V(3)青天の霹靂
結論から言うと、私はお茶を淹れられなかった。
ポットはあたたかくなったし、お湯を出現させることもできた。それだけで言えば大成功だけれど――まぁ、その、なんていうか大成功すぎた。
一度叩いたポットは人肌ではなく触れれば火傷しそうなほど熱くなり、二度目に叩いた時なんてポットからお湯がだばだばあふれだしてしまったのだ。
――これは……もしかしたらすごいことなのかもしれない。
――私の魔力って、実はめちゃくちゃ強いんじゃない?
そんな風に浮かれていた私を現実に引き戻したのは、千晶さんの険しい表情だ。
「あの……何か……?」
「……」
恐る恐るそう話しかけても、回答は得られない。
千晶さんがなんとか用意してくれたお茶を手に、私たちは広間に戻った。
二人分のカップを置いて着席した瞬間、千晶さんがさきほどの出来事を話し始めた。とてもとても、神妙な顔で。
「――……」
話が終わった後、室内は重い沈黙に包まれてしまった。
予想外の展開に慌てる。私はそんなに出来が悪かったのだろうか……?
ふーっ、と長い息を吐いた浅葱さんが、「私から話すが、いいか?」と二人に目配せした。
千晶さんと蘇芳さんがそれぞれに頷いて、了承の意を示す。それを確認してから、浅葱さんは口を開いた。
「魔力ってのは、強かったり弱かったり、個人差がある。それはさっきの話からもある程度わかるだろうが……」
ちらりと視線を向けられて、慌てて頷く。
「じゃあ、質問だ。魔力が強い人間と、魔力が弱い人間。なるならどっちがいい?」
問いかけられて、思わず眉間に皺が寄る。
「それは……魔力が強い人間……じゃないんですか?」
さきほどの話で、魔力が使えない魔法使いはとても辛い思いをする、というのがわかった。
だったら魔力が強いに越したことはないのではないか、というのが私の推論だ。
「それがな……多くの場合はそうじゃないんだ」
しかしそれはどうやら外れていたらしい。
どういうことだ? と頭の中がはてなマークでいっぱいになる。
「――……魔力の暴走、という現象がある」
「!」
忘れもしない。葬儀の時に親戚連中が言っていた――母さんを死に至らしめる、原因となったものだ。
「魔力ってのは、定期的に発散してやらないといけないのさ。瓶の中に容量以上の何かを無理やり詰め込んだら……割れちまうだろう?」
そう言う浅葱さんは、これまでに見たことのない種類の表情を浮かべていた。眼光は普段以上に鋭く、口元が僅かに強張っている。
「魔力は必ずしも一定間隔で均等に湧き出るもんじゃない。――長年溜まってたもんが、一気に押し寄せてきてるのかもな」
そこで言葉を切った後、浅葱さんは再びこちらを見た。
しばらくの間押し黙った後、重々しく告げる。
「――正直……かなり危ない状態だ」
そこで私はようやく、三人が神妙な表情をしているわけを理解した。
空気がひりひりして、いやに喉が渇く。
事態の深刻さに、私も一気に恐怖をおぼえた。
「――わ……私に何か、できることって……」
慌てて尋ねた私に、浅葱さんは悩みながらこう答える。
「そうだなぁ……。とりあえずは、そこの魔力無尽蔵男に教わって、早いこと草花の力の使い方を覚えるこったな」
不可思議な呼び名は、文脈的に恐らく蘇芳さんを指しているのだろう。
「は、はい……」
たじろぎながらそう答えたけれど……もしどんなに頑張っても魔法が使えないままだったら、私はどうなってしまうのだろう。
言いようもない恐怖をおぼえる私を安心させるように、浅葱さんはニッと笑って見せた。
「気休め程度だが、魔法士支援局に余分な魔力を吸い取る魔道具がある。それを貸し出せるように手配しよう」
言うが早いが、カップの中身を飲み干して、浅葱さんは立ち上がる。
「――今日の本来の用件は、『アレ』の注文だったんだが……。今年も用意してくれるか?」
問いかけの対象は千晶さんと蘇芳さんだ。
千晶さんは「もちろんです」と答え、蘇芳さんは「わかりきったことを聞くな」という感じの顔でそっぽを向いている。
「そうか……ありがとうな」
感謝の言葉を述べながらぎゅっと目を細めている浅葱さんは、こみあげてくるなにかしらをこらえているような顔をしていた。
数秒後、元の表情に戻ってから、今度は私に笑いかける。
「受け取りの時には、こちらの魔道具も渡せるだろうから……ちぃっと待ってな」
そう言って浅葱さんは、颯爽とアリーヴェデルチを後にした。
再び室内は静寂に包まれる。
私は呆然としてしまって、しばらくの間席を立てなかった。
――母さんの姿を見て、私は知っていたはずじゃないか。元気に明日を迎えられるのは『普通』のことじゃない。
なのにどうして自分に限って、大丈夫だと思い込んでいたんだろう。
「……やるか?」
蘇芳さんが立ち上がりながら首をこきこきと鳴らす。
「――な、何をですか……?」
怪訝な顔で問い返す私に対する蘇芳さんの態度は、普段と何も変わらなかった。
「力の使い方、覚えるんじゃなかったのか」
「!」
けれど、ちゃんと私のことを考えてくれている。
千晶さんにも蘇芳さんにも共通しているスタンスだ。そのべたっとしてない感じが、ずっと心地いいなと思っていた。
「……あ、ありがとうございます……‼」
お礼を言いながら、私も続いて席を立つ。
「――俺に懇切丁寧な解説なんざ求めんなよ」
蘇芳さんはそう言い残して、廊下に向かって歩いていく。
「が、頑張ります……!」
理屈じゃない、見て覚えろ――的な感じだろうか。一抹の不安がよぎるが、そんなことを言っている場合じゃない。
私は慌てて蘇芳さんの後を追った。
「……いってらっしゃい」
千晶さんは微笑みながらそう言って手を振ってくれる。
けれど、どうしてだろう。いつも通りの優しい笑顔のはずなのに、僅かに印象が違う。
――初勤務の日、はからずも千晶さんの奥底にある、未だ癒えていない傷に触れた。『守れなかった』という言葉からは、色濃い喪失の気配がする。
……一度でも人の死に触れると、自然に死そのものの気配に敏感になるものだ。
千晶さんにとって私が大切な存在だとは、おこがましくてとても言えないのだけれど、それでも。
私以外に、私がいなくなることを恐れてくれるひとがいるのだとすれば、それはとても幸福なことだろう。
「――頑張らなくっちゃ」
私と、私のことを少しでも思ってくれるひとのために。
胸元のスミレを握りしめて、そう決意を新たにする。
ひんやりとした感触が、ともすれば逃げ出したくなる私の弱い心を、なんとか現実に繋ぎとめてくれていた。
◆
蘇芳さんに導かれるまま、私がやってきたのは中庭だった。
「利き手、どっちだ」
「み、右です」
そう答えると、隣に並んだ蘇芳さんが自身の右手を前に出して見せる。
「こう、ぐっと握って」
言葉に合わせて、強く拳をにぎり込んだ。
「んで、咲かせたい花のことを思い浮かべる」
蘇芳さんがゆっくり目を閉じると、すぐに右の拳がぽうっと白く輝きだす。これまでに何度か見た光景だ。
柔らかい光はゆっくりと形を変え、やがて収束する。蘇芳さんの手の中には、黄色のガーベラが現れた。
「……とりあえず、やってみっか」
蘇芳さんに促され、こくりと頷く。
右手を前に出して、ぐっと握り、目を閉じる。
しかし、やはりというかなんというか、いくらうんうん唸っても、私の手には何の変化もおこらない。
左手にしてみたり、姿勢を変えてみたりと、色々やってみたがそれでもだめだった。
ひとしきり試せることを試し終えた私は、地べたに座り込んで途方に暮れる。
「――……わりぃ」
わかりやすくうなだれている私に、蘇芳さんが短くそう言った。
「蘇芳さんが謝ることなんて……」
慌ててそう否定するも、蘇芳さんは私の言葉を打ち消すようにゆるく頭を振る。
「もともと俺は、説明が上手い方じゃねぇ。それに、魔法に関しては……気づいたら使えるようになってた、って感じだったからな」
蘇芳さんは、浅葱さんが言うところの、魔法使い全体における大多数――『すぐに意のままに操れるやつ』の方だったんだろう。
「そういえば、浅葱さんの言ってた……ええっと……魔力、無尽蔵……?」
「本当に無尽蔵なわけじゃねぇが、もともと力が強い方らしい。だから意識して消費するようにはしてるな」
蘇芳さんはそう言って、私から少し離れたところに腰をおろした。
視線の先には、たくさんの宝石花がおさめられた温室がある。
きらきら、きらきらと輝く色とりどりの光が、どうしてか今は少し目にしみる。
あんなにも美しいものを、素直に美しいと思えないなんて……。
「あそこの宝石花」
唐突に蘇芳さんが切り出した。
「あれは全部、俺が咲かせた花が元になってる」
「えっ⁉ ぜ、全部、ですか……⁉」
あまりの驚きに、声がひっくり返った。
あれだけの量の花を咲かせて、宝石花にするなんて……恐らくはかなりの魔力と時間を費やしたのだろう。
蘇芳さんは相変わらず、まっすぐに温室の方を見つめている。
「ど、どうして、そんなにたくさん……」
私の疑問に、蘇芳さんは短く答えた。
「生きるためだ」
「……!」
そうだ。私はなんてバカなことを聞いたんだろう。
蘇芳さんの膨大な魔力は、そのままにしておいたらきっと彼を死に至らしめる。
だから魔力を発散するしかない。千晶さんにとっても、魔力をため込むのはきっとよくないことだろう。
蘇芳さんが咲かせて、千晶さんが宝石花という形にする。
それが二人にとってもっとも最適な生存戦略だったのかもしれない。
「――とりあえず、一度戻るか」
蘇芳さんはそう言って立ち上がると、パンツについた汚れを払う。
「はい……!」
ゆっくりと歩きだした蘇芳さんに、私も続いた。
――これから、どうなっちゃうんだろう。
少しずつ大きくなっていく不安は、ずしりとお腹の底に横たわり、私の心を沈ませる。
「……大丈夫だ」
普段根拠のないことを言わない蘇芳さんが、短く言った。
その優しさが、私の心を再び少しだけ浮き上がらせる。
「……ありがとう、ございます」
どんなに不安でも、こうして生きている以上前に向かって歩くしかない。
暮れかけた日でオレンジ色に染まった廊下に、私のごくごく小さな呟きが、少しだけ響いて消えていった。




