Ⅳ(7)幸運を祈る
現れた碓氷さんは、私服だった。やはり今日は学校に来ていなかったらしい。
首元が大きくあいたTシャツに、デニムのミニスカート。蛍光色のボディバッグがアクセントになっていて、シンプルなのにすごくオシャレな感じがする。
「――なによ」
アリーヴェデルチに入って開口一番、碓氷さんは怪訝そうな顔で言い放った。まっすぐに私の方を見て。
「な、なにって?」
「……なんか様子がおかしいから」
そう口にした後も、眉間に皺を寄せながらこちらを探るように見つめている。やばい。そんなに顔に出やすいのか私。
おたおたしているところに助け舟を出すかのように、千晶さんが口を開いた。
「――少し前に、ご両親がこちらにいらっしゃいました」
その言葉を聞いて、綺麗な形の眉毛が嫌そうに歪む。
「――……そう。何か言ってた?」
「内容のあることはなんも」
蘇芳さんの辛辣な言葉に、碓氷さんはハッとニヒルは笑みを浮かべる。
「どうせあのひとたちのことだから、あたしの居場所を吐けー! とかなんとか言ってたんでしょ」
千晶さんは肯定も否定もしなかったが、浮かべられた苦笑いから全てを悟ったのだろう。
碓氷さんははぁ、と大きなため息をついて、こめかみの辺りをおさえていた。
「で? なんか喋った?」
「まさか。私達には守秘義務がありますから」
即答する千晶さんの言葉に少なからず安堵したのだろう。ほうっと息をついて、先日と同じ定位置に腰かける。
「じゃ、ちゃっちゃと話を進めましょっか」
そう言うと、ボディバッグから茶色い封筒を取り出してテーブルの上に置く。
「確かめてもらえる?」
そう言われた千晶さんが、碓氷さんの向かい側に着席して、茶封筒を手に取る。ぼってりと膨らんだそれから飛び出したのは、なかなかお目にかかることのないボリュームの一万円札たち……あれ、いくらあるんだ?
「……碓氷さん」
少しだけ顔を出した札束を茶封筒の中に押し込め、千晶さんは困ったように言った。
「お代は頂けないと言ったはずです」
『高校生からお金は取らない』。この点において、アリーヴェデルチのスタンスは一貫しているらしい。
「いいじゃない。お店って銘打ってんだから、もらっときなよ」
碓氷さんはどうやら、私のように「お金を出せない」わけじゃないみたいだけど、それでも千晶さんの態度は頑なだった。
「それは、新生活のための資金にあてられたらいかがですか」
そう言って、分厚い封筒を碓氷さんの目の前にそっと戻す。
「だからといって、借りを作りっぱなしってのがシャクなのよ……!」
負けじと封筒を押し返そうとする碓氷さん。
「あ、あの……っ!」
ためらいながら発したのは、札束を挟んで攻防を繰り広げる二人を制止する言葉……というわけでもない。
「う、碓氷さん、今、ちゃんと居られるところがあるの……? 学校にも来てないみたいだったし、昨日の今日だから……」
私の言葉によって、いったん二人の手が茶封筒から離れる。
「……別に、そんな風に心配するほどのことじゃないし」
視線をそらしながら、小さな声で言う碓氷さん。そんなに長い付き合いじゃないけど、今ならわかる。これはたぶん、そう言いつつも嫌じゃない時の顔だ。
「……今は『あかしあ』にいるから、衣食住で困ることもない。まぁ、この後のことが決まったら出て行くつもりだけどね」
「『あかしあ』……?」
頭の上にはてなマークを浮かべる私に、千晶さんが解説してくれる。
「『魔法士支援局こども相談センター あかしあ』。……魔法使いの家系の困りごとって、すごく独特でしょう? だからそういう、魔法使いだけの困りごとを相談できる機関があるんだけど……『あかしあ』は、特に子供の支援に特化してるんだ」
「あたし、もう子供って年じゃないけどね」
千晶さんの解説に、碓氷さんが不満そうに付け加える。
「保護施設っていうか、シェルターっていうか……そういう感じのところに置いてもらってるから。だから、その……心配、しなくてもいい」
だんだんと小さくなっていく語尾。これはもしかして、ちょっと照れているのだろうか。
「そっか……よかったぁ~……」
碓氷さんから言葉にしてもらうと、安心して体の力が抜けた。多分これなら、本当に心配ない。
「何あんたが脱力してんのよ! ってか、ほんと、今あたしが立ってんのスタートラインだからね⁉」
「だったらなおさら、このお金は貴方のために使って下さい」
ツッコミを入れる碓氷さんの言葉尻をとらえる格好で、千晶さんが改めて茶封筒を碓氷さんの前に置く。
「――……」
しかし碓氷さんは、目の前に封筒が置かれてもなおそれを手に取ろうとはしなかった。
不満そうに千晶さんのことを見つめながら、フンとそっぽを向いてしまう。
「――……親からもらってた金を、自分のために使うのが嫌なのか?」
今まで黙っていた蘇芳さんが、おもむろに口を開く。
「……っ!」
碓氷さんの反応を見ればすぐにわかる。図星だ。
「……あのリースの代金ってことにすれば、折り合いがつくでしょ」
ぶすっと唇を尖らせながら碓氷さんは言う。
何も知らないひとなら、「そんなことにこだわらず、使えるものは使っちゃえよ」って言うんだろうけど……。
彼女から直接話を聞いて、両親の様子も目の当たりにした私は、何も言えなかった。
「――……では、こうしてはいかがでしょう」
千晶さんも同じ気持ちだったのかもしれない。
彼が続けて口にしたのは、これまでの話とは違う新たな提案だった。
「『あかしあ』には寄付金の窓口があります。そこに丸ごと寄付して、困っているこども達のために使ってもらうというのは?」
「……」
千晶さんの予想の斜め上をいく提案に、碓氷さんは考え込むような素振りを見せた。
「……それって結局、あたしのためみたいな感じにならない?」
自分が『あかしあ』にいる以上、そうなる可能性は否めないと思ったのだろう。
しかし碓氷さんの疑問を、千晶さんは否定する。
「大丈夫です。――代表は良くも悪くも平等なひとですから」
代表、というのは、その『あかしあ』の代表のことだろうか。
にっこり笑って断言する千晶さんに、碓氷さんは根負けしたようだ。
「……じゃあ、そうする」
「承知しました。では、代表に話を通しておきますね」
こうして話は一件落着。用件を済ませたらしい碓氷さんは、荷物をまとめて椅子から立ち上がろうとしていた。
「ちょ……っ、ちょっと待って……!」
それを制止したのは私だ。碓氷さんはまたしても訝しげな顔でこちらを見る。
「……何?」
怪訝そうに眉をひそめる碓氷さんを横目に、千晶さんと蘇芳さんへ合図を送る。
二人はにっと笑って、戸棚の奥から『あるもの』を取り出してきた。
「――それは?」
眉をひそめたまま、碓氷さんは尋ねる。
「何に見えますか?」
悪戯っぽく微笑んだ千晶さんが、質問に質問で返した。
「――……宝石花でしょ」
「ご名答」
千晶さんはそう言って笑みを深くする。
「これは、ポインセチア――。赤いポインセチアは、『祝福する』『幸運を祈る』という花言葉をもちます」
そう言って、千晶さんはジュエリートレイの上のポインセチアを碓氷さんに手渡した。
「……なんのつもり」
唇を尖らせて、不機嫌そうな顔をしながら、碓氷さんの視線は手の中のポインセチアに注がれていた。
「それは、贈り主に直接聞いてみてはいかがでしょう?」
千晶さんはやっぱり悪戯っぽい笑顔のまま言う。
「贈り主……?」
こちらを見回す目が私に向くのよりも先に、言葉が口をついて出た。
「――わ、私には……何にもできないけど……!」
もともと話すのがうまい方じゃない。だけど伝えたいことがあるから、必死で喋る。
「だから、せめて……応援してるよ、って、形にしたくて……」
自信がなくなっていくにつれ、語尾がどんどん小さくなっていく。
――だけどこれは……これだけは、自分の言葉で伝えなくてはならない。
「これが、私の『枯らしたくない想い』だから……よかったら、その……受け取って欲しいんだ……」
そこまで言って、ようやくほうっと息をついた。
室内はしばらくの間沈黙で満たされる。自分の心臓の音だけがやけに近いところで聞こえた。
ふぅ、と今度は碓氷さんが短く息をつく。
「――……言ったでしょ。借りを作りっぱなしはシャクだって」
その言葉に、私の『企み』が拒絶されるのではないかと一瞬身構える。
「……だから、いつか必ず、この借りは返すから」
そう言って碓氷さんはニッと笑った。私はほっとしたのと嬉しいのとで、くしゃくしゃっと顔を歪める。
「あ、あの……どういう形がいいかわからなかったから、希望を聞こうと思ってて……」
今回の件で、宝石花がとるのはなにもアクセサリーの形だけではないと学んだ。
そうなるともう選択肢が多すぎて、選びきれなかったのだ。
「――あたし、ピアスあけたんだ」
碓氷さんはそう言って、自身の耳たぶを人差し指で示す。
「ずっとあけたかったから、やっとだよ。……よーーやくうるさいのがいなくなったからね」
そこで光っているのは、粒状のごく小さなピアスだったけれど……この鮮やかな赤色が、顔回りでゆらゆらと揺れているのを想像すると……。
「……いいね……! すっごく似合うと思う……!」
彼女の言わんとすることを察して、そう返す。碓氷さんも、まんざらではなさそうな笑みを浮かべていた。
「……では、そのように致しますね」
千晶さんはそう言って、碓氷さんからポインセチアの宝石花を受け取る。
千晶さんが目をつぶると、手の中のそれが白い光に包まれた。そうっと長い指が、慈しむように光の玉を撫でる。
やがてゆっくりと、光は収束していった。
そうして千晶さんの手の中に残されたのは、大振りだが邪魔にならないサイズ感のピアスだった。
ゴールドの大きなフープに通された形で、ポインセチアの宝石花がゆらゆらと揺れている。
パッと目が覚めるように華やかなそれは、きっと碓氷さんによく似合うだろう。
千晶さんがそれを、一度手元のジュエリートレイに置く。
「きっと……色んなことがうまくいくって思ってる……」
ごちゃごちゃになった感情を紐解いていくと、たどたどしくではあるけれど、ちゃんと言葉たちが口から出てきてくれる。
「それを……祈ってるから……」
私は、ポインセチアのピアスを碓氷さんに手渡した。
受け取った碓氷さんは、それを天井の明かりに透かしたり、揺らしたり……。ひととおり色々な角度から見つめた後、にっと笑って私のことを見る。
「……ありがと。大事にする」
「……!」
それは、私の作戦成功の合図だった。
心の中でガッツポーズをきめる私を、優しく見守ってくれている千晶さんと蘇芳さん。
碓氷さんも、今まで見た中で一番優しい目をしていた。
教えてもらった通りに、ピアスを丁寧にラッピングする。
白い箱にかけるリボンは赤にした。いっぱい練習したのに結び目が不格好になって、ちょっと凹む。
やりなおそうかとほどきかけた時、「いい」と短い制止の声が聞こえた。
「そのままでいい。……どうせいつかほどくもんだし」
結局知り合ってから今に至るまで、碓氷さんの言葉遣いは大きく変わらなかった気がする。
だけど、その目に宿っている光だとか、視線のやり方だとかでわかる。私達の間に、なにかうまく言葉で説明できないものがあるんだってことが。
「それじゃあ」
碓氷さんの別れの挨拶は、とても簡素なものだった。
「うん、それじゃあ——」
でも多分、それでちょうどよかったんだと思う。
「――またね」
私が最後にそう付け加えると、少しだけびっくりしたような顔をした。
でも、その後ニッと笑って、言った。
「うん、また」
そうして彼女は去っていく。
いつものように、蘇芳さんが碓氷さんの後に続いた。
「……いいの?」
千晶さんの質問に主語はなかったけれど、意味はちゃんとわかった。
「はい。いいんです」
私はそう言って頷いた。
――別に、そんなにしつこく見送らなくたっていい。
だって私が「またね」と言って、彼女も「またね」と言ったんだから。
少なくとも今の私には、その事実だけでもう充分だった。




