Ⅳ(6)衝撃と企み
それから私と碓氷さんは、学校でもたまに言葉を交わすようになった。
さっきの授業がああとか、あの先生はどうとか、そういう他愛もない話ばかりだったけれど、少なくとも私サイドの認識は『顔見知り』からもう少し親しみのあるものに変わっている。かといって『友達』と言っていいのかは、いまいち自信がもてなかったけれど。
昼休みに入ったばかりの騒々しい教室に、ピンポンパンポン、という校内放送の音声が響き渡る。
『一年B組、碓氷澪。支給職員室まで来るように』
声の主はB組の担任だ。頭の固い男性教師……多分碓氷さんとは相性サイアクだろうな。
「最近、碓氷さんの呼び出し多いよね~」
近くで話しているクラスメイトの声が耳に届いた。
そう。最近碓氷さんが、何かと先生に呼びつけられているのを見る。彼女の行動に何か変化があったのか、それとも何か別の要因があるのか……。
「なんか碓氷さん、中退するかもしれないらしいよー」
「……!」
また別のクラスメイトが、軽いノリで発した一言。その内容に、思わず声をあげそうになった。
先日の依頼の時には、「学校には通い続けるつもり」と言っていたけれど……何か状況に変化があったんだろうか?
胸のざわざわを抱えながら、私は今日も逃げるように空き教室へと向かった。
周囲に人がいないのを確認してから、他の生徒にバレないように、ドアの向こうへするりと身体を滑り込ませる。
「――やっと来た」
無人のはずの空間で、そう言って頬杖をついている先客なんて――彼女しかいない。
「……さっき、呼び出されてなかったっけ?」
私は、大きくなる胸のざわざわをおさえつけながら尋ねる。
「そんなのほいほい行くわけないっしょ」
碓氷さんは平然とそう言うと、椅子に座って頬杖をついた格好のまま、足を前後にぶらぶらさせている。
私は少し考えてから、碓氷さんの隣の席に座って、お昼ごはん用に買ってきたパンを広げた。
「同じじゃん」
そう言って碓氷さんがポリ袋から取り出したのは、私が買ったのと同じメロンパン。
――碓氷さんって、昼ご飯コンビニ派だったっけ?
入学当初、「隣のクラスに超立派な弁当を持ってくる子がいる」と噂になっていたのが碓氷さんだったような気がする。
そのことに気付いた瞬間また、胸のざわざわが大きくなった。
碓氷さんはガサゴソとメロンパンの袋を開けてから、ぱくっとそれにかじりついた。
「――メロンの味しないじゃん」
「や、メロンパンって大体そういうもんだから」
「ふぅん」
碓氷さんは大して興味なさそうな相槌を返すと、もぐもぐとメロンパンを咀嚼する。
私は広げたうちのもう片方であるたまごサンドを開封して口に運んだ。
ここでこうやってお昼を一緒に食べるのは初めてだった。
――これはさすがにもう、友達って言っていいんじゃない?
私がそんなことを考えていた矢先のことだった。
「あたし、学校辞める」
「……え!?」
今度は我慢しきれず、大きな声が出た。かろうじて口の中身をこぼさなかっただけえらいと思う。
「考えてみればさぁ、当然だよね。あいつらに学費払ってもらって学校通ってたら、結局あいつらに世話になってることになるじゃん? 家を出るっつったって、家賃はどうするのかとか、むしろ家借りれるのかとか、問題山積みだし」
メロンパンをほおばりながら、碓氷さんはつらつらと語る。
「だからさぁ、学校辞めて、バイトするわ」
最後を締めくくったその言葉は、どうやら彼女の中で決定事項のようだった。
「それって……いつ……?」
ぱくっと大きな口でかじった一口を咀嚼してから、碓氷さんは言う。
「今日付けで退学届出した」
「今日⁉」
びっくりしすぎて思わず声が裏返ってしまった。
「これから多分、あいつらが学校に来る。だから……今夜が本番かな」
まっすぐ正面を向いたままそう言う碓氷さん。本番、というのはつまり――あの宝石花の出番、ということだろうか。
「あんたにはなんだかんだ世話になったから、言っておこうと思って」
碓氷さんはそう言うと、残りのメロンパンを口に放り込み、ガタンという音をたてて席を立った。
「ど、どこ行くの……?」
「これ以上学校にいても、面倒なことになるだけでしょ。だからあいつらに見つからないうちにとっとと帰る」
手に通学用カバンがある辺り、多分本気だ。
「――祈ってて。うまくいくように」
ぼそっと小さく呟かれた言葉は、存外弱々しく、心細そうに聞こえた。
「……うん」
私は短く頷いて、去って行く彼女の背中を見送る。
すらっとした背中が扉の向こうに消えて、私は今度こそ、この空き教室に一人になった。
呆然としながら、のそのそと、まるで課せられた作業をこなすみたいに食べかけのたまごサンドをかじる。けれど、全く味がしない。
そのまま次のチャイムが鳴るまでの間、私は味のしないパンを咀嚼して飲み込むだけの機械みたいになっていた。
◆
翌日になってもどこかぼーっとしていて、抜け殻みたいな状態だった。
それでもどうにかこうにか授業を終えた私は、アリーヴェデルチまでの道を辿っていた。
シフトは基本不規則だけれど、週三~四日は夕方の時間をあそこで過ごす。学校がある私には、短い勤務時間を多くこなす方が色々と都合がいいのだ。
――碓氷さん……どうするのかな?
アルバイト、という単語が頭をよぎると、思い出すのはやはり彼女のことだ。
予定通りにことが進んでいれば、昨夜が彼女にとっての『本番』だったはずだ。
学校にいる間、できうる限りで碓氷さんのことを探してみたけれど、結局彼女は捕まらないまま。
――私の祈りは届いたんだろうか。
胸を刺すちくちくとした痛みは、スミレの花を握ればいくらかやわらいだ。
ようやく屋敷に辿り着いた私は、鉄の門をくぐり、長い廊下をとぼとぼと歩いてく。
広間に近づくにつれて、私はある異変に気付いた。
普段静まり返っている廊下の向こうから、微かに誰かの声が聞こえてくる。
甲高いそれは……女性のものだろうか。
廊下を進むにつれ、その声が広間――アリーヴェデルチから聞こえていることがわかった。
タイミング・場所・そして状況。点と点が結ばれ、やがて線に変わっていく。
扉の向こうで声をあげているのは、おそらく――。
「何度も申し上げましたとおり、お客様に関するお問い合わせには一切お答えしかねます」
「何を言ってるの!! 私はあの子の母親なのよ‼ あの子は今どこにいるの⁉」
千晶さんの静かな声にかぶさった怒声。
やはりそうだ。あそこにいるのは、碓氷さんの――。
「落ち着きなさい。みっともない。……宝さん、といいましたね。あの子は碓氷家の子だ。子供である以上、私達の庇護下にあるべきだと思っている。それだけで……」
さきほどの声の主が碓氷さんのお母さん、そして今話していたのが碓氷さんのお父さんだろうか。
「庇護下? 管理下、の間違いじゃないのか」
蘇芳さんの言葉は鋭い。
「そうよ‼ あたりまえでしょう⁉ あの子は私達の子なんだから‼」
感情をあらわにしながらそれに食らいついていくお母さん。
「もういい、黙ってろ‼」
それに続いて、お父さんが声を荒げた。
「お客様の所在・連絡先については、個人情報という扱いになっています。いくら近しい方とはいえ、お客様の個人情報を私どもからお伝えすることはできません」
千晶さんの声は、今までに聞いたことがないくらい冷たかった。
「――そんなに気になるのでしたら、直接お尋ね頂くのがよろしいかと思います。なにせ親子でいらっしゃるのでしょう?」
言葉遣いは丁寧なのに、有無を言わせぬ口調だった。
一瞬だけ扉の向こうが沈黙に包まれる。
「――……もういい!行くぞ!」
「で、でも、あなた……!」
言い争うような声と足音が、少しずつこちらに近づいてくる。
焦った私は、とっさに立て看板の影に身を隠した。もちろん全身がうまく隠れているわけではなかったけれど、それどころではなかったらしい二人には無事気づかれなかった。
玄関に向かっていった二人が見えなくなった頃に、ようやくのそのそと立ち上がる。
「ち、千晶さん……! 蘇芳さん……!」
現れた私を見て、千晶さんは困ったように少し笑った。
「ごめんね。聞こえちゃってたかな」
「す、すみません……!」
慌てて立ち聞きを謝罪すると、蘇芳さんが眉一つ動かさず一蹴した。
「つーか、あんなバカでけー声でまくしたててる方が悪いだろ」
たしかにもっともだと思いつつも、今の私の関心事はそこではない。
「さっきの、碓氷さんのご両親……ですよね……? 碓氷さん、今どこにいるかわからないんですか……⁉」
『あの子は今どこにいるの』という言葉をそのまま受け止めると、碓氷さんは今自宅ではないどこかにいるということになる。
他に居場所を見つけたということだろうか。でも、昨日は全くそんな素振りはなかった。
「落ち着いて。大丈夫」
動転する私をなだめるように千晶さんが言う。
「彼女は今、信頼できるひとが預かってくれているよ。だから心配ない」
その言葉は、ともすれば根掘り葉掘り聞きたくなる私を、静かに優しく拒んでいた。
「それに、今日この後、ここに来ることになってるから……心配なら、直接彼女に聞けばいいよ」
千晶さんはにこっと笑った後、つかつかと自分のデスクに向かって歩いていく。まるで何事もなかったかのように。
――碓氷さんが、ここに来る。
――昨日の夜、多分、一世一代の戦いを終えた碓氷さんが。
そう思った瞬間、私の口は勝手に動いていた。
「あ、あの……っ!」
千晶さんと蘇芳さんの視線が、いっせいにこっちを向く。
それを感じながら、目をつぶって拳を握り、深く息を吸って、吐いて、心を落ちつける。
ただの自己満足かもしれない。私のエゴかもしれない。
でも……それでも……!
意を決した私は、パッと目を見開いて言った。
「お願いが、あるんです……っ!」
これはたぶん、独善的で身勝手な、いわゆるワガママってやつだと思う。
それでも二対の瞳に促されるまま、私は自分の願いを口にした。
その瞬間二人の顔が、ふわっと、あるいはにやっと綻ぶ。
「へぇ」
「……うん。いいんじゃないかな」
それから私達の企みは始まった。
タイムリミットは午後六時――碓氷さんがここにやってくる、約束の時間だ。




