのが、誰を指しているのかも――。
伝えなくちゃ、千晶さんに。私にはもう、その責任がある。
そう思った瞬間、すうっと薄もやが晴れていく。
私は戻らなくてはいけない。
そう思った瞬間、目の前にぱあっと光の道が開けた。




