Ⅴ(2)邂逅
「ちっと外す。店番頼んだ」
アリーヴェデルチに戻るなり、蘇芳さんはそう言ってすぐにまた外出してしまった。
千晶さんも今日は授業があるとのことで店には来ていない。今の私は正真正銘ひとりぼっちだ。
これまでも何度か一人で店番をしていたことがあったが、やはり心細いし、色々と不安もある。
――もしもお客様が来たら、どうしよう。
一番心配なのはそこだった。
しかし、これまでやって来たお客様は私の知る限り――といっても二人だけだが――必ず事前に連絡をとってから来店しているようだった。
この店の立地から考えても、初めましてのお客様がふらっと入ってくることはあり得ないだろう。
――だったらとりあえず、今できることをやろう。
こうしている間にも時給が発生していることを考えると、ぼーっとしている時間がもったいないし申し訳ない。
気を取り直した私は、頭の中のやることリストをもう一度精査しだした。
少し慣れてきたとはいえ、一人でできる仕事はまだ少ない。
結果的に残ったタスクはほぼ全てが『部屋の掃除』だった。
「……やるか」
どうせだったら二人があっと驚くくらい、ピッカピカにしてしまおう。日頃お世話になりまくっていることだし、そのお礼も兼ねて。
私は掃除用具を取りに行くべく、廊下に向かってずんずんと歩きだした。
大きな扉の前に立てば、それは込められた魔法の力によって自動的に音もなく開き——。
「……⁉」
その瞬間私は、自分の目を疑った。
「――んー? 見かけない顔だなァ?」
開いた扉の向こう側から聞こえる、少し掠れたハスキーな声。
低めではあるが、たしかに女性の声だ。
少しドスがきいているというか……もしかしたら酒焼け? というやつかもしれない。とにもかくにも迫力がある。
そして声の主だろうそのひとは、外見も非常に貫禄があった。
きっちりと結い上げられたプラチナブロンドに、赤ぶち眼鏡の下で静かに燃える赤い瞳。
細身のパンツスーツがとてもよく似合っていて、いかにも『できる女性』といった感じの風貌だ。
「お嬢さん、もしかして新人さんかい?」
なんでだろう。口調がきついわけでもないのに、なぜか逆らえない感じがする。
「は、はい……っ!」
しどろもどろになりながら、やっとのことでそう答えた。
発言内容から察するに、彼女はこの店――アリーヴェデルチのことをもともと知っているひとだ。
そして恐らくは、何度もここに足を運んだことがある。
「そうかい、あんたが……」
女性はそう言って一瞬目を細めると、私の横をすり抜けてずかずかと店内に足を踏み入れる。
「あ、あの……!」
慌てて女性の後に続き、アリーヴェデルチ店内へと戻る私。
とりあえず用件を聞かないと、と口を開いた矢先のことだ。
「千晶は留守かい?」
いきなりの呼び捨てに、聞こうとしていたことも言おうとしていたこともすっかり吹き飛んだ。
頭の中いっぱいにはてなマークを展開中の私は、彼女の質問に何の答えも返すことができない。
「この様子じゃ蘇芳もだね」
再びの呼び捨てに、いよいよ脳味噌の情報処理能力が限界に達した。
プシュ―っと音をたててオーバーヒートしそうになる頭を抱える私に、女性がくくっとおかしそうに笑いかける。
「悪かった悪かった。少し意地悪だったよ」
女性は改めてこちらに向き直り、スーツの胸ポケットから名刺を取り出した。
「あたしはこういうもんだ。二人がいつも世話になってるね」
差し出された名刺を受け取って、紙面に目をやる。
『魔法士支援局こども相談センター あかしあ 代表 花崎 浅葱』
まず驚いたのは、彼女が代表をしている組織に聞き覚えがあったからだ。
碓氷さんが身を寄せているという保護施設。そこの代表のことを、たしかに千晶さんはよく知っているようであったけれど……。
そして次に驚いたのが、彼女の苗字が『花崎』であることだった。
燃えるように赤い瞳は、私の知っているあのひとに、とてもよく似ている――。
「花崎、って……蘇芳さんの……」
「ああ、母親だよ」
さらっと返されて、驚いた。
てっきりお姉さんだろうと思っていたのに……! 大学生の子をもつ母親にしては、とても若く見える。
「ったくあいつら、こんないたいけな女の子をこき使って……」
ぶつぶつと文句を言い始める浅葱さんに、あわてて言った。
「いえ、全然そんなことないです……!! 蘇芳さんにも、千晶さんにも、本当に、とってもよくして頂いてて……!!」
「……そうかい」
浅葱さんは、そう言ってすうっと目を細める。
その表情にどこか懐かしさをおぼえた私は、少し考えて気づいた。
――これは『お母さん』の顔だ。
僅かに下がった目尻から慈しみの感情があふれ出ている。そのひとのことがとっても大切なんだと……言葉にしなくたってわかる顔。
「悪いけど、どっちかが帰ってくるまで待たせてもらうよ」
そう言って浅葱さんは、慣れた様子で来客用の椅子に腰かける。
どうしよう……! お客様がいらした時、千晶さん達はまずどうしていたっけ……⁉
焦る私の脳裏に蘇ったのは、例のティーセットだ。
しかし真込家製のティーポットは、以前私がさわった時うんともすんとも言わなかった。
――やかんとか置いてあったりしないかな……⁉
何か湯を沸かす道具があれば、私でもお茶が淹れられる……と思う。
一縷の望みにすがりながら、私はティーセットがある小部屋へと向かった。
しかし、どこを探してもやはり湯を沸かせるような道具はない。
うー、と唸りながら、私はティーポットを流し台の上に置く。
茜さんの言葉が真実なら、私の中にも『魔力の火種』なるものがあるはずだ。
スプーンを片手に、ごくりと唾をのむ。
チィン、という音をたててティーポットのふたを叩いてから、おそるおそるその表面に触れてみる。
「……やっぱダメかぁ……」
ひんやりと冷たい感触に、肩を落としながらそうこぼした。
「――もっと腹に力いれてみな」
いきなり聞こえてきた浅葱さんの声に飛び上がる。
彼女は勝手知ったるといった感じで部屋に入って来ると、私の隣に立ち、自身のパンツスーツのベルトの辺りを指さしてみせる。
「この辺に、なんかあったかいもん――例えばホッカイロとかね――そういうのがあるイメージだ。そうすると、ゆっくり全身があったかくなってくだろう。そんで、すっかり身体中があったかくなったところを想像してごらん」
戸惑いはあったけれど、言葉の通りにイメージを膨らませてみる。お腹……へその辺りに、ホッカイロ……。ゆっくりと全身があたたかくなって……。
「ん。――ほら、もう一回やってみな」
そう言って浅葱さんがティーポットの方に視線をやった。
私は言われるがままに、ティーポットのふたをスプーンで叩く。チィンという澄んだ音が、静かな室内に響きわたった。
じっとこちらを見ている浅葱さんの視線に促され、右手でポットに触れてみる。
「うそ……⁉」
本当に、ほんの僅かにはあるが、ポットが温かくなっている。
信じられない、という感情の後にやってきたのは、嬉しさと、ほんの少しの恐ろしさだ。
私のリアクションを見て、浅葱さんはニッと片口角を吊り上げて笑った。
「上出来」
言葉のチョイスや笑顔の感じが蘇芳さんとよく似ている。
「――飲むか?」
向けられた質問にこくこくと頷いて返すと、浅葱さんはそのまま流れるような仕草でお茶を淹れてくれた。
どうやらどこに何がしまってあるのかも完全に把握しているらしい。
たちまちカップがお茶で満たされ、室内には清涼感のあるいい香りが漂い始めた。
いつものハーブティーじゃなくて、ちょっと違う香りのする茶葉だ。すーっとする感じからしてミント系だろうか?
二組のティーカップをのせたおぼんを片手で無造作に持ち上げる浅葱さん。
「あ、あのっ! 私持ちます……!」
「いいって」
結局浅葱さんに用意してもらったお茶を浅葱さんに並べてもらう形になった。
――バイトとして一生の不覚……!
うなだれる私と浅葱さんは、お客様用のテーブルを挟む形で向かい合っている。
カップからたちのぼる香りを楽しみながら、お茶を飲んでいる浅葱さん。
彼女がカップを置いたタイミングで、私はずっと気になっていたことを質問した。
「――……さっきの、なんだったんですか……?」
全然具体的じゃない質問だったけれど、浅葱さんには私の意図が伝わったようだ。
「お前さんには教えておいてもいいだろう」
そう前置きしてから、ゆっくりと語り出す。
「魔力ってのはな、誰もが生まれた瞬間から使いこなせるわけじゃない」
浅葱さんの目はまっすぐに私を見つめていた。
「もちろん、すぐに意のままに操れるやつもいるさ。そういうのが過半数っていってもいい。だけど中には、どんだけ練習してもなかなか上手くならないやつもいる。そして、ごく稀に……魔力そのものが使えないやつも」
告げられた言葉に、思わず息を吞む。
衝撃を隠せない私に向かって、浅葱さんは話を続けた。
「大概の場合はなァ……魔力の源があるところに、どでかい栓があるのさ。無意識に自分でおさえつけてる場合もあれば、体質っつーかなんつーか、生まれつきなやつもいる。だからその栓を外しちまえば、魔力はすこーしずつ、流れ出してくる。そういうもんなんだよ」
浅葱さんの言葉には有無を言わせない説得力があった。その裏には、たしかな根拠があるのだと言わんばかりの。
「――私の他にも、いるんですか……? 魔法がうまく使えない、魔法使いの子供が……」
躊躇いがちに質問すると、浅葱さんはさらっと答える。
「ああ、いるとも。表面化してないだけで、結構な割合な」
「……!」
初めて知るその事実は、私に結構な衝撃を与えた。
「そういう子たちも、うち……『あかしあ』は受け入れている。どういう意味かわかるか?」
そして、それに続けられた浅葱さんの言葉も。
「……魔法が使えない子は……捨てられる、ってことでしょうか?」
改めて言葉にすると、しん、と心が冷えていくのを感じる。
「一概にそうは言えないが、そういうこともある。冷遇されて、自分から飛び出してくるケースも多い。まぁ、人の数だけ、ってやつだな」
そう言った後、浅葱さんは深いため息をひとつついた。
母さんの葬儀の時、親戚の人達にちょっとぐちぐち言われただけで、すごく嫌な気持ちになった。
あんなものに長いこと晒され続けなくてはならないひとがいるなんて……考えただけでゾッとする。
「おかしいだろう? そもそもこの世界じゃあ、魔法が使える方が異端のはずなのにな」
皮肉気な浅葱さんの言葉には、現実を知るひとだけが出せる重みがあった。
私は返すべき言葉を見つけることができずに黙りこくる。
浅葱さんが再びカップを口に運び、静まり返った室内には陶器のこすれるごくごく小さな音だけが響いている。
その静寂の中、僅かに聞こえるそれまでになかった物音。
複数の足音に……話し声だろうか。
「……やっと来たか」
浅葱さんの言葉に、私もそれらの音の出所を確信する。
「……浅葱さん! いらしてたんですか」
開いた扉の向こうから姿を現したのは、千晶さんと蘇芳さんだった。
驚いたように声をあげる千晶さんに、浅葱さんはカラリと笑った。
「ああ。悪いな、急で」
悪びれる様子のない浅葱さんに、蘇芳さんが「全くだ」と返す。そのやりとりから既に、この三人の関係が見て取れるような気がする。
ああ……なんかいいな、こういうの。
一瞬そんな羨望のようなものがこみ上げたが、私はすぐに心の中のそれを打ち消した。
それよりも今は、二人に伝えなければならないことがある。
「千晶さん、蘇芳さん! 私、私……!」
はやる気持ちをおさえながら声をあげた。
「ポットが少しだけ、あったかくなったんです!」
まず口をついたのはそんな言葉だ。
これだけ聞いたら、わけがわからないかもしれない。
けれど、私とティーポットのこれまでを知っている二人はすぐに合点がいったようだ。
「そうか……。――その時、立花さんは嬉しかった?」
すぐに「よかったね」と言わず、私の気持ちを確かめてくれるところがとても千晶さんらしいと思う。
「……はい!」
一瞬だけ考えて、私は答えた。
そうだ、私は嬉しかったんだ。自分の中にも魔力があるってことがわかって。
今思うのは、もしかしたら私にもいつか、お母さんみたいに花を咲かせられる日がくるかもしれないということだ。
無意識のうちに、服の上から胸元のスミレに触れる。
お母さんが咲かせる花は、いつも私を笑顔にしてくれた。
私にも、そんな風に誰かを笑顔にすることができるだろうか——?
「ならよかった」
喜ぶ私に、千晶さんは優しく笑いかけてくれた。
「……やるじゃねーか」
「この子の筋がよかったんだ」
そう言って笑顔を浮かべている花崎親子は、やっぱりとてもよく似ている。
微笑ましく思いながら三人の様子を眺めていると、いつの間にか私にはわからない話が始まっていた。――仕事関係だろうか?
手持ち無沙汰だと思ったのは一瞬で、すぐに私は、自分の「やるべきこと」を思いついた。
いや、「試してみたいこと」と言った方が正しいだろうか。
「私、お二人の分もお茶淹れてきますねっ!」
そう言うが早いが、例の小部屋に向かって歩き出す。
――今度は、私が迎える番だ……!
「あ、立花さんっ!」
慌てて私の名前を呼びながら、こっちにやってくる千晶さん。
蘇芳さんと浅葱さんは顔を見合わせて、「やれやれ」とでも言いたげな顔で笑っていた。




