Ⅳ(5)オーダー
「私たちが扱う宝石花については、彼から話があったかと思いますが――」
千晶さんはそう言って、傍らの蘇芳さんを見やる。碓氷さんは、こくりと頷いて「ひととおり聞いてる」と短く答えた。
「ありがとうございます。……さきほどのお話を聞いて、僭越ながらいくつか候補の花を選ばせて頂きました。ご確認頂けますか」
千晶さんが開いたトランクには、三つの宝石花が並んでいる。黄色い花が二つ、白い花が一つ。
「まずこちらは、オトギリソウです。花言葉は『恨み』『敵意』」
手袋をはめた手が一つ目に指し示したのは、少し特徴的な形をした黄色い花だ。真ん中から長く伸びているのは、めしべ……いや、おしべだろうか?
「平安時代の鷹匠である兄弟の逸話が、花言葉の由来とされています。弟が人に乞われて薬草の秘密を漏らしてしまい、怒った兄に斬り殺される――。その秘密の薬草が、このオトギリソウであったという話です」
花言葉って、てっきりロマンチックなものばかりだろうと思っていたのだが、どうやらそれは誤解だったらしい。
『斬り殺される』という単語に、恐ろしくなって碓氷さんを見る。彼女の視線はただ真っすぐに、トランクの中のオトギリソウに向けられていた。
「次に、こちら」
千晶さんはそう言って、もう一つの黄色い花を示す。形からして、百合の仲間だろうか。
「黄色のカサブランカです。花言葉は『裏切り』」
華やかな美しさとは裏腹に、やはり不穏な意味をもつ花のようだった。
「聖書に出てくる裏切者・ユダは、黄色の服を着ていたといわれています。そのことから、黄色は裏切りを意味する色とされているそうですよ」
明るく華やかな黄色が、そんな意味をもっているなんて知らなかった。
だから三つのうち二つの花が黄色だったのか。
そんなことを考えていると、自然に私達の視線は、一つだけ残った白い花に集中する。
「そしてこちらが、白いゼラニウムです」
丸みを帯びた花弁がかわいらしい花だ。名前も多分、聞いたことがある。
こんなにかわいい花にも、今まで紹介されたもののような恐ろしい意味があるのだろうか?
「花言葉は、『偽り』『私はあなたの愛を信じない』」
千晶さんの言葉に、碓氷さんの目が一回り大きくなる。次いで、ぴくりと指先が震えたのも見逃さなかった。
「海外では「嫌いな方に贈る花」というイメージが根強い花です」
千晶さんも、気づいていないことはない……と思う。それでも彼は、まるで何も知りませんという顔で淡々と説明を終える。
そして私達三人の視線は、自然に碓氷さんのところに集まった。
「……」
じっとトランクの中を見つめていた碓氷さんが、すっと視線を上げる。
「全部」
「……!」
碓氷さんの言葉にあからさまに驚いたのは、多分私だけだった。
「ここにある三種類の花を使って、リースを作って欲しいの」
リース……というと、真っ先に思い浮かぶのは、クリスマスの飾りだ。
「最近は、インテリアとして年中飾ってられるのがあんの」
碓氷さんは、そう言って自身のスマホの画面を見せてくれた。
表示されているリースはドライフラワーを使ったものがほとんどだったが、どれもすごく綺麗だ。
これを宝石花で作ったら、どうなるんだろう……!
「リースという形を指定されたのには、理由が?」
千晶さんが尋ねる。
「――うちの玄関、入ってすぐ目につくところに飾り棚があるの。そういうのにさほどこだわりがない人たちだけど、家には意外と人が来るから、いつもそこはきれいにしてる。見栄っ張りだからね」
苦々しげに言ってから、碓氷さんは続ける。
「アクセサリーにして渡したら多分そのまま日の目を見ることはない。……けど、インテリアなら、多分……ううん、絶対あそこに飾る。毎日目につくあそこに。……見事な品であればあるほど、その可能性は高くなる……」
――そんな風に、自分の恨みをどうやって伝えてやろうかと考え、考え、考え抜く日々は……どれだけ辛かったろう。
私がそんなことを思ったのは、静かに語る碓氷さんが、今にも崩れ去ってしまいそうなほど儚く見えたからだ。
もし私が同じ立場だったらどうしていただろう。その問いに対する答えを出せない今の私は、彼女にかける適切な言葉をもたない。
「――……承知しました」
千晶さんもまた、同じ気持ちだったのかもしれない。
何かを飲み込むような間の後でそう言うと、蘇芳さんと顔を見合わせ深く頷いた。
「……花のバランスは、いかがしましょうか」
千晶さんの問いに、少し考えてから碓氷さんが答える。
「……白がある程度多い方が、綺麗に見えるんじゃない」
すっと視線をそむける様は、まるで真意を悟らせまいとしているようだ。
「――承知しました」
千晶さんはそう言って頷くと、蘇芳さんに目配せをする。次の工程に移るのだ。
蘇芳さんが、白い手袋をはめた右手をぐっと握り込む。灯った白い光は、少しずつ長ぼそい形に変わっていって——。
現れたのは、オトギリソウの切り花だ。少し茎や葉の部分が長いのは、リースに加工するためだろうか。
蘇芳さんの鋭い目が、オトギリソウをすみずみまで確かめる。
ひととおり検分すると、一緒に持ってきていた金属のトレイの上にそうっとそれを置いた。
続けて黄色のカサブランカ、その次に白いゼラニウムが、草花の力によって生み出される。碓氷さんの要望通り、白いゼラニウムが少し多いように見えた。
花をすみずみまで確認した後、蘇芳さんは金属のトレイを千晶さんの前に置く。
千晶さん自身も、花を手にとり、その状態を確認する。特に茎や葉の辺りを入念に見ていた。
そして三種類の花をバランスよく混ぜ込みながら、手の中でブーケの形を作る。
千晶さんが目を閉じ、大きく深呼吸をする。すると彼の手の中に、白い光が灯った。蘇芳さんのものによく似た、だけど少しだけ違う光だ。
それは彼の手の中の花束を飲み込み、ぱあっと明るく輝きだす。
やがて球体になった光を、千晶さんの手が優しくなでた。光は徐々に大きくなり、球から円の形になっていく。
徐々に光が薄れていき、中からは美しい宝石花によって作られたリースが姿を現した。きらきらとまばゆく輝く、美しい黄と――半透明の白い花弁。
何度見ても、この世のものとは思えない、奇跡のような光景だった。
「――ご確認頂けますか?」
千晶さんはそう言って、リースを丁重にジュエリートレイの上に置いた。
碓氷さんは、目の前に差し出されたトレイをじっと覗き込む。
「……さわってみても?」
「もちろんです」
千晶さんの答えを聞いて、碓氷さんはおずおずとトレイの上に手を伸ばす。
そうっと取り上げたリースを、視線より少し上に持ち上げて室内灯の明かりに透かす。
きらきら、きらきら。
まばゆく輝く宝石花たちは、インテリアというよりももはや芸術品といった方がしっくりくる。——これは、人を『傷つける』ためのものなのに。
様々な角度から、注意深くそれを確認する碓氷さん。
「――……これなら……」
ぼそりとそうひとりごちると、やがて丁寧な仕草でリースをジュエリートレイに横たえた。
「――これでお願いします」
静かな声で碓氷さんは言った。……そういえば、彼女が敬語を使っているところを見たのは初めてかもしれない。
「とびきり素敵にラッピングしてもらえる?」
言葉とは裏腹の、皮肉げな笑みだった。
「――承知しました」
千晶さんの言葉と共に、蘇芳さんが立ち上がる。
彼が壁際の戸棚から持ってきたのは、綺麗な白い箱と、カラフルなリボンたち。
ぐるぐると巻かれた状態のそれは、赤、青、ピンクと様々な色があった。
リースが入るサイズとなると、箱は自然と限られる。
内側がクッションのようになっているそれに、丁寧にリースを横たえて蓋を閉じた。
「リボンの色はいかがしますか?」
千晶さんの問いに、碓氷さんはハッと笑いながら言う。
「黄色でお願い」
間髪入れずにそう告げた時の碓氷さんは、果たしてどんな気持ちだったんだろう。黄色は、裏切りの色だ。
しゅるしゅると綺麗にリボンを巻かれた箱は、見るからに立派な贈答品という感じだった。
「……完璧」
満足げに微笑む碓氷さんを見ながら、私は複雑な気持ちを抱えていた。
よかった……と言っていいんだろうか。
これから彼女は、どうなってしまうのだろうか。
千晶さんは、立派な白い紙袋に贈り物の入った箱を入れて、碓氷さんに手渡す。
「ありがとう。……本当に」
そう言って彼女は、千晶さん、蘇芳さん、そして私のことを順番に見た。
「――ま、学校には普通に通うつもりだから、あんたとはまた会うかもね」
そう言ってひらりと手を振ってから、碓氷さんはアリーヴェデルチを後にする。
そして、恐らくは見送りのためだろう。真込さんの時のように蘇芳さんが、碓氷さんの後に続いた。
ふう、とひっそり息をついていたのがばれていたのだろうか。
「お疲れ様」
千晶さんが、気づかわしげにそう声をかけてくれた。
「今日は、もうあがってもらって大丈夫だよ」
時計を見れば、もう私の定時である五時をとっくに過ぎている。
「――……はい」
碓氷さんが帰ってから、なぜだか疲れがドッとでた。全身がだるくて頭がぼーっとして……まとまりのない思考が頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
こんな状態じゃあ、きっと何もできないだろう。
そう判断した私は、千晶さんに言われた通り帰宅することにした。
荷物をまとめ、リュックを背負って、とぼとぼと玄関までの道を歩く。
「ゆっくり休めよ」
すれ違いざま蘇芳さんにそう言われた。……私、そんなにひどい顔してるのかな。
おぼつかない足取りで帰宅した私は、そのままの恰好で布団にダイブする。
頭が重くて、うまくはたらかない。
体全体が鉛のように重い。
この感覚には覚えがあった。たまになるんだよな、こんな風に……。
私は布団の上で丸まりながら、抗うこともできずに眠りの世界に落ちていく。
とろとろとあたたかい世界でまどろんでいる私に向かって、優しく語りかけてくる声があった。
『感受性が強すぎるんだろうねぇ』
母さんだ。
まだ幼い私は、母さんの膝の上に頭を置いて、丸まりながらぐったりとしている。まるで今の私みたいに。
『別にリカが嫌なことされたわけでも、悲しいことがあったわけでもないのに……悲しくなっちゃうんだよねぇ』
母さんの長い指が、私の髪を梳きながら、そうっと頭を撫でてくれる。
『それはね、リカが優しい子だからだよ。誰かの悲しいことや、苦しいことを、一生懸命わかろう、わかろうってしてるの』
髪を梳いていた手が、今度はぽん、ぽんと優しく背中をさすり始めた。
『……とってもいいことだけど……母さんはちょっと心配。だって母さんは、リカの母さんだからさ』
そしてあたたかい腕が、ぎゅうっと私の身体を包み込む。
『今はおやすみ。……ゆっくり休んだら、きっとすぐによくなるよ』
その言葉はまるで魔法みたいに、私のことをさらに一段深い眠りの世界へと連れていく。その暗がりの先に何があるのか――その時の私はまだ知らなかった。




