Ⅴ(1)再会
借りてきた猫みたい、というのは多分今の私みたいな状態を指すのだと思う。
肩に力が入ってカチンコチンになっている自覚がある。出して頂いたお茶に手を伸ばすのにもひと苦労だ。
「そんなに緊張しなくてもいいのに」
そう言って優雅に微笑むそのひとにとって、ここは自宅であり、くつろげる場所であるかもしれないけれど――。
「い、いや……緊張なんて、してないですよ……!」
私にとっては、はちゃめちゃに豪華なお屋敷と、美しすぎるその主だ。粗相をしてはいけない、という思いが強くなればなるほど、私のカチコチもひどいものになる。
――それに今日の私には、『目的』があるのだから、緊張しないわけがないのだ。
「嬉しいわ。またこうして貴方とお話できて」
火口家母屋の応接間にて。茜さんはそう言って、にっこりと品のいい笑みを浮かべて見せた。
あたふたと視線を泳がせた後、遠慮がちに尋ねる。
「――髪、切られたんですね」
茜さんの髪は、ロングヘアからセミロングくらいの長さに変わっていた。
「ええ。……式が終わったから」
二言目を口にするまでに、少し間があった。
俯き気味に頷く茜さんの後頭部で、真込さんが贈ったシオンのバレッタが輝いている。
「……とってもよくお似合いです」
なんて言ったらいいのか考えあぐねた後、それだけ伝えた。
「……ありがとう」
そう言って茜さんはきゅうっと目を細める。様々な感情を内包した、複雑な微笑みだった。
「――あ、あのっ……!」
本題に移るべく、ちょっとどもりながらそう切り出した。
遠くからししおどしのカァンという小気味のいい音が聞こえる。
「私、どうしても、お聞きしたいことがあって……!」
茜さんの瞳は、必死になって話す私のことをまっすぐに見つめていた。
「――……先日お渡しした、『お礼』の品についてでしょう」
その目は私の言葉の裏側はおろか、もっともっと、心の奥底まで見透かしているかのようだ。
私は茜さんの視線を受け止めながら、昨日の蘇芳さんとの会話を思い出していた。
◆
碓氷さんの一件がひと段落し、アリーヴェデルチには日常が戻りつつあった。
「話は千晶から聞いた」
いつものように出勤した私に、蘇芳さんがそう声をかける。
「魔力がないはずのお前でも使える真込家の品、っていうのには、残念ながら心当たりがねぇ。だが……それを渡してきたのが火口家当主だってんなら、話は変わってくる」
蘇芳さんの言葉から、千晶さんから聞いたという『話』の正体がわかった。
――そういえばあの花火の玉のこと、「蘇芳さんに話してもいいか」って言ってたっけ。
「これはあくまで噂レベルの話だが……」
そう前置きして、蘇芳さんは続けた。
「火口家には、俺らの言う『魔力』とはまた違う、特殊な力をもつ者がいるらしい。なんでも、俺らには見えていないものが見えている、とかなんとか……。真偽のほどは定かじゃねぇがな」
蘇芳さんはあくまで懐疑的だったが、魔法が実在するこの世界で、あり得ないことなんて一つもないんじゃないかと私は思う。
「まぁ、あれだ。せっかくだから、本人にゆっくり話聞いてこい」
「へ?」
唐突に変化した流れについていけず、変な声がでた。
「話は通してある。明日の土曜日、十時に火口家な」
「ええっ⁉」
そして翌日――つまりは今日。蘇芳さんの車に揺られて、私は火口家にやってきた。
茜さんから頂いた美しい花火の玉の正体と、彼女の発した不可解な言葉の本当の意味を知るために。
◆
「あの玉は、真込家の新作の試作品ですよ」
茜さんがくれた答えは、おおむね私たちの予想していた通りだった。
「――魔力の込められた品……魔道具は、使用者の魔力によってその力を発揮します。つまり、魔道具を使うたびに私たち魔法使いは、魔力を消耗しているの」
しかしそこから先は、事前に予想した範疇を超えている。
「私達は人間ですから、魔力も無尽蔵なものではないわ。だから真込家は、長いこと『魔力消費の少ない魔道具』の研究を進めている――」
そこまで言って、一度茜さんは言葉を切った。
「先日のお品は、その研究課程で生まれたものなの」
そして再び、水晶玉のような瞳でじいっと私のことを見つめる。
「この国で一番古い占いをご存知かしら? 太占といってね。鹿の骨を火で焼いて、現れたひびの形で吉凶を占うの」
唐突に切り替わった話題についていけず、私は思わず眉根を寄せた。
「――火口家はかなり古い家で……その始祖は巫女だったといわれているの。古くから占いで、この国の政を支えていたとか」
なるほど……かつての火口家は魔力を使って太占とやらを行い、国の将来を占っていたというわけか。
「私に未来を見通すほどの力はないけれど……それでも少しだけ、感じるの」
そこまで言った茜さんは、少し逡巡するようなそぶりを見せる。
しかし意を決したらしい彼女は、厳かな口調でこう言った。
「あなたの奥底には、魔力の火種がくすぶっている……。今にも消えそうなくらい弱々しいのに、決して絶えないその火は……ある日を境にだんだんと大きくなっていくわ」
――私に……魔力が……?
到底信じられないことを告げられているのに、不思議と疑いが入り込む余地がない。
今の茜さんは、たしかに占い師というよりは、信託を告げる神の使者、みたいな言い方をした方がしっくりきた。
だとしたら、彼女が予見しているのは、祝福された未来か――あるいは。
「……無理に信じようとしなくてもいい。でも、覚えておいてほしいの。何も心配することはないし……それは、貴方を否定する材料には、ならないってことを」
茜さんの言う『それ』とは、一体なんだろう。私に魔法が使えないことだろうか。
「あの……」
おずおずと質問を投げかけようとした時、ふすまの向こうからスーツ姿の男性が姿を現した。
「茜様、お時間です」
無慈悲な声は、この面会のタイムリミットを告げている。
「――ごめんなさい。もっとゆっくりお話したかったのだけれど」
茜さんは眉尻を下げながら、至極残念そうに言った。
「いえ……! お忙しい中お時間を頂いて……!」
私は慌ててそう言って小さく頭を下げる。
「お時間が許すようだったら、お菓子、召し上がっていってね。ここのお店、おすすめなの」
茜さんは席を立ちながらそう言って、にこりと微笑みかけてくれた。
しかし次の瞬間、男性となにやら難しい話を始めた時には、もう『火口家当主』の顔だ。
「今日は来てくださってありがとう。是非またいらして」
そう言い残し、茜さんは去っていく。
女中さんらしきひとと共に応接間に残された私は、少し迷った後、すすめられたお茶菓子に手をつけた。
「……おいし」
口に入れた瞬間上品な甘さが広がって、幸せな気持ちになる。
夢中で食べたくなっちゃうけれど、きっとそういう風に楽しむものではないのだろう。
お茶とお菓子を交互に頂きながら、ぐるぐると頭の中で茜さんの話を反芻する。
――私の中に、魔力が……?
とてもにわかには信じがたい話だ。
けれどあの時の茜さんからは、有無を言わせぬ説得力みたいなものが感じられた。
『今にも消えそうなくらい弱々しいのに、決して絶えないその火は……ある日を境にだんだんと大きくなっていくわ』
予言めいたその言葉が、果たして真実であるのかどうか――今の私に確認する術はない。
物思いにふけりながらも出して頂いたお皿を空にして、私は火口家を後にする。
深々と礼をする使用人の方々に見送られながら、ゆっくりと走り出す蘇芳さんの車。
「……んで、どうだった?」
尋ねられた言葉に、なんと答えていいかわからない。
覚えている範囲で茜さんの言葉をなぞって、できるだけ今日あったことがそのまま伝わるようにした。
「――……魔力の火種、か」
ごく小さな声で、蘇芳さんが呟く。
「……何か、わかりそうでしょうか」
「いや、なんもわかんねぇ」
私の問いに、蘇芳さんはそう即答する。
火口家を訪問して、諸々の謎が解明されたかといえばそんなことはなく、むしろわからないことが増えた感じだ。
むむむと考え込む私に、運転席の蘇芳さんが言う。
「とりあえず、『何も心配することはない』んだろ。だったらいいじゃねぇか」
「はい……そうですね」
茜さんの言葉を引用した励ましに煮え切らない返事をしながら、胸元に手をやる。
――この身体の中に、本当に、魔力が……?
「とりあえず、戻ったら仕事」
「……ですね」
物思いにふける私をすぐさま現実に引き戻してくれたのは、多分蘇芳さんの優しさなんだと思う。
窓の外、びゅんびゅんと後ろに流れていく景色を見ながら、私は店に戻った後にやるべきことを頭の中で整理し始めた。




